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FATの小説

FATの小説

ランクーイ(2)

「水面鏡」


ランクーイ(2)




―6―

「燃えろぉぉぉぉぉっ!!」
 ランクーイの声が洞窟の中を所狭しと飛ぶ。薄暗かった洞窟は突然日が差したように熱く、眩しさに包まれた。あまりの眩しさにレルロンドは腕で光を遮り、なおかつ目を閉じてその炎に耐えた。
「ランクーイ……お前、ほんとにすごいじゃないか!」
 ランクーイの放った炎の跡には、焼き焦げた巨大な芋虫の群れがあった。数十匹の芋虫はランクーイのたった一発の魔法に倒された。
「へへっ、これなら師匠の力になれるだろ?」
 得意になるランクーイだが、その力は与えられたものだということを彼はすっかり忘れていた。
「調子に乗るな。ラスさんの強さはお前もよく知っているだろう? レベルが違いすぎるんだ。お前がラスさんの力になるべきところは、他にあるじゃないか」
 ランクーイは少し不満気な表情を浮かべつつも、レルロンドの言う通りだと自分に言い聞かせ、大人しくレルロンドの後に従った。
「なあ」
 呼びかけられ、ランクーイはレルロンドの背中を見た。
「覚えているか? 昔、野犬に襲われたときのことを」
「ああ、あんな恐い思いをしたのは、あのときが初めてだったからな」
 レルロンドの持つ松明の火が揺れた。
「でも、それと同じくらいの憧れも、あのときに覚えただろう?」
「そうだな、あの人に出会っていなかったら魔法なんて、興味も湧かなかったかもなぁ」
 再び松明の火が揺れた。
「僕は、あの人と出会ったときから、ひょっとしたらラスさんと出会うことが決まっていたんじゃないかと思うんだ」
「はぁ?」
「あの人が、ラスさんと僕らを結んでいるんじゃないかと思うんだ」
「突然なんなんだよ」とランクーイは困った顔をした。
「いや、僕も今ふと思っただけなんだが、あの人がお前に魔法を覚えてほしいと思惑して、ラスさんと僕らを出会わせたんじゃないのかな」
「なにが言いたいんだよ、レルロンド」
「つまり、お前の才能に期待している人がいるってことさ。わかるか? お前はもしかしたら、すごい運命を背負わされているのかも知れない」
 ランクーイは突拍子もないことを言い出したレルロンドの背中を訝しげに見ながら、
「なんでそんなことを考えたんだ?」と聞いてみた。
「お前のその成長の早ささ。この森に入ったときにはマッチほどの火しか出せなかったお前が、今じゃ魔物の群れを一瞬で焦がすほどの強力な魔法を使えるようになっている。誰かがお前のその才能をいち早く見抜いてお前に魔法の修行を、そう、ラスさんに同伴させるように仕向けたんじゃないかと思ったのさ」
 ランクーイの体内にエンチャットされたラスの魔力のことをレルロンドは知らない。故に、レルロンドはランクーイの純粋な魔力が異常にレベルアップことに、様々な思考をしていたのだった。
「お前はきっと、歴史に残るような魔法剣士になれるぞ。それがお前の運命だ」
 レルロンドは確信した様子でランクーイに語った。ランクーイはレルロンドの話の意味がわからず、ただ黙って後に付いているだけだった。
 洞窟の終わりを示す白い光が見えた。二人はその光の先になにが待ち受けているかも知らずに、変わらぬスピードで歩いた。

―7―

「ったくよ、いつまでこんなこと続けんだよ」
 一匹のエルフがぼやく。首には三つの乾物が吊るされている。
「ろくに仕事も出来ない奴がほざくな。そんな働きでは、いつあれの怒りに触れるか解らんぞ」
 別のエルフがぼやいたエルフを睨む。その眼は赤く充血し、首を一周するほどの乾物を携えている。睨まれたエルフはチッっと舌を打つ。
「お前はいいさ、運がいいんだからな。俺なんて目をつける相手全てが曲者さ。何度死に物狂いで逃げてきたことか」言ってから、さらに別のエルフからの鋭い眼光に気付く。
「その姿勢が結果になっているのだろう。我らエルフは誇り高き種族。敵を前にして逃げるなど我らの仲間とは認められんな」
「その通り。誇りを失ったエルフなど人間と同等。そんな考えならこの森を去ってもらおう」
 苦言を呈するエルフたちも首にどっしりと乾物を巻いている。四匹のエルフたちはそれぞれ丸い泉の東西南北に座っている。彼らの座っている外周は城の堀のように水が溜まっており、上空からみるとドーナツのように見えた。
「まあ、そう言うなよ兄弟。誇りだなんだって言うんなら今してるのはなんだ? こんな奴隷のようなことをするくらいなら、あいつを倒すことのほうがよっぽど俺たちの誇りを誇示できると思うぜ」
 乾物三つのエルフは他の三匹のエルフたちの顔を見回す。いずれの表情も硬い。誰も反論してこない。
「結局は、弱いものにしか牙を剥けないってことだろ」
 するとすぐさま、真向かいのエルフが反論する。
「ならばお前が先陣を切ってみせろ。我々は愚かではない。機が来るまでは動かんぞ」
「それが出来るならとっくにやってるさ。俺は自分の命にプライドを持ってるんだ。死なないためなら敵前逃亡だってするさ。ま、俺はうまそうな獲物にありつけるまでは、大人しくしとくぜ」
 今度は誰も彼の言動に反応しない。静寂が場を包む。

