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FATの小説

FATの小説

言っとくけど、俺はつええぜぇぇ!!(2)

「水面鏡」


言っとくけど、俺はつええぜぇぇぇぇ!!(2)







―6―

 ここは鉄鉱山地下三階。薄暗く、荒削りの長い坑道は一本のレールをその中央に引き、
埃っぽい空気はその先を隠す。マリスは数ヶ月前、ここで起こったことを思い出していた。
 からっぽの魔道士と蜘蛛。敵わない敵、ネクロマンサー。あの日、マリスが下した決断
は正しかったのか、間違っていたのか。ここにフランたちが居れば正しかったと言うだろ
うが、マリスは過ちだったと思う。あの日の間違った決断がなければテリーもアンメルも
安らかに眠り続けられただろうし、スレイだって死ぬことはなかった。マリスはあのとき、
自分が死んでいればあの姉妹も平穏な日々を過ごせたかも知れないと思うと生にしがみ付
いていたことが、復讐に身を焦がしていたことが情けなく思えた。
「おい、マリス、どうした? そんな思い詰めた顔しちゃってよ」
「おトイレですか? デルタが陰を作りますから、恥ずかしがらずにしちゃってください
な」
 マリスの暗い表情に不安を感じたレンダルとデルタ。気にかけてくれる二人の生の温か
さに、マリスの傷ついた心は扉を開いた。
「ああ、すまない。……実はな、あたしは数ヶ月前にここでネクロマンサーと対峙したん
だ。そのとき、あたしは奴に死の淵まで追い込まれ、契約を迫られたんだ。悪魔との契約
さ。あたしは親友を失った直後のことでやけになって力を求めた。復讐のための力。強く
なれるためなら手段を選ばなかった。愚かな話さ、あたしはネクロマンサーに魂を売って
しまったんだ」
 ごくりと唾を飲むレンダルとデルタ。坑道を照らす弱弱しい灯火は変わらずに一定の明
るさを保ち、揺れている。
「あたしは今、後悔している。その力がもたらしたものは悲しみ以外の何でもなかった。
親友の死体と旅し、優しい狼男をこの手で殺めてしまい、憎むべき相手を間違えてしまっ
た。あたしがずっと憎んでいたのはとても優しい双子の姉妹だったんだ。彼女たちはそん
なあたしを憎もうともせず、必死になってあたしを止めてくれようとしたんだ。あたしは
最後の最後になってようやく気付けた、ネクロマンサーのいいように利用されていたのだ
と言うことを。すべてが終わった後、あたしには何も残っていなかった。親友は再び骨に
返り、優しい狼男はあたしに殺された。あたしはたった一人。もう自害してしまおうと思
った。でも、あたしが自分の首を短剣で裂こうとしたとき、その憎んでいた姉妹が二人が
がりで、自分たちはその短剣で血を流そうとも、あたしを救ってくれたんだ。あたしはま
た後悔した。こんなにも必死になってあたしの命を救ってくれようとしているのに、なぜ
自害しようなんて思ったのか。なぜこの優しい双子の姉妹の好意を素直に受け入れられな
いのか」
 マリスは天井を優しい表情で顔を上げた。
「あたしはこの救われた命を、その双子のために使いたいんだ。だからあたしはここへ来
た。過去の自分を乗り越え、さらに強く、優しい強さを身に付けようと誓ってさ」
 マリスは話し終えると、二人が黙ってしまったことに不安を感じた。
「す、すまない。こんな話するつもりじゃなかったのに、つい……」
「ば、ばかやろぉぉぉ! 俺たちはマリスがそんな気持ちでいるっていうのに、馬鹿みた
いにはしゃいでよぉぉぉ! 俺は自分がなさけないぜ!」
 涙をぐしゃぐしゃ流しながら、レンダルはマリスに頭を下げる。
「うぅぅぅ、私もですぅ。マリスお姉さまにそんな過去があったなんてぇ。デルタも悪ふ
ざけばっかりでごめんなさい! こんないけない子は叱ってやってください、お姉さま
ぁ!」
 デルタも大きな目からぽろりぽろりと大粒の涙を零す。そんな二人の姿にマリスの傷は
温かく癒されていく。

