任天堂の「ゼルダの伝説」の開発者インタビューで、謎解きのゲームバランスについてどう設定したか?ということに対し、開発者が「これ、俺は何とかクリアできたけど、他の人には難しいんじゃないの?」とプレイヤー全員が思うバランスを目指したとか。
つまり、「自分だけが出来た」という優越感を多くの人が感じるのが、最高のゲームバランスだとか。
なるほど。確かにこの優越感を与える、という発想はすばらしい。対戦やネットゲームでない限り、ゲームは基本個人の孤独な作業。そんな中、自分だけが到達できた、という雰囲気を出せるのはすごくうれしかろうと。
これに似た現象にKeyのノベルゲーム「AIR」が発売された後の批評系掲示板を思い出しますね。「この作品は俺は好きだけど遊ぶ人を選ぶだろう」という意見が目立ちました。ええ、大半の人が(笑.つまり、みんな「自分だけはこのゲームの理解者だ」と思える構成であったからこそ、より印象強く思ったのでしょう。
最近だと漫画「デトロイトメタルシティー」が上げられますね。私もそうですが「あんなにカルトで下品でくだらないマンガ、俺は好きだけど、これはメジャーにはならないだろうなあ・・・」と、思っている人がいっぱいいたんです.だから単行本が売れまくったり「この漫画がすごい」で高得点だったり、映画化されるほどメジャーになったり。
こういう「自分だけが理解者」という優越感を実は多くの人が共有する、という構図に持ってこられると、ファンが自主的に応援&布教してくれるという良いサイクルになるんでしょう。
もっとも、それでメジャーになりすぎると初期のファンが「にわかファンが増えて、ファンの質が下がった」という、訳の分からない不満が出ますが。
それは「自分だけ理解者」という優越感が殺される焦りなのでしょう。