「交代だ」
 丸い泉から伸びているただ一本の道に、三匹のエルフが姿を見せた。三匹のエルフの首にはいくつかの乾物と、まだ汁気のある、気持ちの悪い生ものが吊るされている。三匹に向かって西側に座っていたエルフが問う。
「足りないな。どうした」
「知らぬ。まだ若造、まだ未納。無理をして返り討ちに遭ったのではないか」
「それならばもうひと時、我がこの場を護ろう」
 西側に座っていたエルフを除いた三匹は、ようやく開放されたと素早く立ち上がり、二匹はすぐに去っていった。
「おい」
 共に去ろうとしていた乾物三つのエルフが呼び止められる。
「いいことを教えてやろう。この森に三匹の獲物が紛れ込んだ。内二匹はまだ餓鬼だそうだ」
 乾物三つのエルフの目が光る。
「へへ、餓鬼か。俺に最適の獲物だな」
「急げよ。まだ未納のやつらが情報を察知して、群がっているころかも知れん。お前は近頃納入がないからな。あれの怒りに触れる前にどうにかしろよ」
 分かってるよ、と軽く手を上げ、乾物三つのエルフも去った。入れ替わったエルフたちは怪しい儀式を始め、泉の周りは異様な雰囲気に変わった。
「ふははっ、久々の獲物だ! 最初っから飛ばして行くぜっ!!」
 エルフは首にぶら下がった乾物の内、一つを引きちぎり、口に放り込む。急に隆起し、赤黒く変色する全身の筋肉。ピンと張った耳のその先端まで浮き出る血管、血走る眼。五感が敏感になり、その全てで獲物を探す。
「匂う、匂うぅぅぅぅっっっっ!! 餓鬼の青くせぇ匂いだぁぁぁぁぁっっっっ!!」
 性格まで変わったかのような異常な興奮。彼が食したのは人の心臓、その乾物。人の心臓がエルフに教える、次の人(獲物)の居場所を。
「久々に納められるぜぇぇぇぇっ!! ひゃはぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
 エルフは弾丸のような速さで獲物に飛び掛る。獲物に気付かれる前に殺す!!

―8―

 ランクーイは尻餅をついたまま、少し照れくさそうに手を差し出したレルロンドを見た。
「さ、立てるか?」
 ランクーイはその手をしっかりと掴み、立ち上がった。彼の視線の先には地にひれ伏したエルフの姿があった。
「いきなり上から襲い掛かってきたんだ、おどけちまったぜ」
 洞窟を抜けた二人は突然、真上からエルフの奇襲を受けた。それをいち早く察知したレルロンドに突き飛ばされ、ランクーイは尻餅をついた。レルロンドはエルフが着地した瞬間の隙を見逃さず、弓端の刃を俊敏にエルフの首にあてがい、押し切った。勝負は一瞬、ランクーイは己の未熟さを改めて痛感し、レルロンドの言いつけを守ろうと心に誓った。

 昔からそうだ。いつだってレルロンドはランクーイを守ってきた。決して誇示しない繊細な強さを持ち、弱いランクーイに引け目を感じさせないように、ランクーイをカバーしてきた。レルロンドの本当の強さにランクーイは今更ながらに気付いた。