 この二人はあの双子みたいに素直で温かいなぁ。こんなにもすんなりとあたしを受け入
れてくれて、こんなにもあたしのために涙を流してくれて……。

 気が付けば、マリスも目から熱い物を流していた。頬を伝い、流れる熱い雫は涙。マリ
スの心は決まった。あの双子がそうしたように、あたしも仲間を守るために強くなるんだ。
この二人を守ってあげるんだ。
「レンダル、デルタ、ありがとう。あたしの命を救ってくれたのはあの双子の姉妹だけど、
あたしの心を救ってくれたのはあなたたちだ。今は楽しい旅がしたいんだ。これからもよ
ろしくな」
 マリスは両手を差し出し、右手にレンダルの手を、左手にデルタの手を取った。
「うおぉおぉぉぉぉん! マリスぅぅぅぅ!! 俺は感動しちまってるよ! こんな馬鹿
みたいな俺たちでよかったら、ずっと一緒に居てくれよぉぉぉ!!」
「マリスお姉さまぁぁぁぁぁぁ!! 心の奥の底のさらに奥の底の奥から好きですぅぅぅ
ぅぅ!!」
「ありがとう、本当にありがとう。あたしも二人が大好きさっ!」
 素直になろう。素直に生きよう。思いやりを持ち、憎むことじゃなくて、愛することで
強くなろう。
 マリスの心は二人の温かな涙で満たされ、この出会いに感謝した。薄暗く狭い坑道での
光景は妙なものだっただろうが、三人の温かな絆は明るく、希望で光輝いていた。

「言っとくけど、俺はつええぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ドレイツボォォォォォォォォ!!」
 そんな雰囲気をぶち壊すような雄叫びが坑道を駆け抜ける。ドレイツボとスカートめく
り男が鉄鉱山地下三階にお出ましだ。

―7―

 ここは鉄鉱山地下三階。デルタ&レンダルの必殺技【変態Dの悲劇】によって身はぼろ
ぼろのドレイツボとスカートめくりの男は突如現れた魔道士にその行く手を阻まれ、雄叫
びを上げた。
「やる気か、ジジイ。言っとくけど、俺はつええぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ドレイツボォォォォォォォォ!!」
 魔道士は無表情で杖の先に火の玉を発生させるとドレイツボに投げつける。ドレイツボ
はそれをかわそうとしたが、小石に足を乗せてしまい、体のバランスを崩し、ズデンと尻
餅をつく。火の玉はドレイツボの頭上を越えて坑道の壁に当たり、弾けた。
「俺は冒険のスペシャリスト! その素早さは全てを制するぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
ぇぇ!!」
 すっかり実力でかわしたと思い込んでいるドレイツボ。彼の脳みその半分は幸せででき
ている。
 魔道士は次なる火の玉を発生させ、スカートめくり男目掛けて撃つ。スカートめくり男
は自信満々に手首をぐにゃんぐにゃん曲げて杖を回す。回転数が上がっていく。火の玉は
回転する杖の合間を縫ってスカートめくり男に直撃した。
「ドゥ、ドゥレイツボォォォォ!!」
 スカートめくり男は凶弾に倒れ、杖を回したまま、足をピンと伸ばして坑道の天井を仰
いだ。
「どこを見てる! 俺はここだぜぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 スカートめくり男を囮にドレイツボはいつのまにか魔道士に肉迫していた。そして出
る! 必殺っ!
「アルファベットXの悲劇!!」
 四本のダガーは超至近距離の魔道士には一本も当たらずに、つまり全てのダガーが真横
に飛び、坑道の壁をちちちちんと鳴らした。風鈴の音のようで夏なら気持ちのよさそうな
音だった。
「エーーーーーーーックス!!」
 ドレイツボは超至近距離からの火の玉攻撃に吹き飛ばされ、坑道の中央を通るレールの
間にすっぽりと倒れこんだ。変態パーティーは全滅した。

