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フェミさんのデマから学ぶ漫画の焚書
私は古いオタとしてはっきり言いたい。 「この国には昔から、そして今も漫画やゲーム、アニメなどを自分が嫌いな表現を規制するのに「子供のため」を持ち出す、いわゆる「立派な大人」を装う卑怯者がいる」 ということ。 と、いうか手塚マンガの焚書の例を出すまでもなく、私も経験している。それは宮崎事件。わずか30年ほど前に起きた事件で、当時のオタク文化はとんでもない迫害を受けた。この国では何か大きな事件があると、即、マンガやアニメ、ゲームに結び付け、それを愛好する人間が何もしていないとしても「危険だ!」と理不尽に規制する。 当時のオタクに対する迫害、メディアでの叩き、そして、「オタクはそういう嘲笑の対象にしていい」という風潮はあの時に作られた。その傷跡はいまだ深く。 そして、わずか30年程度でその歴史を「なかったこと」にしようとする連中が出てくる。ここにきて日本政府がアニメやゲームなどを「クールジャパン」「世界に誇れる日本の優れた文化」などと、まるで国がずっと支援してきたかのようなふるまい。舐めてやがる・・・コミケの歴史を紐解いただけで、どれだけオタク文化の危機を行政によって作られたかすぐに読み解ける。完全な歴史修正だ。 上のまとめで「手塚マンガの焚書はなかった、証拠がない」といったとたん、あらゆる方面からごっそり資料が突き付けられ、本人は遁走した。みんな怒っている。それだけ古いオタクは闘争の歴史を、身を持って戦ってきた側だから。 好きなものを好きと言ってはいけない。それを言うと「みっともない」「いい年齢でアニメかよ」「あんなものを読んでいる人間はろくな大人になれない」今でも言われることがある。いや、それどころかオタクの中にさえ「〇〇なんて読んでいるのはクソ」「ソシャゲーに金を落とす馬鹿」「ユーチューバー(笑」のような、自分の理解のないジャンルを嘲笑する連中もいる。 上の焚書の怖いのは「国の命令」ではなく、民間の、先生とかPTA,教育者という子供を指導する側が自主的に行ったこと。平気で自分たちの表現の自由の首を絞める。事なかれのために。 余談だが、先日、こち亀で長くジャンプを支えていた秋元治先生が紫綬褒章を、スーパーマリオなど任天堂の代表的キャラを作ったゲームクリエイター宮本茂さんが文化功労章を取られた。どちらも「子供に悪影響を与える」と言われた作品を長く作り続けた偉人。その功績は手塚先生と比べても何もひけをとらない。 さて・・・あの時、彼らを叩いていた大人たちは、今の結果に何を思うだろうか?自分が愚かなことをしていたと恥じているだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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