「僕の立ち位置がよかったな。敵はお前しか見てなかった。敵は宙に浮いていたんだし、あそこで魔法を浴びせていたらきっとお前が勝ったさ」
 レルロンドはまた、ランクーイの弱さを隠した。決して罵声など浴びせない。ただ優しく、そしてさり気なく次へのアドバイスをくれるのである。
「ああ、今度は絶対俺が倒してみせるぜっ!!」
 友の優しさに、ランクーイは誠意の眼差しで応える。そして二人は笑い合った。と、そのとき、バッサバッサと木々が音を立てたかと思うと、赤黒いオーラを纏った何かが放たれた矢のようなスピードで二人に急接近してきた。
「燃えろぉぉぉぉぉぉぉおおっっっ!!」
 早速レルロンドのアドバイスを生かすランクーイ。しかし、放たれた炎は敵のオーラにいとも簡単に弾かれ巨大な砲弾のような塊がランクーイを襲った。
「うっわぁぁあああああああ!!」
 塊はランクーイの目の前に落ち、弾かれた地面がランクーイを体ごと吹き飛ばす。レルロンドはすぐさま矢を射掛けるが塊には刺さらず、真っ二つに折れて乾いた音を立てた。
「なんだ、このエルフは……」
 塊の正体はエルフ。しかし、今まで二人が対峙してきたエルフとはその肉体、気迫、殺気ともに違っていた。赤黒い筋肉ははちきれんばかりで、眼は充血し、体は魔法のようなオーラで覆われている。
「ひゃぁぁぁぁぁはぁぁぁぁあああっっっっっ!! 餓鬼だぁぁぁ!! うまそうな餓鬼共だぜぇぇぇぇぇっっっっ!!」
 首に乾物を二つ吊り下げたエルフはレルロンドを舐めるように見下すと、短剣をぬらりと腰から抜いた。そして雄叫びと共に獲物に飛び掛った。
「うっ! くっそぉ!!」
 レルロンドとエルフの距離は五メートルほど。しかし、エルフはただの一跳躍でレルロンドの懐に潜り込んだ。エルフは素早く剣を真横に振るい、レルロンドの腹を裂こうとする。レルロンドは弓の下端の刃でこれを防ぎ、弓を地面に突き立て、しならせ、その反動で再びエルフとの間合いを空ける。
「ランクーイっ!!」
 ランクーイは木にもたれかかったまま、目はぶるぶると震えていた。

 恐怖。

 ランクーイは絶望的だった、あの野犬に襲われたときのことを思い出していた。絶対的な実力の差。自分ではどうすることもできない。無力。ただ、捕食されるのを待つだけの弱者。
「ランクーイ、動けっ!! いつまでもそこで立ち止まるなっ!!」
 追撃を受けるレルロンド。弓使いのレルロンドは弓の両端に刃が付いているからといっても、やはり接近戦は苦手である。なんとかして自分の得意な間合いに持って行きたいが、エルフは執拗に迫ってくる。素早いエルフの剣捌きは少しずつだが確実に、レルロンドの肌に傷をつける。それを傍観しているランクーイの頭の中では、同じ光景がぐるぐるとループしていた。だらだらと汚らわしいよだれを垂らし、顔を覗き込んでいる野犬。実際には至らなかった捕食の瞬間を、彼は何度も、何度もイメージしてしまっていた。
「ランクーイ、君はもう立派な魔法剣士だろっ!! もう、憧れを手にしているじゃないか!! ランクーイ、動けっ!!」
 ランクーイはその言葉に、ハッと我に返った。そうだ、なんであの頃と一緒にしているんだ? 俺はもうあの頃の俺じゃないじゃないか!!
「俺は……」
 ランクーイはゆっくりと木から背中を離すと、両手に魔力を集結させた。
「俺は魔法剣士なんだぁぁぁぁぁああああああっっっ!!!」
 ランクーイの腕が熱く燃え上がる。その熱量はラスに与えられた魔力だけではとうてい考えられないほど、強大なものとなった。
「うぅぅぅりゃあああああああああっっっ!!!」
 燃え盛った腕を地面に叩きつけると、地面がマグマを噴出するように炎を噴出しながら一直線に割れた。その炎はエルフを目指し、徐々にその威力を増していく。
「ぐぅぎゃぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
 炎に包まれたエルフは全身に浮き出た血管を流れる血液が沸騰するようで熱く、痛く、もがいた。
「ランクーイ、お前はやっぱり選ばれた魔法剣士だ!!」
 レルロンドはもがくエルフに飛び掛ると口の中に弓の下端を突き刺し、思いっきり弦を弾いた。
「ぼげぎゃがあばぁぁあああああ」
 屈強な外面と違い、柔らかな喉を、刃が弾かれた反動で踊る。
「爆ぜろ!!」
 レルロンドは素早く弓を引き抜くと腰から爆薬を取り出し、エルフの口に詰め込む。ほどなくしてエルフの内部で爆発が起き、口を塞いでいたレルロンドの腕にきしむような衝撃が伝う。
「レルロンド、どけぇ!!」
 ランクーイはまだ燃え盛っている腕を、今度はエルフに直接叩き込んだ。エルフから噴出すマグマのようなドロついた赤。エルフは悶えることもなく、黒焦げになって倒れた。

