女紋とは?
女紋とは?森本景一著「女紋」の柿木書店での販売は平成21年6月13日で終了しました。津山市・柿木書店【はじめに】家紋には、定紋、替え紋、表紋、裏紋などの名称があります。これは主にその家に結びついた家紋の対外的な使用順をあらわしているのですが、そうでないものもあります。それが女紋です。今まで女紋は辞書によると替え紋や裏紋の別名称を指しているような記述がほとんどでしたが(その際ペアーになる紋は男紋という名称を付与しています)、正確にはそれは日本全国であてはまるものではありません。確かに日本のある地域では女紋を家紋の辞書にあるような場合で使っているようですが、少なくとも瀬戸内海沿岸地域では違います。では女紋とはなんでしょうか?中国地方の岡山県内で見られる習俗について簡単にふれてみます。【女紋の歴史と機能】女紋は、代表的な女紋が丸に揚羽蝶であるように、元の女系をたどれば平家に繋がる(平家の公達の男系はご存知のように壇の浦の合戦が最後で絶えた)という血統の表示であったろうと推測されています。女紋は江戸時代のものは確認できるのですが、それ以前から使用されたかどうかは?です。ただ、女紋を受け継いでいる家の方は『代々使用しています』と称していますから、もっと古くにさかのぼれるのかもしれません。ですから国立民族学博物館助教授(執筆当時)の近藤雅樹先生が著書『おんな紋 血縁のフォークロア』で指摘されているように、女紋が揚羽蝶の家は昔は大地主であるとか庄屋の家があります。(つまり女系は数百年たぐれば平家の姻族かも?!)ただ、現在それが直接桓武天皇に繋がるかどうかは保証の限りではありません(^^;自分(女性)→母→母の母(つまり祖母)→祖母の母とさかのぼれても江戸時代ぐらいでしょう。【追加】岡山県内で平家の子孫の家であっても普通の家(農家で村役人など歴任されていないクラスの場合)では女紋を使用しておりません。ご指摘を受けましたので、注記いたします。また、近藤先生自身は藤原氏の後裔の方だとおもいますので、アンケートや聞き取り調査をもとにして推論されています。2022年7月3日追記:今年になってからのある日、帰宅後普段見る習慣のないTVを見ていたら、田舎のぽつんと一軒家に突撃取材する番組が放送されていました。そこの高齢の女性が、自分は平家の落人の末裔だということを告白されていました。四国の山の中なのでそういう可能性もあるでしょう。私が見た感じ、関東平氏の縁者ではなく、京師の平家ゆかりの方のようにおもわれました。その家を映したとき、家紋が映っていました。丸に五三桐でした。この家を母方の起点とすれば、母方は代々平家の末裔という伝承が女紋を介してなされるでしょう。サンプル数が少ないですが、女紋の丸に五三桐の謎が解けたような気がします。男系色いわゆる日本の系図はこちらが重要視される、垂直継承(民俗学用語)女系色女紋はこのルートで伝えられる。斜線継承。母方曾祖母父方曽祖父↑↑母方祖母父方祖母ーTー父方祖父↑↑母Tー父↑娘村の家柄よろしく裕福な家が女紋を使うものですから、それがだんだんと一般の家でも真似して使うようになりました。今では、清和源氏であろうが、藤原氏であろうが岡山県内の昔のちょっとした家柄(辞書に名門、旧家と出ているような家が該当)の家では女紋の使用が珍しくありません。女紋を昔は嫁入り道具に入れて嫁がせていたのですが、今は洋風化したため、第3者は結婚式の衣装と墓地でしかみることが出来なくなりました。嫁入り道具に使った為、女紋は【女性の所有権、財産権の表示】とも見て取ることができます。一説には騎馬民族系統の文化を継承したとおもわれる源氏系の家は、軍隊の統率の為、表面上男性優位社会だったとおもわれます。そういった社会では女性の地位、権利を重視しようとする努力があまり払われなかったため、女紋が発達する余地は無かったのではないでしょうか?(私見)【女紋はどこにある?】大名家墓地では、はっきり見ることができますし(備中国岡田藩伊東家墓所を参照、伊東家は藤原南家工藤氏族)、一般の家でもお嫁に行かないままなくなった女性や、離婚して実家で残りの人生を過ごした女性の墓には彫られています。ですから岡山県内で墓石から家紋を調査される人はその墓が女性墓かどうかを確認する必要があります。他の都道府県のようにその家の正式な紋ではなく、女紋の可能性も否定できないからです。【女紋のグレード】揚羽蝶が一番です。蔦などは蔓が繁茂することから子孫繁栄で好まれ、一般庶民の家では蔦が使われる他、オールマイティーな五三桐は、結婚式場ではたいてい用意されています。でも、自分のうちの女紋があるときは結婚式ではそちらを指定しましょう!そのほか、当研究会の調査ですと女性に好まれる花や植物紋がよく使われているようです。 ちなみに確認しているだけで、三つ割り梅、片喰、三つ割り菊、揚羽蝶、丸に蔦、藤輪に桔梗、丸に葉敷き牡丹、抱き茗荷、笹竜胆がありますし、当研究会の推定分にいたっては梅鉢、丸に梅鉢、檜扇、抱き沢瀉、三つ柏、蔓柏、丸に抱き梶の葉、丸に三つ雁、丸に桔梗、丸に五三桐、丸に九枚笹、陰七宝に花菱、橘、丸に橘、丸に揚羽蝶、丸に渡辺星、上がり藤、丸に下がり藤、丸に木瓜などなど、家紋の種類があればあるだけ際限なくでてきそうです。この他に近藤先生が指摘されているのは、花菱、立ち沢瀉、三つ割り沢瀉などもあるようです。【女紋の分布】女紋が日本全国すべてで使用されているかどうかといえばそうではなく一部の地域に限られているようです。近藤雅樹先生によれば、女紋は関東地方ですと千葉県、それ以外は瀬戸内海の沿岸各府県(広島県、兵庫県など)で見られるとあります。京都では使用されていると聞いております(注1)が、それ以外のそういった習慣のない地域の人たちにとっては、『女紋?なんやそれ?』ということになります。『結婚して姓も変わるのだから、紋も嫁ぎ先のを付けないの?』という疑問を抱く人もいますが、岡山県の場合、それは女紋で由緒があるのだということを頭の隅にでも入れておいて頂ければ幸いです。ただし岡山県でも内陸にはいった吉備高原の農村のふつうの農家では使っていないようです。逆に、ずっと内陸に入っていき津山市までいくと庄屋クラスより上の家だとか豪商の子孫では女紋はみられます。要するに昔お金に余裕の有る家でのみ使用されたのでしょう。【現在の女紋】定紋と違い、規制にひっかかることもないです。カラフルなので自分のすきなのがいいんだったらそれをつかっても差し支えは無いです。ただ、何代前かの祖母の家の家紋を使うほうが由緒ありそうにきこえるのも確かですから、詳しくは家紋を描いてくれる紋章上絵師さんに相談しましょう!女紋のより詳しい内容は近藤雅樹先生の著作『おんな紋 血縁のフォークロア』(ISBN:4-309-24156-5)を図書館でご覧ください。(絶版のようですので本屋にはありません)注1)京都では自家の家紋の付加された輪の部分を取って女紋と称していると紋章上絵師さんに聞いたことがあります。例)家の家紋:丸に五三桐ならば女紋は五三桐、家の家紋:丸に三つ柏なら、女紋は三つ柏という風に。