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アウトドア~な温泉日記

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おっさんの主張

2016年01月22日
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カテゴリ:おっさんの主張
さてすっかり不定期となっておりますが、このブログはまだいい方で、
こちらからダークな話題のみを切り離したもう一つのブログの方は・・・
もはや放置状態・・・、超不定期状態のブログが2つになってしまいました、
いっそのこと統合しようと思っていますので、近々こちらのブログに引っ越しする予定です。

なので今後時々、ダークなかなり異質な視点からのお話しがたびたび登場します
あちらでは基本的に文章のみの掲載でしたのでこちらでもそのスタンスを継承しこの話題の時は文章のみの掲載となります。
さて異質な視点からのブログとはどんな内容か、ということで一つ書いてみましょう・・・
童話というものがありますが、童話というものも別の視点から見るとかなり異質なブログになります。
今日は「かちかち山」のお話し・・・

「かちかち山」と言えば、田畑を荒らすいたずら狸が爺さんにつかまり鍋にされそうになったところを婆さんを殺して逃亡、
それを兎が敵討ちするというお話です、
さてこのお話しでは兎と狸を擬人化しているわけですが、擬人化して人間と同格にしたら、
狸のやったことは窃盗罪、それを拉致監禁したうえに殺害しようとしたのは完全にやりすぎ、過剰防衛です、
一方狸がやった殺人は自分が殺されそうになったのですから自衛的要素が含まれ十分に情状酌量の余地があります。
それを無関係の兎が残虐非道な方法で殺害したのは情状酌量の余地が一切認められない殺人罪です。
兎は死刑に相当します。

擬人化しても兎、狸、人間という立場に変化がないということになると・・・
これは人間にとっての正義であって人間ではない兎が人間の基準で狸を裁くのはおかしいということになります。
ということでちょっと立場を変えて新しい「かちかち山」を作ってみましょう。
まあ新感覚スプラッターと思ってお読みください・・・

ある島に5000年生きた妖狐の夫婦が住んでいました、
狐は長く生きると霊力を持つと言います、2匹の狐は霊力を持ち人間よりもずっと賢く力も強く特殊な能力を持っていました。
雄の狐は「銀狐」、雌の狐は「玉藻」共に強い霊力を持った妖狐でした。
2匹は人間たちに農業や猟を教えました、人々は2匹を神の使いとして敬いました。
ある日2匹は重い病にかかり、永い眠りにつきました、そう500年ほど・・・

永い眠りから目覚めた2匹は驚きました、自分たちの神域に下等な人間たちが住み着いていたからです、
500年の月日が流れ人間達は妖狐のことを忘れ去り、伝説の生き物と思っていたのでした。
もともと人間よりもずっと優れた能力を持った妖狐ですから、すぐに人間達を駆除し小さな小山に追いやりました。
住む場所を奪われ、人間達は食べるものもなく飢えと寒さに震えていました。
妖狐達は捕まえた人間を使い田畑を作り、多くの作物を作り、豊かな恵みをもたらしていました。
飢えに耐えかねた人間達はたびたび妖狐の田畑に忍び込み、作物を盗んでは飢えをしのいでいました。

ある日、島の若い娘ミミが畑に忍び込み盗みを働いているところを銀狐に捕まってしまいました、
銀狐は怒り「神域を荒らす性悪な小娘は鍋にして食ってやる」
そう言ってミミの衣服を剥ぎ、裸にして檻にとじ込め妻の玉藻に鍋にするように言いつけると再び畑に戻って行きました、
玉藻は大きな鍋にたくさんの野菜を入れて煮込み、あとはミミの手足を切り刻み鍋に入れるばかりになりました。
ミミがもう命はないものと檻の隅で泣いていると、玉藻はぽつりと言いました。
「わらわはこんな痩せた小娘の肉など硬くて美味くないから嫌いじゃ、昔まだ人間達が悪さなどせず仲良く暮らしていたころに食った鳥鍋が食いたいものじゃ」
ミミは玉藻に懇願し、きっと美味しい鳥鍋をご馳走するからとなんとか檻から出してもらいました。
檻から出てホッとしたミミはなぜそんな酷いことをして人間など食べるのかと玉藻に尋ねます、すると玉藻は言いました、
「そなたたち人間だって自分達よりも劣っていると考えている鶏や豚や牛を食うではないか、人間よりも優れている我ら妖狐が人間を食って何が悪い」
ミミは怖くなって玉藻を殺してしまいます、すぐに逃げようと思いましたがそこに銀狐が帰ってきました、
妖狐たちは普段は霊力で人間の姿に化けていましたが、死んで霊力のなくなった玉藻は元の狐の姿に戻っていました、
ミミは死んだ玉藻を台所に隠し、玉藻の着ていた衣服をかぶりました。
変幻自在どんな姿にでも化けられる妖狐ですから、玉藻の衣服を着た娘を銀狐は玉藻が化けたのだと思い込んでいました。
「なんじゃ玉藻、その姿が気に入ったのかえ?、ではその娘の鍋を食ってしまおうぞ」
いつ見つかって殺されるかわからないミミは生きた心地がしません。
「いいえまだ肉が良く煮えておりませぬ」
「そうかそうか、では庭木に水でもやってくるとしよう」
庭先にいられたのでは逃げることもできず、肉の替わりなどないのでミミは仕方なく死んだ玉藻をバラして鍋に入れました。
やがて戻ってきた銀狐は満足そうに鍋をほおばり始めました、
「どうした玉藻、そなたも食べぬのかえ?」
見つかったら確実に殺される、ミミは恐怖でとても鍋など喉を通りません、
そこで生前に玉藻が言っていたことを思い出しこう言います。
「わらわは小娘の肉など硬くて臭いから好きでない、庭の葱を臭み消しに採ってまいります」
そうして葱を採りに行くフリをしてそのまま逃げ帰ってしまいました。

やがて真実に気付いた銀狐は5000年連れ添った妻が死んでしまったことに嘆き悲しみ、怒りに震えました。
妖狐に飼われていた人間のポン太がそんな銀狐に言います。
「銀狐様のお怒りはもっともです、きっとこの私が敵をとって見せましょう」
「そなただって人間であろう、性悪な人間に何がわかる・・・」
「いいえ私は銀狐様の田畑を荒らしたりはしません、玉藻様を失われた銀狐様の悲しみはよくわかります」
「ぜひ私を敵討ちに行かせたください」
銀狐はポン太が敵討ちに行くのを許しました、

