「この程度」の程度の食い違い
よく、暴力を振った側とそれを受けた側の感覚が食い違う事があります。たとえば、教師が「軽く顔をはたく程度」だというものが、それを受けた側は「ひどく殴られた」になる場合。 これ、どちらもウソはついていないんです。きっと。しかし、叩いた側と叩かれた側では絶対に痛みや辛さは違います。で、当然どちらが正しい受け止められ方か?ここに第3者による「客観性」というのは存在しません。あくまで暴力を受けた被害者の感覚が全てです。 「あの程度の体罰なら・・・」なんてのは幻想です。それを受けた側がどう感じるか?いじめと一緒。いじめる側は遊び半分でも、いじめられた側は自殺にまで追い込まれるように。そして、加害者は最悪の事態になって初めて気がつくのです。「まさか、こんな風になるとは思わなかった」と・・・ 体罰を与えた教師が、今まで殴ってきた生徒から殴り返されたとしたら?きっと驚き、そして怒るでしょう。その生徒は「教師に暴力を振った」として謹慎や退学処分など受けていたかもしれません。 そこに愛などまったく感じない。反撃されない場所からの一方的な暴力です。 いずれにせよ、あんな悲惨な事件が起きた後、続々と全国の学校部活の体罰報告が上がっています。表ざたになった途端、慌てるような指導は、はたして教育といえるのか?そこが問題です。