ふと思った事。
例えば、自分が興味のない趣味、個人的にはパチンコであったりバイクであったりタバコであったり。そういうものに対する情報って、基本「悪い情報」の方が多く入る。だからこそ余計に「自分が理解できない趣味=悪」 に仕立て上げやすい。
例えば、私は以前はAKB48にまったく関心がありませんでした。むしろCDを無理やり買わせる商法とか、TV局のゴリ押しプロモーションなど、メンバーの名前を誰一人言えない程度の知識の癖になんとなく嫌悪し、忌み嫌っていました。
しかし、今、週刊少年マガジンで連載しているマンガ「AKB49~恋愛禁止条例~」を読み、これがマンガとして熱い!面白い!そうすると、現実の彼女たちを見る視線も自然と好意的なものとなり、TVや雑誌などで活躍している姿に「がんばれー」と応援したくなるような。
これって自分が秋元康に騙されている、とは思わないんです。むしろ、知識がまったくない状態で悪評ばかり先に耳にしている状況の方が、世間の風評に騙されている、とは思わないか?そして、そのマンガのおかげで現実の彼女たちがあの場所(ステージ)に立つための努力とか、熱意ってのはマンガとしての誇張はあれど、楽をして上り詰めたものではないと。
世の中の趣味は市場として成り立っている理由は「それを深く知っている人」が楽しんでいるから。だからこそ、安易に知らない人間が世間の風評で悪い情報だけを集め、第3者的立場と称して語るのは「何も知らない」のと同じで。
自分だって、ゲームを遊ばない人間やマンガやアニメを見ない人間に「あんなものはくだらない」と言われたくない。それと同じことを他の趣味にしてはいないか?そう常に思ってます。