ポン太の計画は騙してミミ達をこの屋敷に連れてきて屋敷ごと焼き殺してしまおうというものでした、
銀狐は屋敷の裏の祠に隠れそっとその様子を覗いていました。
やがてポン太は「銀狐が怒り狂って人間達を皆殺しにすると言っている」「銀狐を殺してしまわなければ大変なことになる」
と人々を焚き付けてミミと戦力になりそうな若者達を言葉巧みに誘い出しました、
屋敷に着くとポン太は裏口からそっと抜け出し、計画通り屋敷に火を放ちました。
屋敷は見る見るうちに炎に包まれ、若者達は生きたまま焼かれて死んでいきます。
ミミは以前捕まった時に見つけた庭の井戸に飛び込んで何とか命は助かりましたが背中に大きな火傷を負ってしまいました。
ポン太はミミを討ち漏らしたことを悔しがり、「次こそはきっと敵を討って見せる」と言いました、
銀狐は言います「あの娘のことはともかく、われは人間が憎いわけではないのじゃ、われの田畑を荒らしたりしなければそれでよい」
「銀狐様、玉藻様を殺されたのを忘れてしまわれたのですか、人間は飢えればまたあなたの田畑を荒らします、そしてやがてはあなたを殺そうとする」
そう言ってポン太は銀狐に魔法で小さくてみすぼらしいけれど丈夫な船と、大きくて立派に見えるけれど合図をしたらたちまち消えてしまう幻の船を出してもらいました。

前回の事件で島の若い男たちは皆死んでしまい、残されたのは女、子供と年寄りばかりでした
ポン太に騙されたことを知らない人々をポン太はもう一度焚き付けます、
「銀狐は怒り狂ってもう手がつけれれない、この島から逃げなければ殺されてしまう」「幸い港に隠してある船を見つけたそれに乗って逃げよう」と・・・
そして大火傷を負って苦しんでいるミミにこう言います。
「その火傷にはお前が殺した玉藻の呪いが込められている、このままではお前は3日ともたずに死んでしまうだろう」
「ここに呪いを抑える薬がある、これを火傷に塗れば、痛みは今よりも増すが命を失うことはない」
ミミは迷いましたが生きたい一心で薬を塗ってくれと頼みました、
しかしポン太が用意した薬は銀狐に頼んで作ってもらった毒薬でした。
薬を塗ると火傷は見る見るうちに悪化し、激痛が襲います、ミミは痛みに悲鳴を上げてのたうち回りました、
痛みで朦朧とするミミを引きずるようにしてポン太は言います、
「さあ、早く逃げないと銀狐が追ってくる、この娘は玉藻の敵、それに火傷で弱りきっている、何かあったときに皆を巻き添えにしてしまう、私と一緒にこの小さな船に」
「もしもの時はきっと銀狐はこの小さな船を追ってくる、だから皆はこっちの大きな船に乗って逃げてください」
船が沖に出てしばらく行くとポン太は海に餌を撒き始めます、不思議に思った女達は何をしているのかと聞きます。
「な~に、ようやく沖に出て一安心、腹が減ったので釣りでもしようと思いまして・・・」
しかし集まってきたのは魚ではなくたくさんのサメでした。
そこでポン太は船にかかっていた魔法を解きます、大きな船はたちまち幻と消え女達は海へと投げ出されます、
サメ達は我先にと女達に襲い掛かり海は真っ赤に染まっていきます。
昨日まで仲の良い友であった者達がサメに食い荒らされ肉片に代わっていく様をミミはただ茫然と眺めていました。
サメ達の食事が終わり海面が静けさを取り戻しかけたとき、ポン太は火傷で身動きの取れなくなったミミを抱え上げ静かに海へと投げ込みました。
海面が再び赤く染まります・・・

全てが終わりポン太は島に帰っていきます、
銀狐に事の顛末を報告するために。。。
5000年生きた妖狐である銀狐です、ポン太が話さずとももうすべてを知っていました。
そしてポン太の話を静かに聞き、
「そうか」と静かに言いました、そしてこう続けます。
「われは今日は人鍋が食いたい、そなたが島の人間を全て殺してしまい人鍋はこれで最後になってしまうだろう」
「最後の人鍋、心して食べようぞ・・・」

さて最も悪いのは誰でしょうか?・・・
最後の結末はオリジナルの「かちかち山」からちょっと変えています、
人間の正義など人間の都合だけの自分勝手なもの、人間でない狸や兎には何の関係もないものです、
自分勝手な正義を振り回した愚かな兎の末路など兎鍋の具材が良いところでしょう・・・
我々人間は食物連鎖の頂点に立ち、歪んだ食う側の正義を振り回します、
食う側の正義など食われる側にとっては何の関係もなく、鶏や豚から見たら人間など鶏食い、豚食いの化け物でしかないのですよ。

さて食物連鎖の一つ上、人間を食う側の生き物が現れたら・・・
我々はその正義を受け入れることができるのでしょうか。。。。






最終更新日  2016年01月23日 09時53分09秒
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2015年07月22日
カテゴリ:おっさんの主張
すっかり夏ですね・・・

この3連休は仕事だったので特に外出はしていません・・・
光君は・・・
20150720(光君3)

海に行ってきたようです・・・

こう見えて光君は泳げます。。。
海なんか怖がりません・・・

20150720(光君1)

さて夏になると毎年定番のように靖国参拝が話題となりますが。

個人的には公的であれ私的であれ靖国神社は神社、行きたければ行けばいいし行きたくなければ行かなければいい、
他人、他国がとやかく言うことでない、

20150720(光君2)

一国の首相が神社であれどこであれ国土内のどこかに行くことを他国に制限されることの方が問題である。

さてひとつ確認しておこう、
日本の戦争が終結したのはいつであろうか?
日本の戦争が終結したのは1945年8月14日ではない。
1952年4月28日それまで日本の戦争は続いているのである。

この日本の戦争が終結した日とは何の日かご存知だろうか?
20150720(光君4)

サンフランシスコ平和条約が発効された日である。
この瞬間、日本の戦争は終結した、それまでは日本の戦闘状態は継続されていた、戦時中だったのである。

靖国問題というとまず出てくるのは戦犯、
さて戦犯とは何であろう?
戦争犯罪人?・・・、
では戦争で罪を犯したのは日本だけであろうか?、当時植民地支配を行っていたのは日本だけであろうか?
罪があったのは日本だけであろうか?・・・

さて、国際法の原則において日本に戦犯というものはいない。
戦争というのは双方に罪があるもので後になってその罪を一つづつ問うていては和平などというものは成立しない。
なので国際法の大原則として、和平条約を結んだらそれまでの戦争で犯した罪は全て問わない。
これをアムネスティー条項と言います、

これまで世界各地で幾多の戦争がありましたが和平条約を結んだ後で戦犯などと言う罪に問われた例はただの1例もありません。
和平条約を結んだらそれまでの戦争の罪は当時者間の国どうしでは一切の罪を問わない、
これが国際法の大原則なのです。