「レルロンド、俺……」
 ランクーイはまた、レルロンドに何も言えなかった。しかしレルロンドの目は優しく、穏やかなたれ目はランクーイの涙を誘った。
「いいんだ、ランクーイ。僕はお前がこうやって成長していくのを見れるだけで、幸せだと思っているんだ。よくトラウマを克服できたな」
 下を向いて涙を流しているランクーイの頭を優しく二度、ぽんぽんと叩いた。ランクーイは泣きながら、レルロンドの傷に魔法をかけた。優しい光が傷口を塞いでいく。
「さぁ、ランクーイ、ラスさんを探そう。まだまだこの森は深そうだからな」
 ああ、とランクーイは頷き、顔を上げた。ツンと立った髪も、一重の勝気な目も、どこか大人びて見えた。
「おーーーーい、お前らぁぁぁぁぁぁ!!」
 突然、大声が森に響き渡る。その方向を仰ぎ見ると、ラスが両手を口にそえて叫んでいた。
「ははっ、探す手間が省けたな、ランクーイ」
 レルロンドが優しいたれ目を向けると突如、前方の木が真っ二つに引き裂かれた。そして悠々と立っていた木の、それより遥かに大きな鉄塊が優しいたれ目を向けたランクーイを奪い去った。ズドォォォォンという地震のような振動を伴った爆音が大量の土埃を舞い上げる。レルロンドは目を背けることができなかった。一瞬で視界から消え去ったランクーイはおもちゃの人形のように宙高く舞い、ぐちゃぐちゃになって地面に落ちた。

ランクーイは、死んだ。

―9―

 ランクーイの死の瞬間を、ラスもまた見ていた。二人に危険を知らせようと必死になって上げた声が、皮肉にも二人の注意を自分に向けてしまい、ランクーイを死なせてしまった。