「お、あの変態共やられてんじゃん」
 悲鳴を聞き、駆けつけてきたレンダルは楽しそうに言った。
「私のスカートをめくったりするから、ばちが当たったんですわ」
 デルタはぷんぷんとご立腹だ。
「それにしてもよくここまでこれたものだ。こいつら、弱さをカバーするなにかを持って
いるのかもな」
 マリスは一撃で魔道士を壁にめり込ませ、変態たちをフォローする。
「どうするんだ? まさか見捨てて行くわけにもいかないし」
「やっさしいなぁ、マリスは。俺ならトロッコでひき殺しちまうけどな」
 レンダルはトロッコを押すまねをしてさりげなくドレイツボを踏んでみた。
「優しいマリスお姉さまっ! 私、ポーションなら持っていますわ」
「俺はキャンデーなら持ってるぜ!」
「あたしに任せてよ」
 そう言うとマリスはドレイツボの胸に人差し指と中指を沿え、ハッ! と気合を入れた。
「まだまだ俺は終わらねえぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 ぴょんと元気になるドレイツボ。彼の脳みその半分はやはり幸せでできている。
「そら、そっちのも……ハッ!」
 活動を停止していた変態の手首が息を吹き返し、杖の回転が再び始まる。
「ドレイツボォ!」
 回転速度を速める杖。その速度が最高潮に達したとき、狙い澄ましたように杖の先端が
マリスの胸に触れた。
「あんっ!」
 漏れた声と共に何かが胸元から飛び出した。少し硬めの布で出来た白いお椀型の物体。
全員の注目がそれへと集まった。そしてマリスの全身からは恥ずかしさと怒りのオーラが
煙のように立ち昇った。
「貴様は殺すっ!!」
「ドゥ、ドゥ、ドレッ! ツボォヤォヤォヤォヤオオオオオオオ!!」
 地面を抉るほど強烈な衝撃が胸パット男の杖の回転を再び止める。憐れに思ったレンダ
ルはぱっかりと開いた変態の口にキャンデーを詰め込んであげた。

―8―

 先の折れたピッケルや割れたヘルメットが散在している。そのいずれも煤と埃でくすん
でいた。錆付いたレールの上、壊れたトロッコを引くように重たそうにスカートめくり胸
パット男を引きずりながら、ドレイツボはレンダルたちの後を追う。レンダルたちは顔を
潜めこそこそと内緒話をする。
「ねえねえ、お姉さま方、あのお方々本気でやばくないですか?」
「やべえやべえ、おい、魔物でも引っ掛けて殺させちまうか」
「あの杖の男だけなら反対はしないぞ。むしろあたしが殺ってやりたいくらいだ」
 三人は一度に振り返り、ドレイツボを睨む。彼の額には大量の汗がこれでもかと言わん
ばかり、一面に噴き出していて離れていてもその煌きは褪せない。
「なんであいつはあたしらを追いかけてくるんだろう?」
「マリスよぉ、お前惚れられてんじゃねえの?」
「女の人に触られたのが、実は初めてで、それでマリスお姉さまにきゅんってなってしま
ったとか!? そうですわ! 初めて触れられた相手がマリスお姉さまで、さらに命を救
ってくれた恩人なのですもの! 絶対マリスお姉さまに恋一直線なのですわ!!」
 恋愛のこととなると急にテンションの上がるデルタ。妄想も風船のように一気に膨らむ。
「えー、やだよー」
「おいマリス。こいつの妄想話に付き合ってると頭おかしいのがうつるから、気をつけろ
よ」
「ああ、そしてマリスお姉さまに恋焦がれたドレイツボさんは、変態スカートめくり男さ
んを引きずりながらも、一分一秒でもお姉さまのお顔を見ていたいと、汗だくになるのも
構わず、このレールを自分の恋の道だと思って歩いているに違いありませんわ!! ああ、
美しい恋ですわ! ドレイツボさん!!」
 そのとき、ガツンと鈍い音がした。レンダルの拳がデルタの頭を殴り、びぇーびぇーと
泣き出すデルタ。両手で目を擦りながら、その涙は左右に飛ぶほど勢いよく流れ出る。
「お、おい、デルタちゃん、大丈夫か? ほら、殴られたところを見せてみなよ」
 心配そうに体を屈めてデルタを覗き込み、マリスは頭を撫でてあげた。
「心配いらねえよ。こういうときのはうそなきなんだ。なんたってこいつ石頭だからなぁ。
俺のほうが拳が痛くって泣きそうだぜ」
 びぇーびぇーと涙を飛ばし、うぇーんうぇーんと金切り声を上げて泣き続けるデルタ。
そうこうしている内にドレイツボが三人に追いついた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。……よ、ようやく追いついたぜぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 ドレイツボの声に反応しぴたっと止まるデルタの涙。そしてこれから起こることを想像
しながら楽しそうに汗だくのドレイツボに微笑んだ。
「やりましたわねっ! ドレイツボさん! さぁっ! 憧れのマリスお姉さまに告白する
チャンスですわよっ!!」
 はしゃぐ恋愛妄想中毒者デルタ。しかし、ドレイツボの口からは思いがけない言葉が。
「俺はよぉぉぉぉぉぉ!! 惚れたぜぇぇぇぇぇぇぇ!! あんたの刺激的なピンクのパ
ンツによぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 突然の告白に時が止まる。いや、レンダルは馬鹿笑いをしている。止まったのはデルタ
の時だ。
「惚れたんだよぉぉぉぉぉぉ!! もう一度見せてくれよぉぉぉぉぉ!! どピンクのや
つをよぉぉぉぉぉぉぉ!! 見てぇぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 彼の脳みその半分は変態で出来ていた。変態と幸せ。この二つの要素だけで生きている
男は強い。それがこのドレイツボという男の強さの秘密だ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 変態と書いてロマンテックと読ませるような恥ずかしい告白にデルタのビンタが激しく
ドレイツボの横っ面をひっ叩く。
「うぐっぽぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 ドレイツボは引きずられていた変態スカートめくり胸パット男の上に弾き飛ばされ、
共々レールの上を跳ねるように数回転がった。焦がれたピンクは遠く、ドレイツボの手か
ら離れて行く。再びパーティーは全滅した。
 憐れに思ったレンダルはぽっかり開いたままのドレイツボの口にお子様キャンデーをく
わえさせてやった。きっと彼はいい夢が見れるだろう。
「ほんとになんなんだ、こいつらは」
「変態だろ」
 今度はマリスにも見捨てられ、三人は再び地下を目指した。