日本人の多くがこれを知らないのは戦後のアメリカの徹底した教育統制のためです。
戦後日本は徹底して、悪いのは全て日本、戦犯は重大な犯罪人として教育を受けてきたのです。
実際には悪いのは彼らだけでなく、他にもまだまだ同じ罪を犯していた者がいたにもかかわらずです・・・
当時連合国側も行っていた植民地政策、虐殺、破壊、その全ての罪を戦犯という限られた人間に押しつけたのです。
勝てば官軍全ての罪は負けたものに押し付ける・・・
それでも文句を言わないように徹底的に教育統制した、アムネスティー条項なんて都合の悪いものは教えない。
なので日本人の多くはアムネスティー条項なんてものを知りません。
教えられていなのですから・・・

日本には戦犯はいない、本来であればこれでこの話は終わりなのですが、
納得できないという人のためにもうちょっと続けましょう・・・

まあここはこちらも譲って戦犯を「悪」であるととらえましょう・・・
20150720(光君5)

だから?・・・
問題ないよね?・・・

何を言ってるかわからない?、
さて天神様にお参りするのに不都合はありますか?、
日本の神社は何も善神だけを祀っているわけではない、
祟りをおこす神、祟神も祀る・・・
強大な力を持つもの、祟るもの、その力、祟りを恐れながらもその力を国を守る力として祀ってきたのが日本の神社です、
反乱を起こしたもの、逆賊、悪人、果ては妖怪、化物の類まで祀ってきたのが日本の神社です。
いまさら戦犯を祀ったところで何が悪い・・・

悪人を祀ったらダメなどと言いだしたら日本の神社の半分は参拝できませんで。。。
何を祀るか、何に祈るかなど個人の自由、
行きたいと思う人間が行けばよろしい、行きたくないのなら行かなければよろしい、
誰に何を強制されるものでもない
そもそも靖国神社は国のために戦って死んだ者を祀る神社で戦犯だけを特別に祀っている神社ではない、
その一部に極わずか戦犯「だった」者が含まれているというだけのこと。
国のために戦って死んだ者にこの国の後世に残った者が手を合わせて何が悪い・・・

第一に日本に戦犯はいないということ、
第二に仮にいたとしてもそれを祀ることに問題はないというこ、
第三に靖国は戦没者を祀る神社であって戦犯を祀る神社ではないということ。

参りたいなら参ればよいし、参りたくなければ参らなければよい、
他人が口をはさむべからず。
こんなことを政治家が言うと大問題になるからね・・・
かわりに私が書いておきましたよ。。。

まあ批判反論はいつものように・・・

ではまた・・・









最終更新日  2015年07月23日 20時24分54秒
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2015年07月17日
カテゴリ:おっさんの主張
今日の日記は雑記、読み飛ばしていただいても構わない、
酒も入っているので若干酔いも回っている、

ある地方都市の話である、
炉端焼きの看板に引かれある居酒屋に入る、
入ってすぐに分かる、この店は高い!!、
酒の値段は普通だが料理の値段が高い、
2~3品たのんでみると味は良い、まあそういう店なのである、よくあることだ・・・
まあこういう店は数品たのんでとっとと出る、よくあることだ・・・
ふっと見ると私と同世世代くらいであろう焼き場の青年がえらく真剣、
美味そうな焼き鳥を焼いている・・・

すぐに出る予定であったが気になる・・・
こういう時は私ははっきりと言う。。。
「あの兄ちゃんが焼いている焼き鳥が美味そうだから焼き鳥を頼む」と・・・
私は一人客、カウンター、焼き場の兄ちゃんとは向かい合わせきっと兄ちゃんにも聞こえたことだろう・・・
すぐに出る予定であったが焼き鳥を頼んでしまったので追加で酒を頼む。。。

下戸のブロ友さんには申し訳ないが料理は酒と合ってなんぼ、
酒と合わない料理など、料理としての価値が半減、この点でスイーツというカテゴリーの私の評価が低いのは当然である。
その料理に何の酒が合うのか?・・・
酒と合わぬ料理に一連の料理の流れとしての組み立てのどこにその料理を組み込むのか?・・・
まったくもって問いただしたい議題である。

さて、ここは居酒屋、すでに〆の段階に入っている・・・
焼き鳥食って酒を頼まぬわけにもいかぬので追加で酒をたのむ・・・

さて、出てきた焼き鳥、何か味が違う。。。
美味いことは美味いが何か1本目と2本目で味が違う・・・
焼き場の青年はこちらを見ているが何も言わない・・・
今までのやり取りからたぶん雇われた店員であろう。。。

私は客である、客の私に何か悟れと?・・・
ずいぶんと無粋な話だ。。。

焼き鳥と酒を追加で頼む・・・
私も何も言わない。
次に出てきた焼き鳥はどちらも美味かった・・・
結局何時もより2~3杯は余計に酒を飲んだ、
この程度で宵いはしないが財布には痛い・・・

料金は・・・
まあ予想通り・・・高い・・・

料理人というのは一つの店にずっといるものではない、
いくつかの店を渡り歩くもの、そして意外に客から声をかけるれることは少ない。。。
こんな居酒屋ではなおさらである。。。
私はあえて声をかける、
「兄ちゃん美味かったよ」と・・・

きっと彼はこの焼き鳥を一生懸命焼いたのであろう、
材料は一緒でも味は違う・・・
客から「美味かったと言われることはきっと彼の今後のプラスになる」
だから私は声をかける・・・
「頑張りなさいよ」という意味を込めて「美味かったと」・・・
言わなくてもいい言葉であるが、これが酒飲みのポリシーである。。。

不味かった料理に私は何も言わない、
努力ができない、工夫ができない、客のことも見れない料理人・店になどもう未来はない、
そんな店にはもう二度と行かないだけ、期待もしない、
けれどね、何か一片、ひとひらでも期待のもてる店にはもう一度来てみようかなと思うものなのですよ・・・

次に来た時に彼がその店にいるかどうかは知らない。。。
客と店とは一期一会、それもまた人生、幸あれと思うことはあれ恨みごとを言う筋なし。。。
良いではないですか・・・
酒と人、人と料理は一期一会、一夜限りの出逢いなのですから。。。


今日は単なる雑記です・・・










最終更新日  2015年07月17日 21時28分38秒
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2014年10月05日
テーマ:たわごと(23046)
カテゴリ:おっさんの主張
さて、今日はちょっと雑談です、
ブロ友さんに何度か戊辰についてコメントしましたが、コメント欄ではなかなか書き切れないこともありますので、ここで一度日記で取り上げたいと思います。
今日はちょっと会津目線で戊辰について書きます、山口県・鹿児島県のブロ友さんは悪者にしてごめんなさいね、
維新の偉業を否定するものではありません、会津がなぜ滅ぼされねばならなかったのか、そのあたりをちょっと書きたいので、今日のところは悪者になってくださいね。

まず当時の会津藩の立場、会津藩は当時京都守護職にありました、攘夷運動さなかの京都にあってそれを取り締まる立場にあった会津藩はどうしても嫌われ者にならざるを得なかったのですね。
20120504(鶴ヶ城2)

