本来のフェミニズム、ジェンダー平等というのは
「性差によって規制されていた、男だから、女だからという理由で規制、禁止されない社会を目指す」ということだと思う。男が女の服を着てもいいし、逆に女が男の趣味とされるもの、男性にしか許されない仕事などの特権というものがなくなる社会と言っていい。つまり、性差による規制からの解放であり。
ちょっとネットのニュースでも話題になってますが、千葉県松戸市ご当地VTuber「戸定梨香」が、松戸警察、松戸東警察の交通安全啓発活動に協力。ということに対して、フェミニズム団体が「性的なキャラで公的な機関が扱うのはふさわしくないからやめろ」という抗議に即座に対応したことが問題になっております。
で、ここで同じことを思い出したのが、何年か前に島根で起きた「はだしのゲン 図書館で閉架問題」です。こちらもたった一人のしつこい「こういう漫画はけしからん!」という抗議に、きちんとした論議もされず図書館の棚から外された(申請しないと読むことができない)問題で。
上記2つの事案の共通するところは「一部の抗議に対して何の検討も検証もせず、行政側が単に「面倒だから」という理由で表現の自由の侵害に応じたこと」であり。
私は、たとえば「学校の制服で必ず女子生徒はスカートをはかなくてはいけない」というのはおかしいと思うし、逆に男子生徒がスカートをはいてもいい、と思っています。が、これに関して「女性がスカート、男性がスラックスの制服を着ている集合写真を学校の紹介写真に使うのはジェンダー平等の思想から不快だ!取りやめるように!」というのは違うと思います。
上のVTuber「戸定梨香」というキャラのコスチュームが性的だからやめろ!というのは一つの意見として発することはかまわないです(世の中にはそう思う人もいます)。が、それに対して行政側が即、それを取り入れて決定していたものを開かれた場所での論議もなく取り下げる。これは怖いことで。
ちょっと前に胸の大きいマンガキャラの献血ポスターに似たような事案がありましたが「胸の大きさなど女性を性的な記号として使うことはけしからん」というのは、それこそ胸の大きい実際の女性に「見苦しいから胸を小さく目立たなくするコルセットを付けろ!」という、フェミニストが本来嫌うべき「性差による規制」と何が違うのかと。
ましてVTuber「戸定梨香」は現実には存在しない。