「まだまだまだまだ俺は終わらねえぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ドレイツボォォォォォォォォ!!」
 変態と幸せで生きている男は強い。短い眠りから覚めたドレイツボと変態スカートめく
り胸パット男。またも坑道に響いた雄叫びに三人は恐怖を覚え、地下への道を急いだ。

―9―

「今さらだけどさ、何で二人はこんなとこにいるんだ?」
 マリスは先頭を進みながら、黒い髪に指を絡ませながら顔を振り向かせた。
「ああ、言ってなかったっけ」
「デルタの目を見て、分かってください、お姉さまっ」
 マリスは立ち止まり、デルタの大きくて可愛い目をじっと見つめた。
「ごめん、わかんないや」
「こういうときはわかるか、ばかっ! って叱ってやるんだよ」
 ゴツンとデルタの頭をぐーで殴るレンダル。しかしデルタはケロッとした顔ですまし、
頬に指をあてる。
「あのね、私たちの大親友のエイミーお姉さまにはラスちゃんっていう子供がいるの。そ
の子を探しているんですけど、どこにいるかさっぱりで」
「ここの最深階にチタンって魔物がいるらしいんだけどよ、そいつが水晶を持ってるらし
くて、んでもってその水晶で見たいものを見れるって言うんだ」
「その水晶でラスちゃんを見つけようってことなんだね。それでこの鉄鉱山に潜ってるっ
てことか」
「ですです」
 マリスは再び前を向いた。
「チタンかぁ。聞いたことないなぁ」
「ま、ガセだったらジム=モリが死ぬはめになるだけだがな」
 はははは、と三人は笑った。乾いた笑いがよく響いた。