当時の天皇は孝明帝です、孝明帝に最も信頼されていたのが会津藩主容保です。
当時討幕を画策する過激派の公家は孝明帝を事実上軟禁、偽勅(偽の勅使)を乱発します、それを支持したのが長州藩で孝明帝は確かに攘夷論者ではありましたが討幕の意思はありませんでした。
一部の過激派の公家と長州藩に利用されていたのですね、これを快く思わなかった薩摩藩が会津藩と協力し過激派の公家と長州藩を追放します、
その後、孝明帝を取り戻そうと長州藩が御所に攻め入ったのが蛤御門の変。
これに怒った孝明帝は、長州藩を朝敵とみなします、晩年孝明帝は長州を逆賊と公言していたといわれています。
本来孝明帝に最も信頼され、朝廷に対して何の反抗も示していない会津藩が逆賊であるいわれがないのですね。

この後、時代は大きく動き、孝明帝は亡くなり、明治帝の時代となります(一説には扱いにく孝明帝は毒殺されたとも言われています)、
20120504(鶴ヶ城1)

犬猿の仲と言われていた長州藩と薩摩藩は坂本龍馬の働きで秘密同盟を結びます。
幼い明治帝に政治能力はなく、朝廷は一部の過激派の公家と薩摩藩・長州藩に乗っ取られます。
幕府としてはそうした奸臣を追討すべく軍を進軍させます、これが鳥羽伏見の戦い。
薩長連合軍側は錦の御旗をあげ勅命を受けた官軍であることを主張、これに愕然とした幕軍は総崩れになったと言われていますが、実際には正式な勅命は受けておらず、いわば偽官軍でした。
何とか幕府を倒したい薩長連合側は過激派の公家をたきつけて、密命による討幕の勅使を取り付けます、しかしそれは大政奉還により討幕の意味を消失し、延期の命令が出されています(事実上中止)
しかし何としても幕府を倒したい薩長連合側はこの命令を無視して挑発行為を続けます(実際には彼らがかこっていた攘夷討幕浪人を抑えることができなかったのですね)
これはやがて庄内藩の薩摩藩邸焼討ち事件にまで発展し、諸藩から薩摩討伐を望む声が高まりました、
こうして起こったのが鳥羽伏見の戦いで、薩長側の挑発に負けて戦争に持ち込まれたと見ることもできますね。
しかし戦力、政治情勢からすればまだ十分に勝てる戦いでもありました、ところが当の徳川慶喜に戦う意思がない。
戦力の拮抗した両軍が戦えば戦争は長引き国力を疲弊させるという高度な政治判断であったのか、はたまた単なる腑抜けであったのかは今となってはわかりません、
慶喜は早々に江戸に退却、鳥羽伏見の戦いは敗北に終わります、
その後、江戸城は無血開城、幕府が降伏してしまった以上、会津に戦う理由はなく、容保は蟄居、恭順の意を示します。
本来であればこれで戊辰戦争は完結、最小限の犠牲で戦争は終結めでたしめでたしとなるはずなのですが・・・、そうはいきません。

なぜか?・・・
20120504(飯盛山10)

新政府軍は革命勢力、自らの正当性を示さなければなりません、本来であれば、勅命を受けて江戸城を武力制圧するのが最も効果的だったのですが。
江戸城は無血開城してしまったので名目上討幕は成ってしまいそれもできない、
そこでターゲットとされたのが当時幕府から最も信頼され最強と言われていた会津藩です。
もう読めましたね、そう新政府軍は会津の恭順を認めず、仙台藩、米沢藩などの東北諸藩に会津追討の令を出します。
これに怒ったのは仙台藩、米沢藩らの東北諸藩です、
会津に何の罪があるのか?、幕府に請われやむを得ず従事しただけではないか、会津は逆賊にあらず、とこの命に従わず、
どうしてもというのなら一戦も辞さずとの構えを示しました、つまりここで会津の恭順を受け入れていればなんら無駄な血を流すことなく戊辰戦争は終了したのです。
なぜそうまでして幕府や会津を倒したかったのか?、それは薩摩藩も長州藩も藩の規模の割に武士の数が多い、高給取りが多い会社のようなもので新政府を樹立し維持していくだけの資金がなかったのですね、
なので幕府や会津藩といった勢力を討伐し大義名分のもとにその資金を没収し新政府樹立の資金に当てたかったのですね。
東北諸藩が地方封権を保とうとしたなどというのは新政府軍を正当化するためのまやかしです(そのような側面が全くないとまでは言いませんが)
とっとと降伏すればよかったのだ?、会津はそれさえも受け入れてもらえなかったのです、
その会津の赦免を支持したのが東北諸藩です、江戸城無血開城から先、北越戦争・会津戦争は新政府軍側の都合でおきた戦争という色彩が強いのです。

戊辰を考えたとき主犯はどう考えても徳川です、主犯でない会津が主犯の徳川以上に重い処分が下されるのはどう考えても不自然です。
会津23万石、実際の内高は40万石を超えていました、戦後会津に下された処分は斗南藩3万石への移封、斗南は不毛の地、実際の内高は7千8百石にすぎません。
石高の98%を没収されるなど常識で考えてありえない処分です。
北越戦争の前、長岡藩は獨立特行を主張し新政府軍と奥羽列藩同盟の仲裁を引き受けると申し出ましたが一蹴されています、
当然です、新政府側に会津を許す気など毛頭なかったのです、仲裁など不要、何が何でも時代の転換の象徴として滅ぼす予定だったのです。
こうして越後の地に無用な血が流れます、そして会津にも。。。

江戸城が無血開城した時点で会津には戦う意思はありませんでした、実際に藩主が城から出て蟄居していますので・・・
しかし東北諸藩からの支持を受け、どうしてもやるというのなら受けて立つという姿勢へと変わっていきます、
もともとがいわれのない罪を着せられているのですから当然と言えば当然です、
確かに東北諸藩は兵器の近代化という時代の流れに疎いところがありました、
なぜそうだったのか、それは東北という地理条件がそうさせたのかもしれません、なぜ長州がいち早く西洋の近代兵器を取り入れたのか、
攘夷運動で無謀な戦争を仕掛け、こてんぱんに叩きのめされてきた長州藩は近代兵器の威力というものを身に染みて分かっていたのです、
そのような機会の少なかった東北諸藩が近代兵器というものに疎かったのは当然なのかもしれません。
そんな東北諸藩も戦争が続くにつれ近代兵器の威力、新時代の幕開けを否が応でも理解していきます。
儀のない戦とは思いつつも、藩の存続をかけてまで会津を守ろうとする勢力は次第に弱まり、離反が続いていきます。
北越戦争以降の戦争を旧時代の制度を守ろうとした地方政権と新政権の戦いと言われることがありますが
そんなものではない、
あれは新時代の幕開けを告げるデモンストレーションです、その犠牲となったのが会津藩です。
歴史とは勝者が作るものです、この時点で敗者の正義は徹底的に排除されます。
これは戊辰戦争でも一緒で、今に伝えられる歴史の多くは明治新政府が作り上げた歴史でもあるわけです。

