2005/05/17(火)06:59
マンマ ベファーナ
昭和初期イタリア生活15年の父
昭和後期~平成の現代に至るイタリア生活20年の子供たち
その間に挟まれてサンドイッチのハム状態なのが私。専門はイタリア料理
父の最後の言葉は "イタリアとの架け橋”・・・これが我々ファミリアで実現出来るか?
この大工事を手がけて20余年。
橋脚の1つとして担当は食。
父の影響で子供時代から朝食はパン、時には母の手作りのフェットチーニ。
第2次世界大戦時代の食糧難 庭にトマトを植えて トマトソースの1年分作って呉れました。
近頃 教室で生徒さんがニョッキを作りたいといわれてもどうも戦争中材料も不自由な中、食べさせられたニョッキやポレンタにはいい想い出がない食べ物。
しかし そんな時代から始まったイタリア食との関係は70年経った今では身体に付いた食として 一生の仕事となりました。そんなに遠くないであろう旅立ちのために これを機会に少しずつ紹介していきましょう。
興味が湧いた方お願いします。
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