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ファーマータナカのデイリーリポート

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2014年01月20日
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カテゴリ:農業者
一般的な事業経営についてもそうではあるが、特に農業経営にあっては、パートナーの力と協力が多分に要請される。
今日は、ファーマータナカの結婚記念日について認めた一文を記載するので、私自身のお粗末な歴史と共に、ひいては男という種の不甲斐なさと、連れ合い=女性の偉大さをくみ取っていただければ幸いだ。

最近連れ合いの体調が若干すぐれず(そうご心配には及びませんのでご安心を)、彼女の誕生日(1月2日)や結婚記念日もついついそのままになっていた。
ここはルビー婚式(40年)も過ぎてしまった前期高齢者(65歳~)予備軍としては、絢爛豪華で酒池肉林な満漢全席は自己規制して、慎ましく出かけることとする。
「串焼き とり和」は小さい店構えながらも、庶民的で、清潔な老舗焼き鳥屋さんで安心できる場所。
とりあえず、今があることに、乾杯!!

ここからは与太話余談だが、いきなり思い起こせば41年前、「ボクの髪が、肩まで伸びて」(吉田拓郎「結婚しようよ」)おり、すでに福岡市のS生命福岡支社で真面目に働いていた連れ合いに、遠距離恋愛と称してまさしくヒモ同然に寄生していた貧乏学生ファーマータナカは、若気の至り的求愛本能が頂点に達していた。
正月の慌ただしい最中の1月6日、ガリ版(懐かしい)で手製結婚式案内状を作り、連れ合いの母校のF女学院教会で友人等に囲まれてささやかな式を挙げた。
その足で、身内だけの食事会(何分金欠)のため博多駅に向かう途中、二人の乗ったタクシーが衝突事故を起こしたのは、言わば「心せよ。」と神が出鼻を挫かれたわけで、それからの波瀾万丈の結婚生活を象徴する儀式でもあったといえよう。

「せめて卒業さえすれば何かいいことあるかも」と、学年末試験のために東京へと取って返し、名ばかりの古い新居(もちろん長屋風アパートだ)を構えた。
それでも、渋谷の0101(マルイ)等での安っぽいではなく安い白い家具やベッドの調度は、至福の頂点であったかもしれない。
「登り詰めたらあとは下るしかないと、下るしかないと気付かなかった。」(グレープ「飛梅」)

学生結婚の実態はさもありなん、生きるため、二人でいるため、京王線つつじヶ丘駅から新宿へと、ミニスカートで出勤する連れ合いを幾分羨ましく横目で見ながら、ファーマータナカといえば作業服に身を固め、同じく京王線を逆方向へ更に郊外へと下り、調布市内にある日本精工の下請けの小さな町工場であったS製作所で、見よう見まねで旋盤を回し、案の定お釈迦(不良品)の山を築きながらも、何とか生活の糧を得ようと踠(もが)いていた。
とはいえ、やっぱり帰りには先輩に誘われ、酒屋の裏の瓶ケースを跨いで、不味い合成酒を呷ったりしていた。

一介のプロレタリアートに身を窶し、高度成長を支えたであろう鉄の屑と潤滑油の臭いと汚れに塗れまくりながら、軟弱な腰を酷使して、動けない程痛めたりもした。(腰痛については、連れ合いによれば、麻雀原因説の方に既に軍配が上がっている模様)
そして貧しいながらも、安アパート裏の銭湯に行く時は、「小さな石鹸、カタカタなっ(た)」(かぐや姫「神田川」)ていた。

その後時は流れ、唐突に牧場をやると言ったり、飲食業をやると言ったり、税理士になると言ったり(もちろんなっていない)、百姓をすると言ったりで、幾千の危機を果敢に乗り越える勇気も力もなく、只々連れ合いの忍耐と諦観を中心に担ぎ、当方は微妙に誤魔化したり、姑息に知らんぷりを決め込んだり、不器用に避けたりしながら、それでも何とか今に辿り着いたのだ。
(因みに、当時からエリート街道をヒタ走る友人T氏(何故か友人達はそっち側を走る)は、「お前は、何でいつも苦しい選択ばかりするのだ。」と呆れ顔で真理を突きつつ頭を捻っていたが、エキセントリック(確かeccentricの、ecは~から外れるという意の接頭辞で、centrは中心の意の語根と習ったような…、中心から外れる、うむ常軌を逸するとは何と我に似つかわしい単語だ)タナカにしてみれば、土台無理な相談だったのだ。)

ここまで来た、だからといって、無論安心や油断は禁物だ。
40年分の感謝しきれない程の感謝の気持を、最大限表現する覚悟だけはないわけではないといえないこともないと断言できないこともないといっても過言ではないと言うこともできるという表現も当たらずとも遠からずと言えないこともないと言える。

しかし、連れ合いの冷徹かつ合理的決断力には益々拍車がかかっていると推察され、これからも薄氷を踏むが如き毎日は続く(かも)。





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Last updated  2014年01月20日 07時23分58秒
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