 現在地は地下四階だろうか。三人はさらに地下へと伸びるはしごに足をかけた。すると、
はしごの下でマリスたちを見上げ、待ち構えている一体の魔物の姿が。
「とうっ!」
 マリスははしごを蹴ると、待ち伏せしている魔物の頭を踏みつけ、猫のようにしなやか
に着地すると背後から堅い拳で一撃を見舞った。魔物は長身、がっちりとした人型の化け
物。頭には兜のようなものを被り、首は金属製の板で覆われており、その表情はうかがい
知れない。
「こいつはコロッサスか、この鉄鉱山にもいるんだな」
 マリスの鉄拳が背中を強打し、コロッサスははしごに打ちつけられた。はしごがぐらぐ
らと揺れ、しがみついているレンダルとデルタが悲鳴を上げる。
「おおい、おおおおい! マリス、恐がらせんなよ」
「きゃっ! きゃっ! ぶーらんぶーらん楽しいですわ」
「いやぁ、すまない、すまない」
 マリスはよろけるコロッサスの手を強引に引くと、ぶんと反対方向に投げ飛ばした。マ
リスを優に越える巨体が空に弧を描き、コロッサスは地面に叩きつけられた。小柄なマリ
スだが見た目からは想像できない程の剛腕だ。
 レンダルとデルタはこの隙にはしごから降りると、デルタを短剣と丸盾に変身させ、戦
闘体勢に入った。
「しっかしマリス、見た目によらず剛腕だな」
 と目を凝らして見てみると、マリスの全身からはもやのようなオーラがほとばしってい
た。
「魔法みたいなものさ、私たちは“気”と呼んでいるけどね。そこまで筋肉はないよ」
 笑いながら、マリスは怒り狂ったコロッサスの鋭い前蹴りを拳でいなすと、流れるよう
な動作で金属板で守られている首に反撃の肘打ちを入れる。べこっと金属板がへこみ、コ
ロッサスはよたよたと後退した。
「よっしゃ、デルタ、斧だ!」
 デルタはその形を片手斧へと変え、レンダルはよたったコロッサスの腹部にデルタを叩
きつける。が、カキーンという乾いた音と共に弾き返され、衝撃に手が痺れる。
「げっ、傷一つ付いてねえ」
「いっったーー。私が刃こぼれしましたわ、お姉さま」
 二人の会話を妨げるように、コロッサスは左足を踏み込み、力を溜める。そしてお返し
にと言わんばかりの強力な前蹴りがレンダルを襲う。盾となったデルタで受け止めるもそ
の衝撃の強大さにレンダルは吹っ飛ばされ、壁にしこたま体を打ち付けた。レンダルの額
に青筋が浮かび上がる。
「うっがぁ! てめ、なめんなよ!!」
 憤慨するレンダルの対面で身を屈めたマリスは素早い足払いでコロッサスの足を薙ぎ払
い、転倒させる。レンダルの足元に巨体が倒れこんできた。
「デルタぁぁぁぁぁ!! でっけーーーー斧だっ!!」
 デルタの盾になっていた部分を剣に吸収すると、デルタは一本の大きな斧へと姿を変え
た。レンダルはそれを両手でぶれない様しっかりと持つと、坑道の天井まで届くかと思う
くらい高く振り上げ、一段と青筋を膨らませながら一気に叩き下ろした。
「ぶごぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 ざっくりとコロッサスの背中に斧が突き刺さり、苦汁が噴き出す。
「もいっちょーーーーー!!」
 腰を入れ、斧を引き上げると、今度は兜目掛けて渾身の力で振り下ろした。斧の刃は簡
単に兜を真っ二つに割り、弾けた。斧を引き抜くとコロッサスはぴくぴくと痙攣を始めた。
「はぁ、いってー」
「痛いのは私のほうですわ、お姉さまっ!」
 ふわんと元に戻るデルタ。肘が少しすりむいている。刃こぼれしたのは肘の部分だった。
「いやあ、それにしても二人とも強いな。あたしなんて用なしじゃん」
 謙遜するマリス。レンダルとデルタは照れ笑いを浮かべながら、
「いやいや、マリスのほうが俺たちの数倍強いさ。俺なんてあんな風にこいつを投げ飛ば
したりできねえぜ」
「なんたって、私じゃ刃が立たない魔物さんをぼかすか殴っていたじゃありませんか」
 互いを褒め称える。互いを認め合っているからこそのセリフ。
「ふふ、本当に二人と一緒に冒険できるのが嬉しいよ。さ、行こうか」
 マリスはつやつやと輝いた笑顔で先陣を切って歩き出した。上を向いて歩ける幸せを噛
み締め、この優しく何とも温かな二人の女性と共に居れることを感謝しながら。

―10―

 コロッサスを倒し、しばらく進むと、ずっと続いていたトロッコを走らせるためのレー
ルが無くなった。同時に破棄されたピッケルや黒ずんだ手袋などの人工物も見られなくな
った。この鉄鉱山の歴史はここで終わっていた。
「この先がジム=モリの言ってた廃坑か。チタンはこの奥か?」
 レンダルは急に歩きにくくなった坑内にじゃりじゃりと足音を立てる。
「けっこう長いのですねぇ」
 のんきなデルタの口調にレンダルは靴で地面を鳴らす。
「ここは廃坑で言ったら地下四階くらいかな。地下九階まではよく冒険者が行くって言っ
てたけど、何階まであるんだろう?」
「うへえ、まだ半分も来てないんかよ」
 不満気なレンダル。
「もしガセだったらジム=モリおじさまを目いっぱいいぢめてあげますわ」
「むしろ殺す」
 荒々しく肩を怒らせ、殺気立つレンダル。
「ははっ、まあ、九階までは冒険者たちの足跡で道には迷わないだろうから、気楽に行こ
うよ」
 不機嫌になるレンダルの気を揉み、宥めるマリス。
「そうだな、リラックス、リラックス」
 単純なレンダルはすぐに和んだ。
 冒険者たちが頻繁に廃坑地下九階まで行くとはいえ、厄介な魔物の多い鉄鉱山回りのル
ートを選ぶものはほぼ皆無。三人は度々行き止まりに遭い、引き返しては進み、引き返し
ては進みを繰り返した。足が痛くなるほどそんなことを続けていると、ようやくたくさん
の足跡のついた道に辿り着いた。
「おっ! これかぁっ!!」
 行き止まりばかりの進路に苛立っていたレンダルは歓喜の声をあげる。
「間違いないだろうね。ふぅ、これで何の心配もなく歩けるよ」
「私、疲れてしまいましたわ」
 言われてみれば、レンダルもマリスも体に疲労を感じていた。三人は少し広くなってい
る通路の一角を見つけるとポーチから取り出した布を敷き腰を下ろした。
「なあ、なんで二人はその親友の子供を探しているんだ」
 マリスは水筒のキャップを開けると、口にちょこっとつけ、水をちょびちょび飲んだ。
「ああ、色々とややこしいんだけどよ」とレンダルはラスとその父親のこと、エイミーの
過去を説明した。

