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「表現の自由とは、国や他者によって個人の表現を脅かされないことだけではなく、自分も他人の表現を規制しないことでもある」
という大前提があって。作品に対する批評はいいんです。こういう漫画は嫌いとか、こういう映画はつまらんとか。それはあくまで個人の「表現の自由」ですから。そこで行われる論争は自分がどっちの意見であろうと存在は許されますし、公の場で行われた場合、他人がそれを聞く権利もある。 ですが「だから書かせるべきではない、発表させるべきではない、流通させるべきではない」が、表現規制なんです。 日本共産党の議員が「(エロなど)行き過ぎた表現にはその作者が儲からないようにして、そういった作品を作らない環境にする」と・・・これはとんでもない話で。もっといえば、そういった本を出している出版社に印刷所が輪転機を貸さない、銀行に圧力をかけ取引に応じない、ネット販売ではすべて審査を通し、判断が半年以上かかる、など嫌がらせを行う、などが考えられます。 これは「表現の自由はある」ようで、実質の規制であり。 日本共産党は戦前から「アカ」と呼ばれ、拷問や投獄、それによる死など、国家権力から多大な弾圧を受けてきた歴史があります。が、それと同じことをこの議員はするつもりなのでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
これ、厄介なのはオタク側にも規制賛成派がいることですよね。
自分の嫌いなものだけ排除されて自分の好きなものは保護されるという都合良い考えを持つ人が意外と多い。 昔、ギャルゲーの類いをめちゃくちゃバカにしてたゲーマーが居たんですが、彼はAirやKanonといったいわゆる鍵作品については信者といって差し支えないレベルでファンでした。 本人によれば『鍵作品は様式が似ているだけでギャルゲーなどという低俗な代物とは違う』らしいです。 同じように萌えアニメを批判しながらラブライブなどのアイドルアニメは好きでラブライブ叩きが起こって慌てだしたり 世の中に良いアニメと悪いアニメがあって、自分はそれを見分ける才能と権利があると思ってる人がオタクにさえ居る (2021.10.23 19:40:05) |
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