 ――ラスは二人に再会する前、こんなやりとりをしていた。
 緑髪のエルフの挑発に乗り、ラスは無我夢中でエルフを追った。背中に生やした巨大な翼を持ってしても、エルフとの距離は縮まらなかった。
「見込んだ通りの速さ、見込んだ通りの邪気。貴様はやはり闇の者だ」
 先を駆けながら、エルフは更に挑発する。
「うっせーーーーんだよっっ!! ぜってーーーー殺してやるっっ!!」
 二人は飛ぶように駆け、川を一跨ぎに越え、森の奥地へと辿り着いた。背丈三つ分の崖を軽々飛び上がると、エルフはそこで立ち止まり、振り返った。ラスはその頭上に大刀を振りかざすと、着地の勢いを乗せて振り下ろした。エルフはその軌道を紙一重でかわすと、大胆にもラスの腕を掴んだ。
「憤るな。あれを見よ」
 指差された方向を見て、ラスは怖気を覚えた。そこには怨念の集積のような泉があり、四方にエルフが座り、更にその外周を淀んだ水が城の堀のように囲んでいた。その泉は怨念が渦巻き、いくつものおどろおどろと歪んだ顔が浮き沈みし、時空を歪めているようであった。
「其の先が貴様ら闇の者の住処。我らの世界とを結ぶ門。貴様はあの先を知っているだろう」
 ラスは固まってしまった。全身が硬直する。その先に行ったことはない、知ってもいないはず。しかし、ラスの記憶は、その遺伝子は、知っている。誰に教えてもらうでもなくも、ラスはその先を知っていた。
「俺は……俺は、何者なんだ?」
 ラスはその先に今すぐ飛び込みたい衝動に駆られた。そこに飛び込めば、自分の謎が、何者なのかが判明する気がした。
「待て」
 その衝動はエルフによって妨げられる。制止した腕を切り落とし、飛び込むことも出来たがラスもまた異変に気付き、言葉に従った。泉の縁に座っていた四匹のエルフが皆揃って同じ方向を見た。その先から別の三匹のエルフが現れ、入れ替わった。
「見ていろ。闇の者への納入が始まる」
 三匹のエルフはおもむろに首飾りを外すと、泉の上に浮かべた。泉の中を彷徨っていたドクロのような歪んだ顔達は、与えられた餌を我先にと奪い合うように喰らいつく。ドクロたちが求めているのは生の餌。しゃぶりつくと、まるで汁をすするように何かが抜け、しぼんでいく。
「人の魂」
 エルフが呟く。
「あれは人の魂を吸う。それが食事。それが我らに課された義務」
 ラスは怯えた顔でエルフを見る。
「俺はあんなもの食わない。俺は母さんの作るシチューが好きなんだ!」
「あれは闇の者の餌。闇の者はあれを喰らう」
 エルフの言っていることの意味が分からない。俺はあんな怨念の塊のようなものを食うっていうのか? ばかばかしい。そもそも俺は闇の者なんかじゃねぇ! ラスは心の中で叫んだ。
「闇の者よ」
 しつこいエルフに怒りの目を向けるラス。しかし、エルフが静かに指差したそこに、ラスは身を震わせた。彼らの立つ崖の下、数十メートルのところにそれは居た。重い黒の鎧を全身に纏う巨大な物。そそり立つ木々と頭を並べるほどの巨体。ゆっくりと、しかし確実にどこかを目指し、進んでいる。その巨体に似合わず、静かに、一つの音も立てずに。
「なんだあれは?」
「あれは守護者」
「お前らエルフのか」
「違う」
 エルフの大きく、深い黒の瞳に感情が宿る。
「闇への扉の守護者。あれは我らの敵だ!」
「憤るなよ」
 今度はラスがエルフの怒りを静める。
「俺にも分かるように分かりやすく説明してくれ」
 エルフはラスの目を真剣に見た。エルフの目の色は深く、吸い込まれそうな美しい黒に戻っていた。
「我らが種族は長命少子。生涯で子は二人しかできぬ。故に長い命を失わぬ為、鍛錬を積みその力は自己保守のためにしか使わぬ。しかし、あの門がある日突然開いた。我らは其処から出てきた者たちと戦い、負けた。奴らに敵わぬと判断した長は奴らの提示した条件を飲んだ。それがあの泉の守護、奴らの餌の納入。奴らはあの黒鎧を泉の守護者として残した。あれの役目は泉の守護と餌の納入の監視。納入のないもの、逆らう者の処刑。我らはそれから人間狩りを始めざるを得なかった。我らを守るために」
 ラスは真剣に話を聞いていたが、このエルフが首に乾物を飾っていないことに気付いた。
「我は反逆者。奴らの言いなりになっていれば、我が種族は滅びる。其れ故我は奴には従わぬ。身を隠し、機を探っている」
「なぜ俺につっかかってきた?」
「貴様の臭いだ。あの泉より出し者と同じ臭いがした。貴様に侵略の意思があるか、確認したかった」
 ラスは複雑な表情をしつつも、自分は闇の者ではないと否定出来なかった。と、突然、背後で火の手が上がった。ラスは振り返ると、そこになじみのある魔力と見慣れた二つの顔を発見した。
「ありゃー、ランクーイか。あいつ、ほんとに様になってきやがったぜ」と嬉しそうに言った。
「主の連れか。奴らは人間だな」
 暫しの間をおいて、再び炎が見えた。
「奴らは俺の弟子だ。俺は奴らの成長を見届けるまでは、あんな泉には近寄らないぜ」
 一度は衝動に負けそうになったラス。しかし、かわいくなってきた弟子を残しては行けない。ラスを人間として留めたのはランクーイであり、レルロンドであった。
「話の続きは奴らとしようぜ、エルフのおっさん」
 エルフは頷かず、黙って炎の上がったあたりを指差した。そこにはあの黒鎧が、音もなく、いつの間にかランクーイたちの目の前に移動していた。
「なっっっ!! おーーーーい、お前らぁぁぁぁぁぁ!!」
 大声で危険を喚起するも、時すでに遅し。振り上げられた鉄塊のような剣は悠々と立つ木を頂辺から切り裂き、ランクーイを直撃した。凄まじい威力で潰されたランクーイは地面に叩きつけられ、その衝撃で宙を舞い、ぼろぼろになって落ちた。
 エルフはラスの腕を掴むと、風のようなスピードで唖然と立ち尽くしているレルロンドと砕けたランクーイを抱き、何かを強く念じた。次の瞬間、四人は浜辺に居た。エルフに抱きかかえられて、レルロンドは何が起こったのかを全く理解できなかった。しかし、一緒に抱き上げられているランクーイの変わり果てた姿を見て、現実なのだと思い知らされた。