会津はその後も逆賊として差別され続けます、
通常県庁所在地というのは大藩のあった場所に置かれます、
しかし会津23万石の本城のあった、会津若松は完全に無視され大学などの重要機関は福島に設置されます。
会津は近代化の波から完全に取り残され差別されていきます、これが後々まで禍根として残っていくことになるのですね。
会津がなぜ征伐されたのか?、もう一度冷静に考えてみてください。
会津が滅ぼされた理由は3つ。
 1、長州藩は攘夷運動のさなか京都守護職にありことごとく対立した会津藩が憎かったのです。
 2、現政権である幕府を倒した革命政権である明治新政府はその正当性、正義、平和は我にありということを全国に知らしめる必要があり、そのための生贄が必要だったのです。
 3、現政権を潰し新しい政権を立ち上げるのには莫大な資金が必要だったのです、その資金を確保するためには潤沢な資金を持つ藩を大義名分のもとに叩き潰し、その資金源を横取りする必要があったのです。
会津戦争を会津藩主容保の愚かさから起きた戦争だと主張する人もたくさんいます、
しかし過去を知る現在の我々が時代を飛び越えて藩主になり替わり、会津を存続へと導いたとしても、
千回歴史を繰り返しても会津戦争を止めることはできないでしょう。
時代の歯車は複雑に絡み合い大きなうねりとなって会津を破滅へと導いていきます、もはや藩主一人で止められるものではない。
会津は時代の波に飲み込まれ滅ぶべくして滅んだのです、それを止めることなど誰にもできなかったのです。

明治維新が成り日本は近代国家への道を歩んでいきます、その偉業は誰も否定するものではない、
20120504(飯盛山7)

しかし明治新政府が行ってきた行動がすべて正しかったわけではない、
「廃仏毀釈運動」や「マリアルーズ号事件」などこれまでにも取り上げてきましたね・・・
戊辰戦争もまたしかり、新政府軍側が常に正しく正義であったわけでは決してないのです。。。
この後、明治新政府は天皇を神格化し、国家神道保護の名のもとに靖国神社に特権を与え、宗教と結びつきながら軍国へと傾いていきます。
太平洋戦争の種がこの時すでにまかれているのですね・・・
歴史には二面性があります、この軍国の動きは次の日露戦争をはじめ、西洋列強各国の脅威に負けず日本が植民地となるのを防いだというのもまた事実です。
戦争の正義とはいずれにあるのか?、いずれにもないのです。
そもそも戦争という行為に正義などというものは存在しない、起こした時点で勝とうが負けようが悪であるのです。
人殺しに正義などというものはないのですよ。。。









最終更新日  2014年10月05日 16時31分31秒
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2014年01月20日
テーマ:徒然日記(17819)
カテゴリ:おっさんの主張
さて、先日あるブロともさんの日記に
マリア・ルーズ号事件について書いたら、「ようまあそんなもの知っとりますな」と・・・
マリア・ルーズ号事件てマニアックな話題?。。。

以前明治維新の偉業の影に隠れた蛮行として「廃仏希釈運動」について書いたことがありますが、
このマリア・ルーズ号事件も明治の闇の一つ・・・
今日は明治維新の光の影に隠れた闇について書いてみましょう・・・
20131230(県央研究所2)

光と影のテーマにふさわしく今日は年末年始のイルミネーションの写真です・・・
いや~、タイミングを外していつ掲載しようかと思っていたのですよ。。。

マリア・ルーズ号事件はマニアックなようなのでまずはその概要を説明しましょう・・・
1872年、中国からペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルーズ号が修理のため横浜港に寄港しました、
同船には中国人230余名が乗船していました、横浜に帰港中過酷な環境から逃れるため一人の中国人が海に逃れイギリス海軍に保護されました。
イギリスは同船を奴隷輸送船と判断し日本政府にその救助を要請しました。
20131230(県央研究所3)

日本政府は人道主義と日本の主権独立を主張しマリア・ルーズ号に乗船している中国人の救出のための手続きの開始を決定しました。
マリア・ルーズ号は横浜港からの出航停止命令を受け、出航の条件として中国人の解放を要求しました、
マリア・ルーズ号の船長はこの判決を不服とし、中国人の「移民契約」履行請求の訴えを起こし、中国人のマリア・ルーズ号へ戻すよう要求しました。
裁判が行われ移民契約の内容は奴隷契約であり人道に反するものであり無効であると、要求を却下、
これに対しマリア・ルーズ号側の弁護人は「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」として遊女の年季証文の写しと横浜病院医治報告書を提出しました。
日本国内においても娼妓という人身売買が公然と行われており、他国の奴隷売買を批判する立場にないというのが言い分です。

これにより日本は公娼制度の廃止を余儀なくされ芸娼妓解放令が出される事となりました・・・
20131230(県央研究所1)

っとこれが事件の概要です。

しかしこの芸娼妓解放令、人道とは程遠い形で発表されることとなります。
公娼制度は人身売買そのものではないかと追求された日本政府は、あわてて太政官布告第二九五号で人身売買の禁止を確認するとともに芸娼妓を解放し、その借金問題は裁判でとりあげないことを決定します。
それを受けて司法省省令第二二号・・・
「芸娼妓は人身の権利を失う者にて牛馬に異らず、牛馬に物の返済を求むるの理なし」として芸娼妓の借金は無効で、返済を求めてはならないと命令しました。

さて、何を言っているかわかりますか?
娼妓は借金で自由を奪われたもので牛馬と同じ、牛や馬に物の返済を求めるわけにいかないから借金は無効ですよということです・・・
激動の時代を必死に生き抜いてきた娼妓たちを牛馬と同じ、娼婦は「女」でなく「メス」であると言い切ったのです。

日本政府に公娼制そのものを廃止する意図はなく、遊郭はその後貸座敷と名を変え、貸座敷業者は自由意思によって娼妓に座敷を貸すという形式に改められました。
娼妓を縛る身代金はその後前借金と名を変え、娼妓には遊客選択の自由、療養休業の自由、外出の自由、通信面接の自由はなく、
本当の意味での解放には至りませんでした。
20140101(見附市役所3)

これが、マリア・ルーズ号事件の顛末・・・
なんとも人道的な対応ですな。。。
呆れてものも言えませんね・・・
20140101(見附市役所1)

これは明治維新の偉業のなか、忘れられてしまった闇の一部です・・・

明治維新の偉業は誰も否定するものではありません、
しかしその光の中で「廃仏希釈運動」「芸娼妓解放令」と闇は存在したわけです。。。
20140101(見附市役所2)

光あるところ闇は生まれるもので、繁栄の中に腐敗は生まれていくもの・・・
明治新政府の行ってきた改革もその全てが正しかったわけでは決してないのです。

今日はなんとなく書きたくなったのでこのお話・・・

20131208(光君1)