「地下界か。……嫌な響きだ」
 マリスはあのネクロマンサーも地下界の者だと言うことを聴かされていた。自分は親友
だった。エイミーは愛する息子だ。自分同様、地下界の者によって人生を翻弄されている
エイミーに同情し、何とかエイミーを助けたいと思った。
「なんだか他人事に思えないな。全く、なんで地下界の奴らってこうも悪人ばかりなんだ」
「ま、地下界だ。昔は地獄なんて呼ばれてたんだし、ろくな奴なんていっこないぜ」
 デルタは二人に賛同しかねた。なぜならあの時、地下界のラスと対峙したとき、デルタ
は確かにラスに温もりを感じていたのだから。大好きなエイミーをあんな風にしたラスは
許せない。しかし、デルタはその温もり故にラスを憎みきれずにいた。そんなことは口が
裂けてもレンダルには言えない。デルタは密かに心を痛めていた。
「おい、ピンクだるま、何しけた顔してんだよ」
 こつん、とデルタの頭をこづくレンダル。ちょこんと座ったデルタのほわほわのスカー
トが雪ダルマの胴体のように丸くて、思わずマリスは水を吹き出した。
「おねぇさまぁっ! だるまだなんてひどくありませんか! デルタはぼんきゅっぼんの
スレンダーボディなのですよ!」
「はぁ? ばんぼんでんのすっとこどっこい体形だろ、この勘違い野郎が!」
「ひどいーーーー!!」
 ぽかぽかとレンダルを叩くデルタ。これでいいのだ。この雰囲気こそがデルタの求める
もの、デルタの宝物。レンダルのご機嫌を取りたいわけではない。でも、これだけは、こ
のことだけは言ってはならないことなのだと、デルタは理解していた。この心の苦しみを
与えるのもレンダルだし、取り除いてくれるのもレンダルだ。デルタにとってレンダルは
居なくてはならない存在。消えれば、デルタもまた消えてしまう。ちょっとやそっとじゃ
切れない絆。切れるとしたら、それは二人の愛するエイミーを否定すること。つまり、地
下界のラスを肯定すること。だからデルタは言わない。きっと言わない。
「はははは、ぜんっぜん痛くねーぜ、このデブタ!」
「ひどひどひどいーーーーー!!」
「くっっっっははははは、ごめんデルタ、面白すぎてっ、あっはははははは」
 和やかに過ぎる時。ここにエイミーが居たらどんなに幸せだろうか。早く元気なエイミ
ーに戻ってあの柔らかな笑顔で、微笑んでほしい。包んでほしい。エイミーがほしい。
 笑いあい、疲れも抜けるほど体の内から元気のみなぎる三人。
「さぁ、さくさく行こうかっ!」
 景気よく立ち上がるレンダル。つられてデルタとマリスも立ち上がる。三人の気持ちは
一つ。
 エイミーのために、ラスを見つけ出す!

