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FATの小説

FATの小説

エイミー=ベルツリー

「水面鏡」


エイミー=ベルツリー





―1―

 こんこん、と戸をノックする乾いた音が響く。返事はない。それが返事だった。
「やぁやぁ、今晩もお疲れさま、エイミー」
 ボトルと小口なグラスを二つ手に、すらっとした男が入ってきた。
 エイミー=ベルツリーははにかんで、
「アリソンこそ、お疲れさま」
 と互いに酒を注ぎあう。

 ここは古都ブルネンシュティグにあるBar“lagwagon”の二階、従業員寝泊り場の一室で、エイミーはもう八年もここで寝泊りをしている。昼間は店の準備を手伝い、夜はピアニストとしてlagwagonで働き、店が閉まるとよくこうして労をねぎらった。
「今日も言い寄られていたね、そろそろ夫を作ってもいいんじゃない?」
 アリソン=ディジィーズに酒がまわり始めた。酔えばいつもその話だ。
「意地悪な人ね。私がダメだって知ってるくせに」
「だって、もったいないだろ。君みたいなのが誰にも貰われないなんて。あぁ、一夫多妻制が許されるなら君とも結婚したいよ」
「あなたでもダメよ。そういう気じゃないわ」
 エイミーのそういうはにかみが見たくて、アリソンはこの手の冗談をよく飛ばす。
「そういえばエイミー、最近はいい夢が見れてるんだろ?」
 コトン、とグラスを置いてエイミーは顔を輝かせて、
「そうなのよ! 夢にね、フランちゃんとフプレちゃんが出てきてくれるの! それでね、無邪気にはしゃいで、笑って、それはもう愉快なものよ! 走って、飛んで、お酒も飲んで……おませちゃんね。そして、遊び疲れると私の膝の上で二人仲良く眠ってしまうの。可愛い寝顔をしてたわ」
 エイミーは数週間前に故郷へ帰るといって古都を去った双子の姉妹を懐かしげに語った。
 アリソンはその笑顔を美しいと改めて思った。

 双子の姉妹と出会う前、エイミーには刺激的な出来事が一つもなく、毎晩悪夢を見た。
中でも八年前、アリソンに拾われたばかりの頃は酷かった。人間とは思えぬ恐圧を放つ人間に似た獣、いや、人間という獣だったのかも知れない――に犯されるという夢である。
犯されることが恐いのではなく、それが放つ恐怖という圧が恐ろしくてよく目を覚ました。
 エイミーにはこの街に来る前の記憶がない。アリソンに拾われたのが人生初めての記憶である。歳も知らない、故郷も知らない、何故か、名前は覚えていた。歳は大体二十歳前後だろう(すなわち、今は二十六~三十歳程度か)と推測された。
 アリソンに拾われた八ヶ月後に、エイミーは子供を産んだ。アリソンの子ではないかと噂されたが、噂は噂だった。
 子供は、人間ではなかった。エイミーが子供を見る前に、子供は処分された。エイミーのピアノの音は、悲しく、深く渦を巻いた。
 その頃から夢はより鮮明になり、目の前に赤く伏す老婆と、どこぞの洞窟が見えるようになった。それと共に画面の端に映る二人の女性……ぼんやりとしか見えないがとても、とても大切な人たちのような気がして愛おしくなる。でも、そこまでだ。肝心の魔物の姿が鮮明に浮かび上がり、獣の下半身と人の上半身を持ち合わせた中途半端な姿のものだった。そして犯され、夢から覚める………
 何度も夢を見、何度も犯されたが妊娠したのは最初の一回だけだった。エイミーは男を拒むようになった。しかし恩人のアリソンは特別であった。彼は冗談こそ言うが、決して行動を共にしなかったし、満足に生活できるだけの仕事も与えてくれた。

「ねぇ、アリソン」
「ん?」
「私ね、あの子たちが遊びに来てくれたら一緒に出かけてもいいかしら?」
 アリソンの酔いが醒めた。しかし優しい顔をして
「ああ、いいよ。あの娘たちなら、ね」
「ありがとう」
 そう言ってゆっくり頭を傾けるエイミー。白い首が、小さな耳が、控えめな胸元が赤を薄めたピンク色に染まって婀娜である。警戒心の欠片もなく、彼女は双子の姉妹に会いに瞼を閉じた。
 アリソンは柔らかく毛布をエイミーに掛け、そっと照明を消した。出来ることなら、もう双子の姉妹には訪ねてきて欲しくないとわがままを抱き、家族の待つ部屋に帰った。

