「絵コンテは絶対」
という言葉があって。これは映像を作るにあたって、基本のカメラワークになる絵コンテというのは設計図みたいなもの。だから、この設計図通りに作って、もし追加、修正がある場合は絵コンテを新たに起こしてからその修正に応じる、ということがあり。
ですが、よくこの不文律を外野が破る。あるゲームの動画を作っていて、事前に上の人のOKが出たコンテ(こっちは専門のコンテマンが書いたもの)通りのカメラ、フレーム、動きの内容を作った仮動画を提出しまして。で、これでOKが出たので本格的に作りこみを始めました。
で、その動画を実際にゲーム内で再生し、エフェクトや音の作業を・・・って段階になって突然「このカメラ、もっとこっち側から映した方がいい。このアングルだと見栄えが悪いから内容変えて」みたいなのが、他の部署(モデラー)のリーダーから出てきた・・・
こちらとしては「あの、コンテ通りに作ってそれに対してOKが出たから作りこんだんですけど」と言うと、「コンテはあくまでたたき台。実際に見ておかしいところは直すのが当然」と・・・で、私は「修正はかまいませんけど、その場合、修正部分を新しく書きこしてもらってから・・・」というと「そんなのカメラでちょちょっとなおすだけでいいでしょ?」
ここでコンテを書いた人がムッとして言います「コンテを書いているのは私で、これでいいというGOサインをもらっています。もし修正が必要である場合、上長とスケジュール変更を含めて相談するので私を通してください」と。
ここでバチバチですよ・・・
個人的には「コンテは絶対」だと思っています。というのが上のモデラーの人が言った「ちょちょっとカメラを変えるだけで」という言葉、おそろしく「責任がない言葉」なんです。カメラの位置を変えるっていうのは流れを変えることでもあり。本来、フレーム外なので作ってない部分がカメラに入ることになったり。
また、映像って個人の感性が全く違うので、誰か一人に全権委任しなければまとまらないんです。この場合、絵コンテを書いた人の映像感覚を私は信じるのは、もし修正があってももう一度コンテを書いてもらえるから。よくあるのは「カメラをもうちょっとこっちに・・・いや。もっと手前…そうじゃない、もっと奥に動かしてから左に振って・・・なんか違うなあ・・・じゃあもっちに」ということをされる。それは映像が脳内にできてないから。個人で試行錯誤するならいざ知らず、そんなものに付き合わされると、的のない場所に砲弾を撃ち込んでいるようなもので。
コンテはたたき台ではありません。あと、この手の事って外野が口を出すといつまでも決まらないんだよなあ・・・そういうのは社内の上下関係でやらせると迷走します。