―11―

 本当にたくさんの足跡がついている。この無数にある足跡をつけた人々は一体どんな気
持ちでここを歩いていたのだろうか。ある足跡の主は仲間たちとの冒険に胸を躍らせてい
たかも知れない、ある足跡の主は独り、孤独に耐えながらこの通路を歩いていたかも知れ
ない。そして今の三人のように、強い意志を持って歩いていた者もいたかも知れない。
 レンダルたちは一度も迷うことなく、地下九階に到達した。入り口には数人の冒険者が
腰を下ろし、何かを待っているようだった。一体のコロッサスを何人もの武芸者たちが囲
み、協力し合って戦っていたり、一対一で己の力量を試している者もいた。中には、数人
のパーティーの中、飛びぬけた能力を持つ者がいて、コロッサスを瞬殺している光景も見
られた。
「こんなところまで、ご苦労なこった。しかし、なんでこんなに人が集まるかな」
「コロッサスはタフだが動きがとろいから、皆、技を磨きにくるのさ」
「サンドバッグですねっ」
「ふぅん。そんな理由で殺されるコロッサスもなんだか哀れだな。奴らから見れば俺たち
は地下界の奴ら以下ってことか」
 何気なく言ったレンダルの言葉が重い。人間は自分勝手な生き物だ。食べるために殺し
たり、着物にするために殺したり、武器にするために殺したり、挙句の果てにはただ鍛錬
のためだけに殺される。遊びで殺す者もいるだろう。
「それを考えると、あたしらは残酷なもんだね」
「ですねぇ……」
 しんみりと顔を見合わせるデルタとマリス。言葉がでないような見えない重さがあった。
「わっ、わりい、そんな気持ちで言ったわけじゃないんだ。忘れろ、忘れろ!」
 レンダルは手を頭の上でばたつかせて重い空気を払った。
「さぁ、チタンチタン! 金色のチタン様はどこにいるのかなぁ~っと」
「お姉さま、チタンは銀灰色の金属ですわっ」
 ちくりとつっこむデルタを睨む。
「うるせっ! んなこたぁどうだっていいだろ! 今の俺の気分は黄金色なんだよ!」
「まぁ、黄金色だなんておねえさま、金に飢えているのですねっ」
「レンダル、目がGになってるぞ」
「ばかにすんなよ、てめぇらっ!!」
 ぺしぺしとデルタとマリスの頭をはたくレンダル。初めてのつっこみに、マリスはなん
だか嬉しくってにやけた顔が戻らなかった。

 ぐるっと一周してはみるものの、チタンらしき魔物はいない。三人が途中で見つけたさ
らに地下へのはしごに手をかけた、そのときだった。
「言っとくけど、俺はつええぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ドレイツボォォォォォォォォ!!」
 何という大声。広いマップの端から端までドレイツボと変態スカートめくり胸パッド男
の声が響いた。
「あ、やつらまだ生きてたんだっけ」
「すっかり忘れてたな」
「いやーーーーーーーーっ!!!」
 デルタはせかせかとはしごを降った。残る二人もそれに続く。
「エーーーーーーーックス!!」
「ドレイツボォォォォォォォォ!!」
 二人の変態の断末魔が虚しくマップを駆け巡る。その声は三人には届かなかった。

