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タトゥー(入れ墨)に関する表現の自由について。
先日、家族と温泉に行ったところ、入り口の注意書きに「刺青のある方の施設利用をお断りしております」という一文があり首をひねりました。 で、日本だと入れ墨=ヤクザ、反社会的勢力 の見られ方が非常に強いからこその注意書きなのでしょうが、たとえば海外のスポーツ選手、それこそプロバスケット、野球、アスリートの一流選手や人気格闘家、そうでなくても人気俳優、また、芸能人だけでなく先日も電車に乗っていたらごく普通の子供連れの外国人らしい家族の父、母の腕にワンポイントタトゥーがあり。 また、日本でも普段露出しないところに入れている、なんて人もいます。 で、こういうツイッターを この中でうなずいたのが --------------- タトゥーを肯定する/タトゥーを否定するって考え方自体よくわからない。みんな他者に対する肯定も否定ももう少し別のところでした方がいいし、実際普段そうしてるんじゃないの ---------------- これはよくわかる。よく道徳の基本で「人を外見で判断するもんじゃない」といいますけど、明らかに外見で損をするというのはこういうことです。しかし、以前見た世界紀行ドキュメント番組でアフリカのある部族は、大人になった証として体にその集落独自の文様を入れることで「一人前の男として」受け入れられる、むしろ晴れがましい文化であったし、宗教的儀式で入れる、日本でもちょっと前だと大工などの職人が心意気を彫ったり、という文化はあって。 で、日本はこれから多様性のある社会を作る、という国家戦略がありますが、その場合、その入れ墨を入れたアフリカの部族の人が「日本の温泉という文化を体験したい」というのを拒むことができるのか?単に「入れ墨を入れている」というだけで温泉に入れない、プール禁止、スポーツクラブ利用禁止 というのは明らかな身体差別になるのではないかと。 これに対して「入れ墨は自分の意志で入れたのだから自己責任」という言葉がありますが、それは反社会的勢力や犯罪者でもないのに公共施設を使えない理由にはなりません。 考えると、自分が学生だった30年ほど前は「髪の色を茶色などに染めるのは不良の証拠、将来、接客業にはつけない」とされていました。が、今はごく当たり前になっていますし、それで接客業を行っても何も言われません。 服装、髪の色、タトゥー・・・これらが単にファッションという表現の自由で、それで相手を評価しない社会こそ「多様性を受け入れる文化」になると思います。 ・それに、「きちっとした服装」というものも、場合によっては相手に威圧感や拒絶感を与えます(黒のジャケットやがっちりした軍服、高級な女性の着物など。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.17 09:33:54
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