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カテゴリ:田舎暮らし
煩悩や迷いや悩みの多いこの世、すなわちこちら側の岸「此岸(しがん)」、煩悩を脱した悟りの境地、極楽浄土のあの世である、向う側の岸「彼岸」(ひがん)。
鮮やかな紅は此岸のファーマータナカを、一時スピリチュアルな想いに誘う。 ![]() 若い頃は思いもしなかった「彼岸」という言葉を、ふと考えてみたりする歳になったということだろう。 彼岸はサンスクリット語「波羅蜜多」の漢訳「到彼岸」の略といわれ、先祖の霊を敬い墓参りをする仏教行事で、春分(秋分)の日の前3日と後3日の7日間(春・秋分の日も含む)を彼岸といい、春と秋の彼岸がある。 彼岸が春分・秋分の日を中心としているのは、極楽浄土が西方十万億土の彼方にあるといわれ、太陽が真西に沈む彼岸は極楽浄土の方角がはっきりわかるから「彼岸」に法要が営まれるようになったのだそうだ。 一般的に中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされている。 悟りの境地に達し、仏となる運命のファーマータナカにとっては、この六波羅蜜も押さえておく必要があろう。 六波羅蜜とは、大乗仏教以前からある、菩薩が修めなくてはならない、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つの実践徳目のことだそうで、「六度(ろくど)」とも呼ばれる。 菩薩は、この六徳目を得て涅槃の彼岸に到るという。 布施は、財施・無畏施・法施の行、持戒は戒律を保持すること、忍辱は苦難に耐え忍ぶこと、精進は身心を精励して六波羅蜜を進修すること、禅定は真理を思惟して散乱の心を定止すること、智慧は諸法に通達する智と断惑証理する慧というが、イマイチわかったようなわからんような。 従って涅槃で待つのはもう少し先延ばしにすることとしよう。 彼岸花は津江でも、田んぼの畦等によく観られるが、それはそれで意味があるのだった。 彼岸花の球根(鱗茎:りんけい)は、リコリン(Lycorine)などのアルカロイド(alkaloid)を含み有毒であり、誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたる。 従ってモグラやネズミなどから田んぼのあぜ道を守る目的で植えたともいわれる。 又墓場に彼岸花が多いのも、異臭や有毒性を利用して遺体を動物から守るためだったそうだ。 花言葉の「悲しい思い出」は鮮烈な赤に潜む寂寥感から納得させるものがある。 又彼岸花は異名が多く、死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、捨子花、狐の松明、狐の尻拭い、舌曲がり、舌こじけ、手腐り花、歯抜け草、厄病花等よくもこれだけ不吉な名前を付けたものだと感心してしまう。 その中で別名に「ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)」というのがあり、花の時は葉がなく、葉の時は花がないところからのネーミングだそうで、これはなかなかいいフィーリングだ。 そして花は咲くけど実は結ばない(三倍体)ということで、繁殖は球根(鱗茎)によるもので、こんなに艶やかなのに花はただ無駄に咲いているところが、此岸の栄華必衰の無常をまさしく象徴しているのだろうか。 ただ栄華があれば必衰もやむなしだが、栄華がないファーマータナカの場合、どうも合点がいかない、お彼岸のファーマータナカであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年09月26日 17時27分33秒
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