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自分の中でのポリシーに
「自分の思考を通した時点で、完全な客観性などというものは失われる、だから、自分を中立だと思わない心、他人に都合のいい中立性を求めない心が肝心だ」と言うのがありまして。 例えば、ゲームに対する意見でも、自分がまず開発者である、という立場にいる以上、どうしても完全なお客さんにはなれない。視点が開発者寄りになってしまう。これは仕事をすることによって本来お客さんには必要のない知識を知ってしまったり、自分も苦労をしているから、他のゲームの多少の粗や発売延期なども許せるようになってしまった、のだけど、本来、それはお客さんの立場になると「関係のない、コッチの勝手な都合」でしかない。その時点で中立性などは完全に失われる訳で。 昔、歌手:さだまさしさんはある楽曲で「右翼的」と言われ、別の楽曲で「左翼」、関白宣言と言う歌で「女性蔑視論者」その後に書いた曲で「女々しい軟弱者」と、出す歌の歌詞で勝手に立場を断定され、いわれのない批評された、とコンサートで語られたことがあります。 その際にさださんはこう語りました「人間に左も右も上も下もない。その時の自分の目から見て、相手が右側にいるか、左側にいるか?上にいるか下にいるか、だけの違い。本当に中立という言葉があるとしたら、それは単なる「無関心」か「無関係」という人だけ」 人間が何か意見を発する以上、中立ということは考えられないのですよね。「数字は中立だ」という言葉がありますが、数字も例えば100万本売れたソフトを「採算分岐を超えて大成功」と見る人も「前作は半分の期間で開発して200万本売ったから失敗」と見る人もいる。同じ数字でも立ち位置によって変わったりもします。 だから、私のBlogの意見もあくまで「私の意見」です。ヘンな中立性とか、公平さを他人に求めないでください。たくさんの人の意見があるからこそ、多様性が生まれる訳ですから。そして、他人を批評する際に「自分は中立だから正しい意見」と、胸を張って言える様な恥ずかしい勘違いはしたくない。そう思います。
「個人的な意見」というのは当然でありますが、その上で「自分が正しいと思う事」を書かないといけない&発言には責任をもつというのが、こういった不特定多数の目に触れる場所でのマナーでしょうね(たとえ転載であっても)
少し前の話になりますが漫画「ゴーマニズム宣言」 その歯に衣を着せぬ論調と見てみぬふりをする諸問題に、 あえて突っ込み話題になった本ですが、同時に過激な言い方が批判の対象になる事も少なくなく。 その際に「この漫画は最初に「傲慢」である事を宣言する事によって、それを免罪符とし、どんな意見を言っても良い」と勘違いしてる、という物がありました。 その意見を言った人が、作者を頭ごなしに封殺してしまおうという人だったので、賛成は出来ませんでしたが、同時に「個人的意見」と付ければ何言ってもokと考えてる人は確かに少なく無いなとも思いましたね。 (2010.04.18 17:10:41)
いやいや、貴方を中立だったなんて微塵とも思わないですよ。
貴方は自分が手掛けたモノを叩かれるのが怖くてひた隠しにする割に、業界や他人の作品を批評したり、 都合のいい部分でだけプロのクリエーターであることをひけらかす小者でしかありません。 そういう手合いの書いているブログだと思ってますから、どうぞご心配なく。 (2010.04.19 19:50:41) |
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