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これは「会社として」謝罪することは正統なのか?と思ったこと。
韓国ヘイト垢が一枚の作品からDeNA社員と特定され会社が謝罪 要約すると「個人で韓国に対する人種差別的発言を書き込んでいた人が、身元を特定されその所属会社が謝罪ということ。 しかし、ここは大きく引っかかるところがあって。これって内心の自由を会社が制限することにつながっていないか、ということです。 この女性の行っていたヘイト書き込みの内容に関しては反吐が出る内容で。この手のことを声高に言っている連中の一人なのでしょう。論理矛盾と知識の無さから生まれる差別文で聞く価値はない。 が、しかし、この意見はどんな内容であろうと個人の内心の自由です。特に企業名を出した公式の場で書いているのではなく、個人のつぶやき。それに対して今の会社が「こういったことを個人のTwitterであっても発言するな」というのは違うと思います。 逆に考えるとこの恐ろしさがわかると思いますが、たとえば休日に「今の政権のやり方に反対!」と訴えるデモに参加していることを、会社から「ネットで匿名のメールがあったのだが、君は先日のデモに参加したそうだね?わが社は現政権を社長が支持していている。で、ある以上、今の政府を批判するような運動に参加してはいけない、それができないようならうちの会社から出ていきなさい」みたいなことも言うことができる。 内心の自由がこの国では保証されている。今回の件に対して会社側は「今後、同様のことが発生しないよう、従業員教育を徹底してまいります」と回答していますが、この場合の教育とは何を意味するのか? 降格や査定評価を落とす、のような制裁を加えるようになったとしたら、それこそ「内心の自由に踏み込む」ことにならないか? 私は、所属組織の名前や力を使わない以上、個人の意見は分けて考えるべきだと思います。このヘイト文を書いた人には一切賛同しない、ですが、個人の発信の自由まで会社に左右されてはいけない。 例えば、自分が休日、Hな同人ゲーム作っていることを「そんな怪しからんものを作ってはいけない」と今の会社に咎められる、そういう不自由があってはいけないと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.09.19 08:57:52
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