ミッキー・フィン死亡記事ミッキー・フィンの死亡記事 2003年 1月14日・・・粗雑な仮訳なのでご容赦を。(高級紙のタイムズ。芸能記事に関わらず、かなり紙面を割き、詳細に調べてあります。) Mickey Finn・・T.Rexの主要メンバーとして時代のスタイルを定義し、バンドの名前と音楽を不滅にしたパーカッショニスト T.Rexのパーカッショニストであり、時にはベーシストでもあったミッキー・フィンの役割は、その音楽的な貢献をはるかに超えるものだった。 写真やアルバム・ジャケットでは、ストレートな漆黒の髪に、青白く、ハンサムな顔立ちの彼は、暗いアイシャドウに派手なカーリーヘアーのマーク・ボランと対照的な様式美を醸し出している。 おそらく、1969年に彼がティラノザウルス・レックスに参加したことで、グループ自身にとっても、ポップ音楽界一般にとっても一つの終焉が訪れた。スタイルが内容より重要、という点で。 ハプサッシュ&ザ・カラードコートのメンバーだったフィンは、きままなスティーブ‘ペレグリン’トゥックの後釜としてティラノザウルス・レックスに参加した。ボランはもう一人の相棒、スティーブをロサンゼルスで見捨てざるを得なかった。 フィンの参加で、ティラノザウルス・レックスの、風変わりな、トルーキン風味は次第に消えていった。(トゥックのミドル・ネームは「指輪物語」のいたずらな小人にちなんで付けられている。)アルバム「ビアード・オブ・スターズ」がティラノザウルス名義では最後のものとなった。 ボランとフィンはT.Rexとして1970年9月に「ライド・ア・ホワイトスワン」を携えて戻ってきた。妖精についてのナンセンスな歌詞はそのままだが、ボランの曲はドノヴァンスタイルのアコースティック・フォークから、サンバースト・レスポールのエレクトリック・サウンドへの移行し、エッジが利いた、勇ましいサウンドが巧みに作られていた。この曲は全英2位になった。 トゥックに音楽的な才能があったことは間違いない。しかし、ボランはトゥックに才能面で劣っても、トラブルを起こす可能性が少ない、新しい相棒に取り替えるのを躊躇しなかった。トゥックは常にドラッグびたりのジャンキーであり、また、自身のハードロック志向を、ティラノザウルス・レックスに導入したがっているのがボランの気に触ったのだ。ボランは、自分が参加するバンドは常に、彼のためのバック・バンドであると決めていたので。 フィンはまさに、うってつけだった。彼はある時はパーカッショニストであり、常にティーン・アイドルという、その役割に満足していた。(「ちゃんとした」ドラマーは1973年に加入した。)ボランは「彼は歌なんてからっきしだけど、ルックスが最高だからね。」と後に言っている。「ゲット・イット・オン」や「テレグラム・サム」でよく判るように、フィンはバンドの音をさらに「ビーバップ」感のあるものに捻じ曲げ、またある時はまずまずのベーシストだった。しかし、もっと重要なのは、彼はボランの非常に親しい友人だったことであり、ボランが常にスターとしてトラウマに悩まされている間、陽気に元気付けていたことだ。 しかし、ヒットと金が生まれるにつれ、フィンはホテルのスイートルームでおきまりのアルコールやドラッグ・セックスに耽るようになる。T.Rexは「ジープスター」「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」「20thセンチュリー・ボーイ」など8曲連続トップ・チャートに送り出した。が、急に失速した。全くアメリカでヒットを飛ばさなかったのもその一因である。 1975年ごろには、メディアは、ボランは3コードの強烈なリフ以外のスタイルで曲を作れない、と日増しにとげとげしく批判した。ボランは周囲に当り散らすようになり、フィンを含むバンド・メンバーの給料を減らそうとした。既にメンバーの収入はボランと比べてかなりつつましいものであったが。 ボランはT.Rexは1975年3月に絶滅すると宣言した。その後、(※訳注 1977年以降)彼はアルコール・ドラッグを一切やめ、健康を取り戻すために非常な努力を払い、カムバックツアーを開始した。ツアーは大絶賛で、新ムーブメントのパンク・グループとそのファンも賛辞を惜しまなかった。 一方、フィンは、スティーブ・マリオット・グループでギターを弾いていたが、(注:このフィン氏は同姓同名の別人との指摘あり。Thanks to D♂kaさん) ドラッグと酒びたりだった。1977年のボランの交通事故死で彼の問題は更に悪化した。後に彼は、「マークが死んで、おかしくなっちゃったんだよ。僕らは兄弟以上だったからね。」と語っている。 10年後、容貌は衰え、財産を全て失い、フィンは南ロンドンノーウッドの母の元へ帰る。1997年、彼はケンブリッジでのボランの没後20周年記念に出席する。 彼は1973年にT.Rexのドラマーだったポール・フェントンと組み、T.Rexを再結成する。他に4人のメンバーを加え、ミッキー・フィンのT.Rexとし、ヨーロッパから日本までツアーを行った。2001年にはクラッシックなT.Rexナンバーを集めて「バック・イン・ビジネス」というアルバムを出している。 昨年、BBC2の番組にも出演し、容貌は変わってしまったが、誰もがすぐに彼と気づいた。さらには、昨年のボランの死から25周年記念ではボランの息子、ロランを含む2000人のコアなT.Rexファンを前にプレイした。 1991年のT.Rexリバイバルは彼に何ももたらさなかった。フィンは金銭的な問題は耐えられるが、亡き親友ボランがフィンのT.Rexでの役割を目立たなくしていることにフラストレーションを感じると語った。 「僕はT.Rexで重要な役割だったということを忘れて欲しくないんだ。」「T.Rexを聞くときにマーク・ボランと同じに、ミッキー・フィンも思い出して欲しいんだ。・・・完全に忘れられていたら深く傷ついてしまう。」 ミッキー・フィン・・T.Rexのパーカッショニスト・・は1947年6月3日生まれ。2003年1月11日にロンドンで亡くなる。55歳。肝臓・腎臓疾患だった。
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