ではまた・・・






最終更新日  2014年01月20日 22時38分41秒
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2012年08月20日
カテゴリ:おっさんの主張
お盆休みは過ぎ去りましたが、私のブログのお盆はまだまだ終わりそうにありません、
遅れがちな私の日記ようやく13日となりました・・・

13日はお墓参りの日、皆様お墓参りには行かれましたか?
今日はちょっと硬い日記となります、
今日はお盆・お墓参りということについて考えてみましょう、

我が家も今年妻の祖父が亡くなっております、今までは本家の墓はあれど我が家の墓は仏のない空の墓だったのですが、今年からは妻の祖父の眠る墓となりました、
墓参りというと「ご先祖の供養のためにやってあげている」と思ってはおりませんか?、
墓参りというというのはそのようなものではありません、亡き故人を忍びその面影を求めるものであると一緒に、亡き故人を縁として日頃の生活を振り返る機会でもあるのですよ、
人の世というのは縁によって導かれるもの、良き縁を持つことが良き人生に結び付くといっても過言ではないかもしれませんね。

人の心は移ろいやすく、とかく易きに流されやすいもの、そんな自分の人生をもう一度振り返り、
怠惰に流されてはいないか、怒りに身を任せていないか、妬みに囚われてはいないか、嫉妬にくるってはいないか・・・
もう一度考えてみるそんな機会の一つでもあるのですよ。

三毒という言葉をご存知ですか?、
人間の悪の根源である3つの心です
 「貪欲」という必要以上に求めむさぼる心
 「瞋恚」という怒りに任せ人を憎み恨む心
 「愚痴」という心理を理解しようとしない愚かな心
悪人というのはこの三毒にとりつかれ、それに身を任せてしまったもののことですね、
しかし人は誰しもこのような心を持っています、これが人の原罪「業」というものです。

キリスト教では7つの罪原として同様に7つの心をあげていますね、
 「傲慢」な心・「憤怒」の心・「嫉妬」の心・「怠惰」の心・「強欲」な心・それに「暴食」と「色欲」・・・

どれも人間が生まれながらにして持っている「業」ばかりですね、
これそのものが罪ではないと反論されるかもしれませんが、違うんですよこれそのものが罪であり悪であるのですよ、
そして心がこれらに支配された時、人は悪人となるのです。

人の心は易きに流されやすいもの、誰しもこれらの心に囚われがちなんですね、
本来は日々の心がけなのかもしれません、けれど我々凡人は聖人君子のようなまねはできませんからね、
せめて盆・正月、亡き故人に手を合わせるときに、故人に胸を張って会える生活をしてきただろうか?
奢り高ぶった態度をとってはいないか?、怒りに囚われてはいないか?、暴食はしていないか?、欲にまみれてやいやしないか?・・・
と振り返ってみるのも故人の弔いになるのではないでしょうかね。

なぜこんなことを書いたかと言いますと、
これが私の宗教観でもあるのですね、実家の菩提寺の亡き先代の住職がこんな説法をしておりました・・・
亡き故人がその人生をかけて残ったものに伝えたことはなんだったのか?
盆や法事は亡き故人の為にしてあげるものではない、亡き故人の縁によって進むべき道をもう一度考える機会をくださっているのだと・・・
人の死は避けては通れぬもの、故人の縁を大切にするということも供養の一つの形であるとは思いませんか?

 それ、人間の浮生なる相をつらつら觀ずるに、
 おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
 されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。
 一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。
 我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、
 遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
 されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。
 すでに無常の風きたりぬれば、
 即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、
 紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、
 六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、
 ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。
 されば、人間の儚き事は、老少不定のさかいなれば、
 誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、
 阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。
 あなかしこ、あなかしこ。

さてさて坊さんの説法のような日記となりましたのであとはお斎に・・・(笑)
20120813(盆の料理)

我が家のお盆のお料理です、
これも故人のご縁のおかげですね、合掌「いただきます・・・」
え~と・・・
作ったのは若竹煮と酢の物、南瓜の煮物とお刺身だけです・・・
後はスーパーのお惣菜・・・、時間がなかったの・・・

20120812(光君2)

こちらは・・・
息抜きの光君、意外と似合うサングラス・・・
20120812(光君1)

「おもちゃじゃない!!」
失礼しました・・・・

送り火の替りに13日の加茂市の花火でも・・・
20120813(加茂花火大会)

これは最後のナイアガラ・・・
無難に撮れるやつしか撮影してませんよ~

今日はお盆のお話・・・
最後に性善説のブロ友さんに一言・・・
私の性悪説は宗教観念まで結びついた心の根幹からのもの、簡単には変わりませんよ~
おっと煩悩にとりつかれておりますね・・・凡人・凡人・・・

ではまた・・・






最終更新日  2013年06月15日 09時30分46秒
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2012年06月01日
カテゴリ:おっさんの主張
ずいぶん古い4月22日の日記に、下記のようなコメントを頂きました。
「原発と一緒にお前も消えてくれ」(以上全文)
楽天の方ではないようですが「123さん」という方です、

何度か日記にも書いているように私は原発推進派でも反対派でもありませんが、この日は反対派に対する批判的内容でしたからね、
で、一応私の返信がこちら・・・

「こんなコメでは何が言いたいのか全く分かりませんが、
このコメから言えることが一つあります、
それはあなたの考え方では原発を止めることなど絶対にできないということです、
このコメからは、原発を止めても問題ないという根拠も無ければ、
最悪は停電も辞さないという覚悟も全く感じられないからです、
ただ、原発のリスクだけを上げて駄々っ子のように反対しているだけ、
それでは原発は止まりません、
本気で止めたいと思うなら、稼働することのリスクだけでなく、停止することのリスクにも目を向けねばなりません。
それがなければ・・・、無理ですね・・」(以上全文)

私が推進派でも反対派でもないのは、私は原発を止めても電力に問題が出ないという根拠もなければ、停電しても良いという覚悟もないからですよ。

私は原発を止めることによる問題から目をそむけただ止めればよいという考えは間違えていると思います、
原発を止めても多くの問題はそのまま残るし、止めたことによっておこる新たな問題もあります。

まず一つ、現在多くの原発は停止状態にありそのため電力の大半を火力に頼っています、
火力が限りある資源を使用していることはお分かりですよね、
日本は新たに石油を利用した火力発電所を作ることはできません、作るなら混合燃料になるのですが・・・
これも無限なわけではないし、CO2排出の問題もあります、
以前にも日記に書きましたが原発が増えた背景にはこのCO2と天然資源の問題があるのです、
いずれは原発にも火力にも頼らないエネルギー作りが必要になってくるのですよ。
その中で我々はよりベストの選択をしていかなければならないのです。

