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あるネットでのやり取りを見ていて。
いわゆる「今まで既存マスコミや偏向歴史学者、日教組に俺らは洗脳されていた」とカキコミしている人と、それに対して「その情報、どこで手に入れたの?」という問いに「ネットにかれていた、ネットにはこんなにたくさん書いてある」と。 で、思ったのは「ネットのたかが20年程度のその書き込みより多くの人が実名を出して資料を提示している文献や海外の識者の意見もあるのに、なせそっちは「歪められたもの」と信じないの?」という。 結局のところ、昔の事を調べる、というのは資料の新規発掘よりその膨大雑多な資料からの精査の方が大切で。で、一つの現象、事件でも様々な断面がある。だから自分にとって都合がいい、心地よい、信じる事によって民族的アイデンティティーが保てることが「歴史の真実」ではないと思うのですが。 だから私は、一方的な自虐的歴史観も、その反対の一方的被害国論も首をひねっているんです。特に第2次世界大戦のような世界的狂気の時代はどちらにもなりえて当然なのですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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