境界線―1― 「お前ら、挨拶とかはしなくていいのか?」 ラスは年上の二人に最後の確認をする。 「おう! 特に世話にもなってねえし! とっとといこうぜ! 師匠!」 ランクーイはすっかりラスに馴れ、師と仰ぐようになっていた。 「僕も同様です。むしろいつ追い出されるか分からなかったくらい嫌われてますから」 レルロンドはそう言って肩かけバッグの口を閉めたか確認する。二人は非常に軽装だ。 「じゃあ行くか。ランクーイ、お前は教えたことを実践しながら歩けよ。魔法は人が起こすものじゃない、精霊の加護を貰うんだ。自然を感じ、共感し、精霊を見つけられるようになるまでが第一ステップだ。いつどこで精霊が潜んでいるかなんて分からない。常に自然の中に身を置き、チャンスを逃すな」 ランクーイは深く頷く。ラス曰く、優秀な術者は生まれながらに精霊の加護を受けた状態にあるという。世の中の魔法使いは九割がこのタイプであるが、自力で精霊を見つけ出した残りの一割はこの普通の魔術師たちと比べてより強大な魔力を持つケースが多いという。 ランクーイは話の前半で落ち込み、後半で飛び上がった。自然と共感することが近道と聴いて、彼はもう課題をクリアした気になっていた。 町を出て、港都市ブリッジヘッドへと向かう二、三日の間、ランクーイは自然を不自然に意識してみた。土の栄養を吸う木とそこになる果実の一連の流れだとか、さらさらと風に吹かれる海岸の細砂の作り出す波模様だとか、そこに潜り隠れる蟹などを彼なりに感じてみた。だが、中々これが難しいことであった。自然を感じるというのはこうして自然の中に自分を置くことだろう。自然を共感するというのはそこで共にする何かがあるということだろう。 ランクーイは自分なりに自然を感じもし、共感もしているつもりであった。だがちっとも精霊の機運は感じられない。 誰にもどうすることも出来ない。これはランクーイが己で解決しなければならない問題なのだ。そんなことを気付いていながらも、何もしてくれない友と師に理不尽な憤りを募らせ、港都市に入った。 ―2― 宿を確保すると、ランクーイはレルロンドを連れて埠頭へ行った。途中で街に大規模な破壊の後が見られたが、二人には関係なかった。 「どうしたんだ、ランクーイ。少しイライラしてるんじゃないのか?」 潮風が西から東へと時折突風のように吹き抜ける。レルロンドのたれ気味の目が塵を拒み細くなる。 「レルロンド。お前は自然を感じるか?」 まるで憎い敵を見るようなランクーイの鋭い一重の目がレルロンドを刺す。だが、その目は見慣れたものだった。 「ああ、潮の匂いがするな。風も強い」 ランクーイの目が力を失い、防波堤の上に腰掛けた。 「やっぱり俺たちと師匠は違うんだろうなぁ……。師匠はこの自然を、どんな風に感じてるんだろう」 悲しげなランクーイの隣に腰掛けレルロンドは、 「僕と同じように感じてるんじゃないかな。いや、お前と同じようにかも知れない。僕は魔法なんてわからないが、魔法を使える人が皆同じように感じているとは思えないな。人それぞれの感じ方があって、その中から何かを掴み取るんじゃないかな。ま、僕には偉そうなことをいう資格などないけど」 そう笑ったレルロンドの顔を、ランクーイは新鮮だと思った。生まれた時からの付き合いで、色々な顔をお互い見てきた。きっとレルロンドの笑顔はいつもと変わらぬものだっただろう。それを新鮮だと思ったのは、ランクーイの中で答えが出たからだったのか、ただ単に疲れていたからなのか、非常に曖昧な線を二人の間に引いていた。レルロンドからは見えないランクーイの引いた線は大人と子供の境界線であった。ラスがここに居合わせたなら、どちら側に属しただろうか。 ランクーイの中で答えが出た。自らの引いた線を悔しく思い、レルロンドにすら引け目を感じてしまう自分がどうしようもなく小さく、惨めだった。 大人になりたいと、大人とは何かと考えるよい機会になった。 ―3― 「こらっ! あんたなにしてるんだい!!」 突如大声が上がる。果物売りの露店からだ。 「なにって、え? 俺?」 「そうだよ、あんただよ、あんた。今、この籠からお金をくすねただろう。早くお返しっ!!」 