原発を稼働することによるリスクはもう嫌というほど解ったでしょう。
では、止めることによるリスクは無いのか?ということです。

原発稼働によるリスクだけを論って、止めることのリスクには目を向けない、
ましては原発立地自治体の現状になど興味もない・・・
こんなことで原発を廃止などできるはずがない。

福井県の大飯原発は現在稼働の方向に進んでいます、
このままいけば全国の原発も右ならえでしょう。

本気で原発を止めたいと思うのなら、止めることによるリスクから目をそむけてどうするのです、
その議論を無しに原発は止まりません、
リスクを理解したうえで、ならどうするのか?、を考えねば絶対に前には進まない。

電力が不足する、ならそれを賄う方法があるのか?、それとも停電する覚悟はあるのか?それとも不足しない根拠があるのか?
代案も覚悟も大丈夫であるという根拠もなくただ反対する、
これでは駄々をこねる子供と一緒・・・

原発立地自治体の問題はどうするのか?、「そんなものは知らない」それでは虫が良すぎる・・・
そんなことを各自治体の知事、市町村長が、住民に説明できると思いますか?
原発立地自治体は直接原発と関係していない宿や商店までも原発を中心に回っているのですよ、
原発が止まればその地域の産業が止まるのです、本当に分かっているの?
進むべき道、代案がなければ、その地域の人はたとえ原発稼働によるリスクがあっても賛成に回るしかないのですよ。
その現状を解っているのですか?
リスクから目をそむけ都合の良いことだけをいくら論っても無駄です、
きちんとリスクに目を向け、議論がされない限りこの原発再稼働の流れを止めることはできない・・・

言っておきますが私はどちらかと言えば原発には反対です、ただ・・・この状況では一時再稼働はやもうえないかもしれませんね。
大丈夫だという根拠もなければ、原発に代わる即電力供給できる代案もない、停電して産業が停止する覚悟もないのですから・・・

反論は大いに受け付けます、
123さんも詠んだらぜ~ひコメント下さい。

この日記は本人からのコメントがありその真意が分かり、削除するのが妥当であろうと判断した場合にはその一部または全部を削除いたします、
あらかじめご了承ください。

ではまた・・・






最終更新日  2013年06月15日 09時31分15秒
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2012年02月17日
カテゴリ:おっさんの主張
数日前、妻の祖父が亡くなりました、
80才を超えており大往生と言えるかもしれません、
死は生きとし生けるものすべてに訪れる絶対の存在です
これから逃れることは不可能・・・

末期癌の宣告を受けており、昨年末に体調を崩して入院、覚悟はしておりましたが・・・

いろいろあって書こうと思っていた日記が全く書けていません、
今日はそのうちの一つ小さな命について書いてみようと思います。

実は野良猫の餌やりについて「餌をやるなら飼ってあげて」という旨のコメントをブロ友さんの日記に残したら、「レベルが低い」と叱られコメントも削除されてしまいました。

こんなやりとりをしていたら昔飼っていた猫の「ミコ」を思い出しました、黒の虎猫で捨て猫でした、
当時バイトしていたスーパーの物置にまだ目も開いていない子猫が3匹捨てられていました、見るに見かねてバイト仲間3人で1匹づつ持ち帰りました、
「ミコ」はこの捨て猫の中の1匹です、父は意外にも飼うことを許してくれました、
最初は一人でミルクを飲むこともできなかったこの子もやがて成長し成猫となりました、この子は避妊させました、実家では複数の猫を飼うことはできなかったからです。
この子を捨てたのはバイト先のスーパー近くの猫屋敷の方だとその後人づてに聞きました、自宅で無計画に野良猫に餌付けし繁殖させ、増えすぎて困るようになって今度は捨てたようです。
猫というのは意外に繁殖力が強く生涯で十数匹の子猫を生みます、無計画に繁殖させるととても困ったことになる危険性を多分に含んでいます。

野良犬の数はここ数十年減少傾向にあり捕獲される野良犬の数は1970年代には120万頭近い頭数だったものが近年では10万頭近くまでに減少しました、
一方野良猫は横ばい状態が続き一向に減少する兆しは見えません、
放し飼いの多い猫は野良との境界線が曖昧であるということもあります、
保健所は野良犬は捕獲しますが野良猫は捕獲しません、にもかかわらず処分される猫の数が十数年ほど前に処分される犬の数を上回るようになりました、一般の人に捕まえられて保健所に連れ込まれた猫の数が捕獲された野良犬の数を上回ったのです(原因は野良犬の数は順調に減っているのに対し野良猫は全く減少していないからです、猫の数が増えたわけではないので誤解なきように・・・)、
実際に生息している野良猫の数が野良犬の比ではないことがよくわかります・・・。
飢えた野良猫がかわいそうに見える気持ちはよくわかります、
ならこの処分される犬猫達はかわいそうではないのでしょうか?

犬猫の殺処分の方法をご存知でしょうか?
多くの自治体ではコストの安い二酸化炭素を利用したガス殺によって処分しています、これは安楽死とはちがいます苦しみを伴う殺害方法です、
処分した犬猫はそこから機械的に焼却炉に落とされ焼却処分されます、呼吸量の少ない子猫、子犬の中にはガス室では死にきれず生きたまま焼かれ、多大な苦痛を味わって死ぬものもいるのです。
これはかわいそうではないのでしょうか?
現在殺処分される犬猫の頭数は犬で約10万匹、猫で約20万匹です(年間)。

このかわいそうな犬猫たちを救うためにはまずは捨てないことです。
そして飼えなくなったからといって保健所に持ち込まないこと、次の飼い主は責任もって探してあげてください、
保健所に収容されたペットが次の飼い主を見つけ生き残る可能性は10%もないのです、9割以上の犬猫は最終的に処分されます、
特に犬の場合捨てるということは殺しているのと同じことと思ってください。
猫にだっていずれ同じ運命がこないと誰が言い切れるでしょう?。
野良猫に同じ運命を辿らせないためには飼い主が明確でない猫の頭数を減らす必要があります、

光君を飼ってみて気付いたこと、
ペット禁止の公園が意外に多い、これは飼い主のモラルの低さが招いた事態です、飼い犬の糞尿の始末もできない、
野良猫の餌付け禁止も同じこと、あげる側のモラルの低さが招いた事態です、

毎日餌をあげる余裕があるならもう一歩進んで、予防接種を受けさせ、避妊去勢の手術をして上げてください、それが飼い主になってあげてという意味です、
一人では無理ならグループで地域猫の活動を始めるという手もあります
なにも家に閉じ込めて一生面倒見ろと言ってるわけではない、餌をあげるなら猫の頭数を管理しトラブルを回避する責任の一助を担ってくれと言っているだけです
そんなに理不尽で無理無謀なことですかね?