―2―

 あの『雨乞いの蛙祭り』から一週間ほどが経っただろうか。トラヴィスでは連日雨が降り、祭りの成功を人々はささやかに喜んだ。
「お姉さま、次はデルタの番ですよぉ!」
「はぁ? お前のボケは老人以上だな! 俺の番だろ!」
 ベルツリー家では今、トランプを用いた神経衰弱大会が行われているのだが、どうにもこの二人がやかましい。お喋りの片手間にやっているのだから勝ち負けなどどうでもいいとエイミーは思っているのだが、二人は一歩も引かない。
「お姉さまは今さっきこことここをめくってハズレたじゃありませんかっ!」
「その後にお前がこれとそれとをめくって外したじゃねーか!」
「それはお姉さまがめくる前に私がめくったカードですわ!だから次はデルタの番なのですっ!」
 耳がキンキン鳴るような喧騒だ。たたたたと鳴る雨も二人の前には虚無も同然で、暗い空でさえその存在を忘れ去られている。
「じゃあ、私がめくったらいいのかしら?」
 涼しい顔をしてエイミーが手を伸ばす。
『ダメっ!!』
 珍しく息のあった抵抗にエイミーはびくっと背筋を伸ばした。
「エイミーお姉さま、さり気無くずるしようとしてぇ」
「エイミー、お前そんなにこの勝負に勝ちたいのか?」
 奇妙な連帯感で結ばれているレンダルとデルタ。戦友といったところだろう。
「そんなことないわ。ほら、どっちでもいいからめくっちゃいなさいよ」
「じゃ、俺が」
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇええええええ! 私の番なのぉ!」
 全くもって騒がしい。ちょうどそのとき部屋をノックする音がかすかに聞こえたので、誰もが怒られると固唾を飲んだ。
「エイミー、お客さんだよ。ラスの紹介だって」
 ひょいと顔を出したのは父親のデリック。エイミーはほっと胸を撫で下ろして、部屋を出た。あの二人の頑固さも中々のものだ。

「すみません、お待たせしました」
 戸を開ける前から頭を下げ、誠意を尽くす。それから頭を上げると、両者共に驚いた。
「あれ、あんたは……」
 エイミーはアウグスタでデルタとレンダルが注視していたことを思い出し、それを覚えられているのかと恥ずかしくなった。
「あら、アウグスタでお見かけしましたわね。まさかラスのお知り合いとは思いがけませんでしたわ」
「アウグスタ? 俺は古都であんたと会っている気がするんだけど……。エイミーさんだよね?」
「ええ、そうです」
「古都のバーでピアノなんか弾いてなかった?」
「いいえ、私は古都なんて何年も前に行ったきりですわ」
 じぃっと客人の独眼がエイミーを記憶の中の人と照らし合わせる。そうして、
「双子とか、もしくは姉妹がいたりは?」
「兄がいますが姉妹はいませんよ」
「じゃあさ、フラン=サーヴェリーとフプレ=サーヴェリーっていう双子は知ってる?」
「いいえ、知らないわ」
 個人的な質問を繰り返す……いや、少しずれている、誰かと勘違いしている、そんな風だ。
「そうか……しかし、人違いとは思えないほど良く似ているものだな」
 まじまじと見られるのに少し照れて、
「その方のお名前はなんていうの?」
「エイミー」
 エイミーは驚いて目が大きくなった。似ているだけなら他人のそら似でいくらでもいそうなものだが、名前まで同じだと少し気味が悪い。
「ファミリーネームはご存知?」
「いんや。エイミーっていうのも愛称なのか本名なのか分からないけど、とにかくエイミーだって言ってた」
 はぁ、とエイミーは大きく一つ溜め息をついた。それで、胸騒ぎが治まるかと期待したがそんな浅いものではなかった。
「あ、ごめんなさい、まだ用件を聞いてなかったわ。ラスとはどういったお知り合いで?」
「えっと、なんて言ったらいいんかな? 決闘した仲です」
 ふうんといった様子でようやく彼の眼帯から発せられる魔の力に気付く。ラスが家を勧めたのも納得がいってひとりで頷いた。
「なるほど。ところで、ジム=モリにその眼帯を賭けたのでしょう。あの人はダメよ、いい加減で」
「知り合いかい?」
「私の兄です。家とは縁を切られてますけれど。で、」
 エイミーが身を乗り出して青髪の中に映える青い目に迫る。
「あなたのお名前は?」
「ジョーイ=ブレイズ」
「ではジョーイさん、何をお望みになりますか?」
 ジョーイは慌てて、
「え? いや、俺びんぼーだからむりだよ、その、魔法をくっつけるなんてのは」
「あら? そうなの?」
 エイミーはすっと身を引いて椅子に腰掛けた。が、少し考えてから、
「この季節は結構暇なの。あなたには興味深い話を聞かせていただいたからお礼にただにしておくわ。どう? 本物のエンチャットをお試しになりません?」
 まぬけなほどジョーイの目が開いた。ラスは最低でも一千万だと言っていた。それがいきなりただに……。
「うん。お願いしていいかな」
 ジョーイ独自の観念。恩を着せるでもなく、着せられるでもなく、全ては好奇のままに、事は成り行きのままに。
 今、ジョーイは決していやしい心で返事をしたわけではなく、魔法を付加するという行為がどのようなものか見たいが故にそう答えた。
「ええ、では、どれにどんな魔力をくっつけましょうか?」
 すっと左眼を隠していた龍紋の眼帯を外し、差し出す。
「こいつだ。もっとよく凍るようにしてもらえるかな?」
 窪んだ眼孔の奥にエイミーは真実を見た。一瞬で彼女はこの男を理解し、深く同情の念を抱き、彼の望む最高級の仕上がりを約束した。
 暗い眼孔の奥にエイミーは彼の人生を見た。外では、灰色に濁った雨が落ちてきて、その幾万個の眼がエイミーを映していた。




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