―10―

 ここは鉄の道、道の中間地点。四人の目の前に広がるのはダイム内海。晴れ渡る青空の青を吸収し、海は一面深い青で、ただ一つ、丸い太陽の輝きだけが映し出されていた。浜辺に寄せては返す波の音も、その表面を撫でる風も、とても穏やかであった。緑髪のエルフはレルロンドを放したあと、優しくランクーイの死体を砂浜に降ろした。
「我は棲家に戻る。闇の者よ、いずれ運命を受け入れねばならぬ時が来るだろう。其の時、我は再び貴様の前に現れようぞ」
「おいっ! 待て、待ってくれ」
 ラスの制止を聞かず、ランクーイの死体を悲しそうに一瞥した後、エルフは空気のように透明に透き通り、風のように去っていった。
 残されたラスとレルロンドは互いに沈黙し、レルロンドはランクーイの手をしっかりと掴み、ラスはランクーイに背を向け、海面に映し出された眩しい太陽を眺めていた。時が経つにつれ、ランクーイの手が冷たく、無機質になっていく。さっきまでは、ほんの少し前まではあんなに熱く燃え盛っていたランクーイの手。矢を弾き返すほど屈強なエルフすら焼き尽くしたその手は、もうここにはない。幼い頃から、何度も触れてきたその温かな感触は、もう、二度と帰ってはこないのだ。レルロンドの涙はランクーイの冷たい体を温めることは出来ない。
 まるで本当の兄弟のように、本当の兄弟以上に愛情を持っていたランクーイ。

 なぜ、なぜ助けてあげられなかった!! 隣にいたじゃないか!! 手を、この冷たくなってしまった手を引けば、助けられたじゃないか!! 突き飛ばして、代わりに自分が犠牲になればよかったじゃないか!! いくつだって、ランクーイを助けられる方法はあったはずだ!! 僕は何をしていたんだ!!
 
 レルロンドは自分を責めた。一度はランクーイから離れ、そのことを後悔した。

 だからずっと一緒に居ると、どんなことがあっても守ると決めたのに!! 僕がランクーイを死なせてしまうなんて!!


 ラスは傾き、長細くなった海面に映し出された太陽を眺めながら、レルロンドと同じことを思っていた。

 なぜ、なぜ置いてきてしまったんだ!! どうして俺はこうも自己制御ができないんだ!! あのときエルフの挑発に乗らなければ、情動を抑えることが出来ていれば、こんなことにはならなかった!! 

 ラスはランクーイに背を向けながら、その頬には幾筋もの涙が流れていた。他人のために流した、生まれて初めての涙だった。

 あの瞬間だって、叫ばずに何か魔法をかけてやれば助かったんだ!! ランクーイの注意を向けるんじゃなくて、黒鎧の注意をこっちに向けてやればよかったんだ!! 俺はなんで餓鬼なんだよ!! なんで大人じゃないんだ!! なんであいつを殺しちまったんだよ!!

 ラスもまた、自分を責めた。二人と旅を始める前は、面倒くさいと思っていた。死を覚悟しろ、と言ったのも子守が面倒くさかったからだ。ところが、二人と旅をしていくうちにラスは変わった。特にランクーイに対しては自分と同じような豪快さと弱さを持っていることに惹かれた。ランクーイの独特の素直さもラスを喜ばせた。
 最初は魔法を教える気などなかった。しかし、ランクーイだから本気で修行させた。そしてランクーイはラスの意図する通りの成長を見せてくれた。師匠と呼び、ラスを心から尊敬してくれた。それがラスには、心の栄養の乏しいラスには何物にも換えがたい幸せだった。これからもずっと、ランクーイと旅を続けたいと願っていた。
 涙は止めどなく溢れ、それでもラスは拭うこともせず、ランクーイへの愛情は白砂に吸い込まれていった。