人が面倒みてあげなければ生きれないのは猫だけではありません、犬だって一緒です、
野良になる道が残されているだけ猫の方がまだ幸せかもしれません、犬は生きることすら許されないのですから・・・
かわいそうという感情に流されるのではなく、広い視野に立ってもう一度今の野良猫を取り巻く環境を見てください、
ルールを批判し、無視する前にそのルールができた背景に目を向けましょう、相手の言い分に耳を傾け、歩み寄りの道を探しましょう、
でなければ進展はありません、行き着く先は冷たいガス室の中・・・

我が家の「ミコ」は捨て猫でした、けれど野良猫ではありませんでしたよ、我が家の大切な飼い猫でした・・・

最後に地域猫の活動を誤解している方も多いようなので参考までに・・・
地域猫の活動というのは地域の人が集まって野良猫にえさをあげる活動では断じてありません(そのような似非地域猫グループがないとは言いませんが・・・)、
地域猫の活動というのは地域の人たちが集まって飼い主のいない猫を管理し、トラブルを解決する活動です、その中に餌やりが含まれているだけです。
猫に避妊手術を受けさせて頭数を管理し、予防接種を受けさせて病気の管理をする、糞尿の始末をし、地域の住民とのトラブルを解決する、
飼い主が行うべき義務を皆で共同で行う活動です、餌だけあげてあとは知らないという活動ではないことだけはお間違いなきように・・・

書き忘れたので追加です、
私のブログは反対意見大歓迎です、私は反対意見、賛成意見、中立意見全てに返信コメントを書きます、本人から削除の依頼がない限り基本的に削除はいたしません、
エロブログの勧誘などの明らかに別の目的があるコメントは削除しますけどね。
好きなことを書いてください、
最も反論はいたしますよ~返信でね。

猫の話題が中心だったので・・・

最後は猫ダンス・・・

ではまた・・・






最終更新日  2013年06月15日 09時32分56秒
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2012年02月07日
テーマ:たわごと(23046)
カテゴリ:おっさんの主張
少し前のブロ友さんの日記がずっと気になっていました。
その時は詳しく調べる時間もなくなんとなく流していたような気がします。

先週末特に出かける用もなく家にいたので何気なく調べてみました、

気になっていた日記というのは、野良猫に対する餌やりに対する是非を問う日記でした。
改めて考えてみましても私の見解としては反対という結論です。

動物に餌を与えるという行為は飼い主としての責任を伴う行為であると思います、
これはまずは餌をやる側のモラルの問題、公共の場で野良猫を集め餌を与えるのであれば最低限、呼び集めた猫の糞尿の始末、食べ残した残飯の始末は義務として行うべきものであると思われます。

又、予防接種など一定の健康管理を行っていない野良猫は、伝染病のウイルスを持っている可能性も否めません、このような猫を1か所に呼び集めることは、これらのウイルスを蔓延させる要因ともなりえます、これは人間に対する被害というより猫に対する被害の方が深刻です、
一般に家猫の寿命は十数年ですが、野良猫の寿命は4~5年ほど、この要因は餓えや寒さより、病気にかかって死ぬ猫の方がはるかに多いようです、

一方でブロ友さんの日記にもありましたが地域猫という動きもあります、
これは地域で特定の飼い主の買う飼い猫以外の猫の一部に餌を与え管理しようという動きです、
これには賛成です。

では野良猫に対する給餌を行う行為と地域猫の動きは何が違うのでしょう、
地域猫というのは、地域の猫好きの方が集まり、一定の場所で餌を与え、糞尿・残飯の始末をし、個々の猫を個別に管理し、場合によっては各種予防接種を受けさせ、避妊・去勢の手術も費用を皆で負担しあって行っている猫です、
地域猫は地域の猫好きの方々が共同の飼い主であり彼らが飼い主としての責任を果たしています。

私は猫が嫌いなわけではありません、ただ餌を与えるのであれば飼い主としての責任も合わせて負うべきであるというのが私の見解です、

家猫というのはネズミ避けや愛玩動物として交配繁殖させた猫であり、野生の山猫とは違います、これは犬も一緒です、狩猟や愛玩のために改良された犬は野生動物とは程遠い習性を持っています、

批判されるべきは野良猫に対する餌やりを禁止する行政に対してより、むやみに飼い犬、飼い猫を捨てる飼い主の方にこそ向けられるべきものでしょう、
この件に対して行政が行うべきことは飼い猫も登録制にし、個体を個々に判別できるようにすること、そして飼い犬、飼い猫を捨てたものに対しては厳罰をもって対処することです。

ペットとの相性は飼ってみなければ分からないもの、こんなはずではなかったということもあるでしょう、相性が悪かったとしてもせめて里親に出し次の飼い主を見つける、ここまでは最低限の飼い主の義務です。
犬や猫にも感情があります、捨ててはいけません、ゴミではないのですから・・・

願わくば、すべての犬・猫が適切な飼い主の下幸せに暮らせる日が来ることを切に望みます。

最後に愛犬光君の写真を・・・
20120206(光君1)

おもちゃが見当たらない光君は鼻をクンクン・・・
息子のベットに飛び乗って枕の下を・・・
どうやら息子が枕の下に隠したようですね。

20120206(光君2)

元々、嗅覚獣猟犬のミニチュアダックスフンド、臭いで物を探すのはお手のもの・・・
そんなとこに隠しても無駄ですね~
すぐに発見・・・

今日は硬い内容の日記になったので・・・

動画は軽めに・・・






最終更新日  2013年06月15日 09時33分47秒
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2011年07月11日
テーマ:たわごと(23046)
カテゴリ:おっさんの主張
もしも4か月と1日前、3月10日に戻れたら何をしますか?

避難を呼びかける・・・誰も信じてくれないでしょうね~
誰ですか災害援助物資買い占めるなんて言ってるのは、ダメですよ~、
けど私も買い占めるかもしれない、そしてその日のうちに被害を受けるであろう地域の避難所となっている施設に送ります、不足すると分かっているものを匿名で「災害対策物資としてお使いください」というメッセージを添えて・・・(送り返されると困るので・・・)
被災地に行くという手もありますがきっと現場にいても役には立たないでしょう、

5か月前、2月11日ならどうでしょう、何が出来ますかね~
原発を止めるのは1月前でも間に合わないかもしれませんね~
ひと月前なら何ができるかな~

8か月前、昨年の3月11日ならどうでしょう、
1年あれば何が出来ますかね~
原発の危険性を訴えてなんとか福島第一原発を停止する?、

現実世界にはifはありません、過去に戻ることはできません・・・
この震災で死亡した多くの方々、死亡の確認すら取れない方々も含め、亡くなったすべての人のご冥福をお祈りしましょう、
そして被災地の一日も早い復旧と復興を皆で願いましょう・・・

ちょっと硬い内容になりましたね~
私らしくない?・・・

え、自由自在に過去に戻れたら?、そりゃあ当然、ロト6でひと儲け・・・
みなさんなら過去に戻る能力があったらどう使いますか?、
まじめな答えも、おふざけな答えも、どちらも受け付けます。

ではまた・・・






最終更新日  2013年06月15日 09時45分54秒
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