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アウトドア~な温泉日記

2018年05月18日
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さて今日からキャンプ最終日のお話です、
撤収が済めばキャンプ自体は終わりとなるのですが、撤収自体は午前中で終わりますのでここから家に帰るまでの間が第二の観光時間になります。
まあ基本的には帰り道ということになるのであんまり変なところには行けませんが・・・・

猪苗代から新潟の帰り道、まあ帰りでいいやととっておいた観光名所が
20180506(会津若松城3)

会津若松城、鶴ヶ城ですね。
実は今年は会津戊辰から150年の節目の年となります。

戊辰戦争の遺恨が今も残るという会津ですが、
20180506(会津若松城2)

実は昨年この会津と長州150年の遺恨を解きほぐす新資料が発見されました、
会津と長州の感情にしこりを残していた事柄の一つに埋葬禁止説というのがあります、

戦死者の遺体の埋葬を禁止し半年間放置したというのです。
この説が覆る資料が近年確認されました、会津藩士の子孫が会津若松城天守博物館に寄贈した資料の中に会津藩が降伏した10日後に戦死者の遺体を埋設する命令を記した資料が残っていたのです、
これが戦死屍取仕末金銭入用帳です、
ここに埋葬場所、埋葬費用などが詳細に記されており、埋設を禁止したという説と相反する事実が判明したのです。
20180506(会津若松城4)

会津が降伏したのは明治元年9月22日、明治新政府はその10日後の10月2日に戦没者の埋葬を命令しており、
翌日の3日から17日に会津藩士4人が中心となり戦没者567名を64カ所に埋設したことが記されています。
埋設には384人が動員され一人一日2朱、74両の経費が掛かったと書いてあったのです。
20180506(会津若松城6)

前回は混んでいてとても入れなかった天守に上ってみました、
連休最終日で比較的空いていましたので・・・・

まあこの新事実がすぐに会津と長州の関係修復にはならないかもしれませんが、両者の強い遺恨の原因の一つであった説だけに、関係の修復が期待されますね。
20180506(会津若松城5)

なんか変なゆるキャラがいました・・・
会津若松城の屋根瓦、ちょっと赤みを帯びた色をしています、
実はこの瓦新潟の安田で作られたもので、いくつかの候補の中から当時に最も近い瓦として安田瓦が選ばれました。

さて会津戊辰の時会津藩主だったのが松平容保、会津松平家に養子に来た人で、元は美濃高須藩の第10代藩主松平義建の七男です、
20180506(会津若松城7)

実はこの人の実の兄弟たちがなかなかにとんでもなくてですね、
次男の慶勝は徳川御三家筆頭、尾張藩尾張徳川家に養子に行き尾張徳川家を継いでいます、
五男の茂栄は御三卿の一つ一ツ橋徳川家に養子に行き一ツ橋徳川家を継いでいます、徳川将軍家や御三家に世継ぎが無い場合、世継ぎとなる後継者を供給する役割を担う家柄です。
八男の定敬は桑名藩久松松平家に養子に行き久松松平家を継いでいます、桑名藩は伊予松山藩と並び親藩の家柄です。
これに会津松平家の松平容保を加え高須四兄弟と言われています。
20180506(会津若松城8)

この松平容保、京都守護職を断り続けていたんですね、
「そんな大任は果たせない」「都の風習に疎い」「何かあれば死んで償わねばならない」・・・・
そんな松平容保に日参し最後は会津の家訓は徳川家と共にある、徳川家を守ることにあるのでないのかと脅され結局断れなくなってしまうわけです。
一説にはこれで会津は滅びると言ったとも。。。。
まあこの時すでに会津悲劇は確定したようなものでして・・・・
20180506(会津若松城9)

領民に恨まれるほどの重税もこの戦費を賄うためのもので、他にやれるものがないとはいえ会津藩にもまた重すぎる大任でした。

京都の治安維持には言路洞開、意見が通らないから浪士がさわぐのだ、話せば分かる、という方針を打ち出しています、
合わせてこんなことも言ってます、策を練る必要は無い最後は一途な忠誠心が勝つ。
まあ真面目な人柄がうかがえますね。
20180506(会津若松城10)

で、結局会津はあのような憂き目にあうこととなるのですが・・・・
実は明治になって次男の慶勝から尾張徳川家を継がないかという話が出ていますが容保はこれを断っています、
自分の不徳から起こった幕末の動乱で苦難を蒙った人々のことを思うと、自分だけが会津を離れて他家を継ぐわけにはいかない、だそうです・・・・
やっぱり真面目な人ですね。。。
20180506(会津若松城11)

なんと言いますか会津気質というものでしょうかね~~
20180506(会津若松城1)

これが什の掟、会津藩士の子供は六歳になると什と言われるグループに入ってこの掟を教えられるのだそうです、
でこれ以外に家訓十五か条というのがありましてね・・・・
20180506(会津若松城12)

一、 大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、 則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。
一、 武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。上下の分を乱すべからず。
一、 兄を敬い弟を愛すべし。
一、 婦人女子の言、一切聞くべからず。
一、 主を重んじ法を畏るべし。
20180506(会津若松城13)

一、 家中風義を励むべし。
一、 賄を行い媚を求むべからず。
一、 面々、依怙贔屓(えこひいき)すべからず。
一、 士を選ぶに便辟便侫(べんぺきべんねい)の者を取るべからず。
一、 賞罰は家老の外、これに参加すべからず。若し出位の者あらば、これを厳格にすべし。
20180506(会津若松城14)

一、 近侍の者をして、人の善悪を告げしむべからず。
一、 政事は利害を以って道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべらず。思う所を蔵せず、以てこれを争そうべし。 甚だ相争うと雖も我意を介すべからず。
一、 法を犯す者は宥すべからず。
一、 社倉は民のためこれを置き、永く利せんとするものなり。 歳餓うれば則ち発出してこれをすくうべし。 これを他用すべからず。法を犯す者は宥すべからず。
一、 若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、 土地を領せんや。必ず上表蟄居すべし。d>
右十五件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり

容保も他家から養子にきてまずこの家訓を教え込まれたそうで、ここに会津気質の原点があるわけでして、
会津藩は大君(徳川家)に忠義を尽くす、他国がそれに背いたからと言ってそれに倣ってはいけない、もし藩主がそれに背けばそんな藩主は我が子孫に非ず、そんな藩主に従ってはならない。
これが会津藩の教えで、容保はその教えに忠実であったとも言えますね。

今日は会津のお話し・・・・

20180505(光君1)


ではまた・・・






最終更新日  2018年05月18日 23時00分10秒
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