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イースⅠ・Ⅱ通史(番外):イースグローバルガイドブックの謎
なかなか面白い昔のゲームの裏話・・・のようですが、実は「現場でアドリブで決めて、あとから設定やら意味を作った」というゲーム作りは普通にあります。 と、いうか私もゲーム制作歴が長い(一番最初は個人製作のPC88)のでわかりますが、当時ってグラフィッカーに専門的美術センスがいらない時代でもありまして。というのが8×8ドット、あるいは16×16ドットのサイズ、8.あるいは16色の色数でちまちましたキャラアニメーションを書いたり、チップを組み合わせてマップを構成する、だと経験さえ積めば素人にもそこそこのものが打てる(もちろん、センスがありますがむしろ打った経験の方が重要)。美術的なデッサン力とか色彩感覚以前の問題。むしろ限られた条件でどれだけゲーム画面を描けるか、の方が重要な時代。 で、なぜイースという日本のRPGにおいての金字塔のようなゲームですら、モンスターデザインが完成後から書いたようなことになっているかというと、逆に最初からゲームできっちりデザインを決めるという方が稀で。まじで「適当に雑魚作っておいて」みたいなことが当たり前の時代だったんです。 だからドラクエが出た時に「キャラクターデザイン、鳥山明」というのにびっくりしたぐらいで。と、いうかゲームを先に作ってあとからパッケージデザインやマニュアルのキャラ絵をイラストレーターに起こしてもらう、なんて当然の時代でもあります。 ドット絵の後期の、現場でいよいよ開発規模が大きくなってきたあたりからはさすがに意思統一のため最初にデザインやネタを仕様にしておくようになりましたが、まだ開発者5人とかでやっているときは今のような完全分業になっていない、プログラマーがドット絵を書く、デザイナーがプログラム組む、サウンドの人がプログラムをする、なんてのもごく普通、逆に美術系大学卒業生が初めてドット絵ツール渡され(当時はパソコン持っている人も少ない)「こんな小さくて色数も使えないキャンバスで何を書けっていうんですか!」と切れた、という話もあります。 思い出話になりましたが、だから上のように「売れたソフトだからこういった本を作るために後付けで設定やストーリーを勝手に考えてくっつけた」という、奇妙な資料本が残っている。 むしろ「たかがゲームの設定なんてそんなもの」という、おおらかさがある時代の話です。 ・・・というか・・・今でもありますけどね。アイデアも含めて現場に丸投げ、できあがってきたものを「これにはこういう意図があって」なんてインタビューで言う企画者とか(怒) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.10.21 09:52:44
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