 ダイム内海に陽が沈む。
 水平線で半分になった太陽は一本の鮮やかな赤い道を作りだし、同じ思いを抱えたままの二人を、浅橙色に染める。すでに冷え切ってしまったランクーイの手は、レルロンドの涙で濡れている。涙に濡れた手に夕日が滲む。レルロンドは重い口を開いた。
「ラスさん……ランクーイを、どこかに眠らせてあげませんか」
 ずっとランクーイに背を向けていたラスが重々しく振り返った。その目には、涙の跡が乾いた海水のように白い結晶となり残っていた。レルロンドはラスもまた、悲しいのだと言うことに胸が苦しくなった。
「ああ……ちょっと、ちょっと待ってくれ」
 ラスは少し腰を浮かせると、今度は夕日に背を向けて座りなおした。眼下には見たくないランクーイの姿がある。それでもラスはしっかりとランクーイと向き合った。
「ちきしょう! ちきしょう!!」
 堪らず、ラスは砂を叩きつける。叩きつけられた砂は高低の放物線を描き、その一粒、一粒を夕日が煌かせる。レルロンドはその飛散に弾けたランクーイの命を見た。
「ラスさん、止めてください。ランクーイにもかかっています」
 悲痛な表情でラスの行為を止める。ラスの目からまた涙が溢れ出した。
「僕が……」
 レルロンドは悔しそうに唇を強く噛み、続けた。
「僕が隣にいたのに、助けてあげられなかった。ランクーイを殺したのは僕です。ごめんなさい、ラスさん」
 ラスは驚き、レルロンドの目を強く見つめながら必死に否定した。
「違う! ランクーイを守ってやると言ったのは俺だ! なのに、あいつを置き去りにした、守ることを放棄してしまった。ランクーイを殺したのは俺だ、この俺なんだ!!」
 レルロンドも驚いた。ランクーイの死の責任を、ラスもまた感じていたのだ。それも自分同様に、重く、深く。
「ラスさん、あなたが罪に感じることはない。僕がランクーイを守ると決めたのはあなたと出会うずっと前からのこと。僕にとってあいつは全てだったし、なんだってあいつのためにしてきた。あなたと旅をしたがったのも、ランクーイに魔法を教えてほしかったから。ランクーイの憧れを叶えてほしかったから。あなたは、これまでランクーイの望むことを全て実現させてきた。それだけでランクーイは満足だったんです。あいつを守るということまで、そんなに欲張りにあいつは求めたりしない。それは長年、僕の役割だったんですから。だからあなたまで、僕と同じ涙は流さないでください」
 ラスはレルロンドの優しいたれ目に心の内を見透かされたようで、急に胸の中の重圧から解き放たれた気がした。レルロンドは罪を背負う。でもそれは、誰かと共有するような罪じゃない。自分一人が悔やみ、苦しめばいいこと。ラスは教育者として立派に役割を果たしていたのだから。

 ラスの涙が止むころには、あたりはもう暗くなりつつあった。ラスは険しい顔をして、なにかをレルロンドに伝えるべきか、否かを迷っているようだった。ラスは一度レルロンドを見、すぐに視線を下ろしてランクーイを見た。そして思い切って顔を上げた。
「レルロンド、死ぬ覚悟はあるか?」
「死なない覚悟ならあります」
 レルロンドの強い意志は、暗がりの中でもはっきりと見えるほどの表情となって現れていた。ラスはその表情に満足気に微笑み、一つの提案をした。
「これはお前で初めて試す魔法なんだが……」
 ラスは茶色のウェスタンハットのつばを親指で上げた。レルロンドは真剣にラスを見つめている。
「エンチャットの応用でな、まず、ランクーイを一つの魔法元素とするため、極限まで圧縮する。おそらく拳ほどの大きさもなくなるだろう」
「ランクーイの肉体は……?」
「だから、圧縮するんだ。体ごと。肉体も全て魔法元素に還元させる。そして出来たランクーイの魔法元素をお前にエンチャットする。お前の内側にな」
「……ランクーイを、僕の中に?」
 レルロンドは理解しようと必死に頭を働かせても、ラスの言っていることがよく飲み込めなかった。
「そうだ。俺が今までランクーイに教え込んできた魔法のいろは、あいつが自分で得た魔法の力、それを全部お前に引き継がせる」
「ランクーイが、僕の中に!」
 レルロンドの表情が明るくなる。
「ただし、さっきも言ったようにこの魔法には前例がない。もし、お前がランクーイの魔法元素を受け入れられない器だとしたら、おそらく死が待っている」
「魔法元素と言ったって、ランクーイなのでしょう? 僕は必ずランクーイを受け入れてみせますよ。兄弟の魂だ、僕にしか受け入れられない!」
 レルロンドは即答した。ラスはまたも満足げに微笑み、レルロンドとランクーイの手をそっと放させた。魔力を両の手に溜め、ランクーイの冷たい体に触れる。
「ランクーイ、さらば! 初めての弟子よ、いや、友よ!!」
 暗くなった浜辺に火柱が立ち昇る。ランクーイの火の元素が、ラスの送り込む火の元素と共鳴し、熱く猛る。
「ぬううぅううぅうぅぅ!!!」
 ランクーイの火の元素をラスが力で抑えつける。ラスの魔力は立ち昇った火柱を徐々に圧縮させ、それは高密度の青い炎となり、辺りは神秘的な蒼い闇に包まれた。横歩きをしていた大きなカニが、遠くで砂に潜った。
 ランクーイの体は見る見るうちに縮み、やがて一つの赤い塊となった。ラスは全身に汗をかきながら、更なる魔力を送り込んだ。不細工な原石のような赤い塊は徐々に輝き始め、それは美しい赤玉となって浜辺に輝いた。暗黒に落ちてきた太陽、とでも言えばこの美しさは伝わるだろうか。ランクーイの魂が感じてきた一生の様々な想いがこの赤玉の内側には詰まっていて、それが二人を再び涙させるほどの美しさとなり、死をも奪うほどの強い生命力が感じられた。
 ランクーイの魂に惹かれたのか、大きな鳥がどこからともなく飛んできて二人の遥か頭上を数回旋回し、再びどこかへ消えていった。
「きれいな魂だな。あいつがいかに純粋だったか、この玉を見れば伝わってくる」
「ええ、ランクーイの魂ですから」
 二人は暫しの間、ランクーイの魂に見惚れた。月のない夜空を、ランクーイの魂が明るく照らした。穏やかな夜風は突然の明かりに戸惑いながらも潮の香りを大陸へと運んだ。
「さあ、覚悟はいいな? ランクーイを、この熱い魂を受け止めろよ」
 ラスは感動に震える手でランクーイの魂を大事に持ち上げ、レルロンドの瞳の奥をじっと見つめた。
「はい。ランクーイ、僕が必ず守ってやるからな」
 レルロンドもラスの瞳の奥を強く見つめ返した。そして、ラスはランクーイの魂をそっとレルロンドの胸に押し当てる。ランクーイの魂はレルロンドの胸の中に吸い込まれるようにゆっくりと沈んでいき、ラスが手で蓋をする。辺りは一瞬暗闇に戻る。しかし次の瞬間、レルロンドの全身から火が立ち昇った。
 辺りは再び、明るさを取り戻した。
「うっ!! わあぁあぁぁあぁあぁっぁぁ!!」
 予想以上のランクーイの魔力の強さに、レルロンドは身を引き裂かれるような痛みと熱さを全身に感じる。焼けているような、ちぎれているような、破裂しているような、何とも耐え難い痛みだった。