ラスは両手を挙げて身の潔白を証明するが、店主は断固として信じようとはしない。そのうちに店主と口論に発展した。 「っせーなババァ! 俺はしらねぇっていってるだろう!! てめぇ、目はついてんのか? あぁ!!」 「おい、お前はシーフギルドのものか?」 騒ぎ立てるラスに、特徴のない市民風の男が近寄る。 「はぁ? んなもんしらねぇよ! この街のもんじゃないんでね」 「だろうな、消えろ」 突然のことにラスは意表を突かれ、露店もろとも投げ飛ばされた。 「んだぁ、てめぇーー!!!」 「この街で俺たちのギルドに手を出すのがどういう意味を成すのか、知らないとは言わせんぞ」 「知るわけねーだろーーが!!!」 ラスが剣を抜くと一閃、シーフの身体を剣が通り抜けた。 「な・・・小僧」 シーフギルドの男が振り返ろうとした瞬間、彼の腹部から血が滴り落ちた。 「母さんの言いつけでね、殺しはしない。誰かこいつを運んでやりな」 勝ち誇ったラスに青色の髪をした隻眼の戦士が興味津々と近付く。 「おいあんた、えらく強いじゃないか。俺とも手合わせ願いたいね」 「その眼帯・・・におうな。おっさん誰だい?」 「ジョーイ=ブレイズというものだ」 ラスは家業柄、魔力には敏感である。ジョーイの眼帯から発せられる強い魔香を嗅ぎ、過去に世話をした人々のリストを思い出してみる。 「・・・顧客リストにはなかったな。じゃ、ジム・モリのおっちゃんのもんか。いいぜ、やろう。――――いくぞっ!!!」 それは大鉈のような刃をした剣である。ラスは超重量級の剣を軽々と振り、ジョーイを襲う。対するジョーイの剣は両刃の一般的な大剣である。光のような速さで振り下ろされる剣は眼帯の発する冷気により一瞬減速され、その間に大剣を滑り込ませ弾き返す。 「おお! 一撃で決まらなかったのは初めてだ! やるなぁ、おっさん」 「そりゃどうも」 ラスの剣速はジョーイの経験外の速さであった。ラスはジョーイを褒めながらも勝利を確信した。 ジョーイが真っ直ぐにラスの喉下に狙いを定め、突撃する。全重量を剣に乗せて最後の一歩を踏み込み、貫く―――――― 「なぜだ!」 ラスは避けることもせず、ジョーイの全力の一撃によりその身体に穴が開いた。 「なぜって? おっさん魔法に対する知識が全くないみたいだね」 背後から声が掛かりジョーイはビクッと体を震わす。 「ダミーだよ。高位の魔法使いならみんな使えるぜ? 倒したと思って油断しちゃダメだぜ?」 「・・・そうか、そういえばそんなことも出来るんだったな。いいよな、お前たちみたいに魔法を使える奴は」 抵抗を諦め、ジョーイは剣を握っている手を離す。ガシャンという重々しい金属音が虚しく聞こえる。 「でもおっさんはいい線いってると思うよ! きぃ落とすなって!! あ、そだ、これ家の店の紹介文。魔法に興味あるんなら行ってみてよ! これ持って、俺の名前出せばどんな道具にも魔力を付加してもらえるからさ!!」 「魔力を付加? 好きなものをか? そんなことが・・・」 「あ、いい忘れてたけど最低一千万Gは必要だから・・・・おっさん金あるか?」 「い、一千万!! あるわけないだろ!!」 「じゃ、溜まったらおいでよ。俺の母さんすっげー美人なんだぜ、それ拝むだけでもいいからさ」 特に用があったわけではないがラスはせわしなくその場を去った。残されたジョーイは渡された紙に目を通し、 「あいつラスっていうのか・・・今回のことが終わったら行ってみるかな」 その直後にフラン=サーヴェリーがジョーイに抱きつき、紹介文は懐に仕舞われた。達筆すぎる文字で、ジョーイには店主の名前が読めなかった。 ―4― 自室でレルロンドとランクーイが思い思いの時間を過ごしていると、窓が爆発音でかたかた鳴った。なんとも物騒な街だな程度に思い、レルロンドは火薬の調合を、ランクーイは物思いを再開した。 「ちっ! しつけーな、おめーら! 殺しちまうぞ!」 ラスは爆風の中から無傷で現れた。彼を取り囲むシーフたちに緊張が走る。 「この街で俺たちのギルドに手を出すのがどういう意味を成すのか、知らないとは言わせんぞ」 もう何度目だろうか。