丸川氏の夫婦別姓反対 首相「さまざまな考えを持つことは当然」
オリンピック委員会の代表になった橋本聖子氏の代わりに男女共同参画担当相となった丸川氏が、自民党の夫婦別姓反対を地方自民党議員に要求する通知に署名していたということが発端ですが。
私は以前からこの問題(夫婦別姓)は「小学校に行く子供に男子は黒、女子は赤のランドセルでなくてはいけない理由は何もない。それこそ黒も赤も、それどころか最近は水色、ピンク、ベージュ、など様々な色があり、もっといえば別に四角いランドセルである必要もないはず。本人(子供)が求めていないにもかかわらず「男は黒じゃないといけない!」って他人の子供にまで自分のやり方を強要する連中」だと思っています。
こうやって考えると恐ろしく我がままで。特に結婚するとこの国では婿養子以外、女性が男性の姓になることがほとんどですがそれによって発生する各種届け出や手続き更新は煩雑です。
で、上で首相は「さまざまな考えを持つことは当然」と言っている。アホかと。様々な考えを持つのが当然だから、各自に選択肢で夫婦別姓を許可しようという話ではないのかと。今まで通り夫婦同姓がいいという2人に関してはそのまますればいい。自由というのは「選択肢があること」だ。
しかも、当の本人の丸川議員は結婚しているのに自分は議会や選挙ではアナウンサー時代の丸川の姓を名乗っている。同じく議員の夫と姓(大塚珠代という名前)を統一しないのは「それによる選挙での知名度不利益」を知っているからで。都合がいいったらあきれるばかり。
「夫婦別姓になると家族の絆が薄れる、子供がいじめられる」と訳の分からない理屈をつける議員がいる。アホかと。世界には夫婦別姓の国なんていくらでもあるし、子供のいじめはもし、それがあるとしても「珍しいから」であって、別に珍しくなくなればいじめの対象にはならない。それどころか日本の一般人の苗字というのも実は明治以降に決められたもので、それまでは士族以外、「○○村の太郎」とか「△△長屋のオトヨ」みたいな、地域でつけられていた。それほど歴史のない急造文化。保守系議員の言う伝統的でも何でもない。これも小学生のランドセルの歴史がたいして古くないのことに似ている。自分の父親世代はランドセルではなく布かばんや風呂敷など、特に決まったものではなかったのだから。
オリンピック森元会長の女性差別発言で取り立たされた日本のジェンダーギャップ指数の根本は、こういう理不尽で作られている。国会で野党が夫婦別姓を求めた時に「だったら結婚しなければいい!」とヤジを飛ばした議員がいたが、結婚はあくまで両性の合意のみで認められること。それを「姓を変えたくないら結婚するな」というに等しい発言をするような自称「保守」の議員たちとはいったいどこまで思い上がっているのか。