 でもここで、ここで負けちゃいけない!! ランクーイを守るのは僕だ!!

 レルロンドはひたすら痛みに耐えた。痛みに遠退きそうになる意識を意志で繋ぎ、ランクーイへの想いを何度も何度も心の中で繰り返した。すると胸の中で、飴玉がゆっくりと溶け出すように、少しずつランクーイの記憶が、ランクーイの想いがレルロンドの中に流れ込んできた。

 ――レルロンド、俺、立派な魔法剣士になれたよ、ありがとう。
 ――レルロンド、俺、はぐれて、一人ぼっちで寂しかったんだ。お前と再会できて嬉しいよ、ありがとう。
 ――レルロンド、俺、師匠と一緒に旅が出来て本当に感謝しているよ。お前が強引に師匠を引き止めてくれた
おかげさ、ありがとう。
 ――レルロンド、俺、生まれた町がお前と一緒でよかった。一緒に生きてきたのがお前で幸せだったよ。
 ――レルロンド、ありがとう。

 レルロンドの中に流れ込む記憶、感情は全て、レルロンドに対する感謝の気持ちだった。口に出さなくともレルロンドには分かっていた。けれど、こうして本当の気持ちを聞くと、たまらなく嬉しくなった。
「ランクーイ……礼を言うのは僕のほうさ。お前が生まれてから死ぬまで、ずっと一緒に居れて幸せだった。これからも、よろしくな」
 レルロンドは見事、ランクーイを受け入れた。制御された炎はレルロンドの中に居場所を見つけ、静かに、すっと引いていった。
「師匠」
 ラスは一瞬、懐かしい呼ばれ方に、ランクーイがそこにいるような気がした。
「って呼ばせていただいても良いですか? ラスさん」
 しかしそこに居るのは確かにレルロンド。ランクーイと一つになったレルロンド。明るく、希望に満ちた笑顔を向けるレルロンド。
「ああ、まだまだ修行は続くぜ。二人共、強くなれよ」
 ラスは少し泣いた。それは哀しみなのか、感動なのか、どの涙かはわからないが間違いなくラスの心が感じて溢れた涙だった。
「はいっ!!」
 ランクーイの想いを胸に、新たな旅への期待を乗せ元気よく、はつらつと返事をするレルロンド。
 三人の旅はここから再び始まる。新たな形で、新たな決意で!


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