これしか喋れないのではないかと思うほど執拗な繰り返しに感情の幼いラスはもう自分を抑えることができなくなりつつあった。しかし、それ以上のしつこさで母エイミーの言葉が頭の中で掻き鳴り、力の制御が出来ぬうちは手が出せなかった。 「くそっ!!」 不本意ではあるが街中に居ては危険だと考えたラスは高く跳躍し、シーフたちの頭上を影が通った。その跳躍は建物二階立て分もの高さを飛び、ちょうどレルロンドの目に飛び込んだ。 「ええっ!? おい、ランクーイ、大変だ。ラスさんが追われているぞ」 隣室のランクーイへ壁越しに呼びかける。急いで窓際に駆け寄ったランクーイは小さくなったラスの姿を確認した。 「なんかやばそうだな。荷物、持っていくか?」 「ああ!」 明らかな緊迫感が二人を焦らせる。あの師匠が逃げなければならぬほどの敵なのかと考えるとランクーイにはダメな震えが起こった。 先に部屋を出たレルロンドがラスの荷物も持ってタイミングよくランクーイと出会う。 「遅いぞ! 早くしないと見失う!!」 分かってはいる。体が、それを拒むのだ。ランクーイは自らが作り出した空想上の敵に脅えて足がもつれた。宿を出るのを恐れ、レルロンドが振り向く。ランクーイは恐れを見られてしまった。そして、レルロンドは手を差し伸べようともせず、走り去っていった。 見捨てられたとは思わなかった。むしろ、気が楽になった。 「お客さん、三名様でお代は一万Gになります」 まだ一泊もしていない。滞在時間は数時間だ。それでも金を払えと言うのか……。 ランクーイは素直に一万Gを支払った。彼はまた、自分とレルロンドとの境目を見た気がした。 変わりたい、大人になりたい。 そんな彼の気持ちは少しずつ身になっているようだ。 ラスとレルロンドはもう遠くへ行ってしまっていた。 ―5― 街を北へ抜け、人気のない草原でラスは立ち止まった。 「はぁはぁ……こ、この街で俺たちのギルドに手を出すのがどういう意味を成すのか、知らないとは言わせんぞぉ」 ラスは「天使の翼」を自分に掛け、見失われない程度に速度を調節してシーフたちを釣ってきた。いかに鍛えられたシーフたちとは言えど、魔法には敵わない。 「ここならいいよなぁ……てめぇら覚悟しろよ……!」 ラスが小さく口を動かすとシーフたちの足、いや脚までを地中から噴き出した岩土が空気すら入る隙間もないほどに密に締め付ける。 「二、二、二、二……八人か。そうだな、まずは……」 ぼうっとラスの頭上に四つの火炎玉が発生する。それらの一つ一つに凝縮された魔力は各々の役割を認知し、シーフ四人が悲鳴をあげた。残りの四人は唾を飲んだ。 「死ぬなよ。死なれると俺が困るからな」 と、焼けたシーフたちにランクーイの憧れを掛ける。そして、無事な四人を氷柱漬けにする。歪んだ醜い顔が透明な氷の中で芸術作品のように形を留める。生きているような作品とはこんなもののことも指すのだろうか。ラスが笑った。 氷を消し、適当に治癒を施しているとレルロンドが追いついた。しかしその姿はラスの目には映らない。彼は彼の楽しみの虜になり、一心不乱に傷めては治す――の繰り返しを何度も何度もした。 ランクーイはそこに居た。ラスはもちろんのこと、レルロンドもそのことには気がつかなかった。そこで彼は、レルロンドだけを円の外に出して線を引きなおした。 何がラスをそこまでの狂気に誘うのか、ランクーイには理解し難かったが、しばらくその光景を眺めているうちに、もう少し幼かった頃の自分の姿が重なった。 子供だ。 ラスはやはり子供なのだ。終始冷めた調子でいるのもそう教育された、言わば焼付けの刃で本物はこちらなのだ。活発な七歳の子供が持つ好奇心――それを封じる断固としたしつけ、あるいは魔法によりラスは偽の顔を持つようになってしまっているのではないだろうか。押さえつけられた感情の氾濫、閉じ込められた好奇の破裂。 その光景は、子供が虫を弄んでいるのにそっくりだった。そしてその残虐な遊びを眺める大人の胸には大きな不安の腫瘍ができた。 楽しげに、子供は虐待を繰り返した。 進む 戻る ホームへ ジャンル別一覧
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