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自分の子供のころ、それこそ30年前には、小学生が入学するにあたってランドセルの色というのは「男は黒」「女は赤」と決まっていました。多少のデザインの差はあっても、それ以外の基本色はカタログにもほとんどなくて、結局選択肢がそれしかない。
で、昨今デパートのランドセルコーナーを見ると、それ以外の色、水色、ピンク、薄いグリーン・・・さまざまな色があって。基本人気は赤か黒かになるようですが、それ以外のランドセルもおかしくはないし、世の中に出たことで不都合がある訳じゃない。だとしたら、私の時代の「男は黒、女は赤」という決まりの根拠は何もなかった、といえるのではないか。 夫婦別姓とか、同性婚といった問題は私はそれに近いと思います。それまで2択しか認めない世界に別の色、という選択ができるようになった。それに惹かれる人の自由が広がることは昔より自由が増えたことであって、、決して赤、黒のランドセルがほしい人の権利を阻害しているわけじゃない。 だいたい「ランドセル」なるバッグが日本の小学生の記号になったのも昭和30年以降。それ以前の子供は昔の映像など見ると肩からかける白いかばんだったり。 ちょっとおかしいなと感じたアンケートの読み方に、産経とFNNの世論調査で夫婦別姓についてのアンケート、保守寄りとよばれるこの会社のアンケートであっても賛成51%、反対42%と上回っていました。しかし、産経新聞の論説では「実際に別姓を希望する人は13、9%、別姓に寛容な20代でも20%にとどまった、だから世論の支持は受けていない」と・・・ おいおい、逆に一割以上の人が法律さえ整えば別姓にしたい、ってことじゃないのかと。また、これが社会的に常識になれば、上のランドセルの色と同じで「赤黒以外も当たり前」の世の中になると思うのですけど。 自由というのは選択肢の幅があること。夫婦別姓も同性婚も、必要としている人のための自由であることを理解してあげないと。「伝統的家族観」なんて戦後の時代にあわせて作られた概念もたくさんあるんだし。 男はこうあらなければならない、女はこうでなくてはいけない、家族とはこうあらなければならない、というのはあくまで個人の信条であって、そうは思わない他人に強要したり法律で規制するものじゃない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ランドセルの色の例え、大変分かりやすい且つその通りだと思いました。
自分が子供の頃は黒と赤以外にも茶色やピンク色という他の色が出始めた時代でしたが、その色を選んだ人は奇異の目で見られていた事を覚えています。しかし時と共にそれを気にするような人はいなくなりました。彼らのランドセルは茶色なんだと、ピンク色なんだと、それが彼らの色だと認識すればそれが普通になるのだと思います。 茶色やピンク色以外にも色んな色を選べる世の中、私は生きやすくていいと思うのですが…。 (2015.12.27 19:08:08) |
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