幸慶家の農業日誌

2008/02/05(火)13:07

思い出に「したって」います。

老いさんの回顧録(18)

昨日、新聞チラシの「ジェットストリーム」の事を投稿したら、Mits1977さんが、 ジェットストリーム。あ~懐かしい響きです。 学生時代にバイトしてレシーバーとカセットデッキを丸井でクレジットで買い、この番組を録音して 田舎の友人に送ったことがあります。 当時、愛媛では民放のFM局がありませんでした。 懐かしい思い出です。と、懐かしい、学生時代の事を・・・それを見た老いさん、「嬉しくなってしまい」今日は、そんな、思い出話です。あの頃、「安保、東大安田講堂」闘争の少し前頃・・・四畳半のアパートには、一寸した「流し台」と「ガス」が有っただけ。電話?トイレ?風呂?・・・とんでもない! TVでさえ、持っている学生は皆無な時。ただ唯一の楽しみは、「オーディオ」関係か。中には、「アマチュア無線」に凝る人も・・・老いさんも、Mitsさんではないが、「丸井」を利用した。 たしか、キャッチコピーが「駅のそばの丸井・・・」クレジット専門だ。持ち運びの出来るラジオが欲しくて・・・ 色々迷った挙句、「ホームラジオ」にもなると言う事で、「ソニー」のラジオにした。 縦×横が25C、巾が10C位・・・木枠に覆われているんです。 当時は、ステレオ放送なんてないのね。 老いさんは、金が無いから、実現しなかったのですが、ソニーの振れ込みは、 同じのをもう1台準備し、NHK第一、第二をそれぞれで受信。これで「ステレオ放送」だ!(確かに、そういう番組も有ったね)なんてね。このラジオは、お陰様で「持ち運びが出来る」木枠だから「音」もソフトな音色で、 「電池」で野外でもOK。何処へ行くのにも持って行った。 帰省の時、合唱団の合宿の時、近くの公園への散歩の時・・・ このラジオ、「腰を掛ける」事もOK。OK尽くめのラジオだった。何処かに「写真」が有るはずだが・・・むこうの家かなあ~聴くのは日常茶飯時・・・だったが、sirokurousagiさんも聴いていた「ジェットストリーム」はもちろんの事、宮田の姉さんのこのフレーズを聞いたような気がします ラジオといえばオールナイトニッポンを聞いていました 私が聞いていたころはタレントさんじゃなくてニッポン放送の方がやっていましたそうですね、仰るとおり、日本放送アナウンサー面々による 「オールナイト日本」が、インパクトが有る。毎日、曜日によってのパーソナリティーが変わるのね。「さぁ~今夜も、張り切って行きましょう!GO,GO,GO~糸井五郎ですよ!」「ハァ~イ、皆さん、今晩は、世の中の女性をとりこにする・・・貴女のそう貴女の高崎一郎が今宵のお相手ですよ」「今夜も国産ムスタングに乗ってやって参りました、春日部、今治のテッチャンですよ」「亀ちゃん事、亀渕アキノブ・・・」 (この方、何時ぞやの堀エモンの時のニッポン放送の社長さんになったんですよ)中でも、高崎一郎さんのしゃべりを真似したね。後、。「文化放送」のセイ・ヤングだったかな? レモンちゃんこと、落合恵子さん。ねえ~懐かしいですね!懐かしい・・・といえば、「G・S」これはまたの機会にね。 若かりしあの頃・・・しばし、思い出にふける老いさんなのでした。

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