―12―

 鉄鉱山から潜り、はしごをいくつも下って気付けばもう廃坑地下十階。冒険者たちで賑
わっていた地下九階が嘘のように静まり返っている。無音。そこは生物など何も存在して
いないかのような静けさで、空気すら止まっているようである。
「嫌な静けさだ」
「なんだか不気味ですわ」
 長いこと誰も立ち入らなかったのか、足跡は一つもない。三人は新しい足跡をつけなが
ら、マップの端から端まで隈なく地下への道とチタンを探し歩いたがそのどちらも見つけ
出せなかった。
「廃坑って十階までだったのか。人間の足跡がないのは分かるけど、魔物の足跡の一つも
ない。こりゃ完全にジム=モリさんにやられたね」
「ガセ……だったのでしょうか」
 デルタがぽつんと漏らす。
「殺す……しかないでしょう」
 レンダルがデルタのまねをしてぽつんと漏らす。
 虚しくなった三人は、とぼとぼと来た道を引き返す。するとデルタが壁に光る鉱物に目
を光らせた。
「まぁっ! 見てください、お姉さま方! こんなにきれいな鉱石が壁にびっしりです
わ!」
「ほんとだ。廃坑になったとは言え、元々はかなりの鉱物が産出されたって話だからね。
これはなんの鉱石かな?」
「えらい濁った色だなぁ。銀かなんか、金属系の元か。それにしてもよ、廃坑にするんな
らこんなもの残しとくかね。もったいね」
 またもレンダルが無意識に放った言葉にマリスとデルタはハッとする。そうだ、ここは
廃坑。廃棄された鉱山。鉱物が残っているはずがない。
「二人とも、離れろぉ!!」
 マリスが叫ぶ。すると突如、壁が割れ、銀灰色の魔物が現れた。見た目はコロッサスそ
のもの。ただ、全身は銀灰色の金属で出来ているかのように鈍く輝き、重々しい。割れた
岩壁の破片が乾いた音を響かせ、地面に散らばる。銀灰色の魔物は三人を見下すように仁
王立ちし、暗い眼光を覗かせる。
「おおお、出た出た出たっ! こいつがチタンか! デルタ、いくぞっ!!」
 デルタは体を曲刀と二又の短剣に変化させ、レンダルの手に納まった。
「だぁりゃぁぁぁぁぁっ!」
 レンダルは大股で踏み込むと腕をしならせ、勢いよくチタンを切りつける。しかし、相
手はコロッサス以上の皮膚の硬さ、キィンッと火花を散らし、その肉体には傷をつけるこ
とも出来ない。
「あたしに任せてよっ!」
 マリスは気を込めた拳をチタンのみぞおちにぶち込む。しかし、チタンは微動だにしな
い。マリスは拳の感触に違和感を感じた。
「なんだこいつっ! まるで中身がからっぽみたいに軽い手ごたえだ。衝撃がうまく伝わ
らない」
 その言葉でレンダルは思い出した。チタンは体内の水晶で動いているとジム=モリは言
っていたことを。
「おい、ひょっとしたらそいつ、水晶の力だけで動いてるんじゃないか」
「あっ、なるほど。ラスちゃんみたいに水晶の力でコントロールされていれば、ただの金
属が形を作りあげて動くこともできますわね」
「つまりは、その水晶を壊せばこいつは止まるってことか。でも、その水晶がほしくって
こんな所まで来たんだろう?」
 おしゃべりを嫌うかのようにブォン! とチタンが壁を蹴り上げる。砕け、弾かれた岩
石が散弾のように三人を襲う。
「くっそ、いってーな! 何とかしてよお、こいつを引き裂いて水晶をいただこうぜ! デ
ルタぁ、でっけー斧だっ!」
 レンダルはデルタを巨大な斧へと変身させ、両手で構える。
「よしっ、あたしが動きを止める。隙ができたらやってちょうだい」
「おうっ!」
 マリスは素早い動きでチタンの拳をすり抜けると、その背後に回り、両膝の裏を突く。
がくんと膝をついたチタンの首についた防護板に腕を回し、がっちりとホールドした。
「今だっ!」
 レンダルは地面をいっぱいに踏み締め、腰を捻り、全身をしならせて巨大な斧を振り下
ろした。ガギィンと鈍い金属音が響き一瞬の火花が散る。全力の攻撃もチタンの体には傷
の一つもつけられない。
「ちぃっ!」
 レンダルが斧を引きずり、再度振り上げようとした瞬間だった。がっしりと首を固定し
ているマリスを引っ付けたままチタンは立ち上がると、勢いよくバックステップし、壁に
マリスを叩きつけた。
「ぐはっ」
 少し坑道が揺れた。マリスはチタンの硬い背中とごつごつした岩壁に挟まれ、その小さ
な体は力なく、どさっとチタンの足元に落ちた。
「マリスぅぅぅぅっ!!」
 チタンはマリスの小さな頭を踏み潰そうと足を高らかに上げた。レンダルは焦りながら
も、手をマリスのくれたジム=モリの巻物に伸ばしていた。
「マリスを助けてくれ、ジム=モリぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」
 巻物を広げると、何の詠唱をしなくとも、火の鳥が飛び出した。ところ狭しと翼を広げ
た火の鳥は超高速でチタンに突っ込むと、チタンの頭を咥え、投げ捨てた。
「ぐごぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 咥えられた頭部は熱で変形し、空洞の胴体からは悲鳴のように炎の燃え盛る音がこだま
し、空いた穴から漏れ出した。
「マリスっ!」
 レンダルはマリスに素早く駆け寄ると優しく頭を腿に乗せ、大きなポーションを口に流
し込ませた。
「ごっほごっほ、すまない、足を引っ張ってしまって」
 マリスは全身の痛みに耐え、顔をチタンに向ける。その眼前にはチタンを翻弄する火の
鳥の姿があった。
「すごい魔力だ。あんな完全な形の鳥を魔力で創り出せるなんて」
「ジム=モリおじさまは鳥が大好きなのです」
「腐っても、あいつはベルツリー家の人間だからな」
 火の鳥は相手の体内にあるものの重要さを理解しているかのように、チタンの頭、腕、
脚を熔かせた。そして鉤爪で胴をぱりっと引き裂くと、役目を終えたことを示すように空
気に溶けていった。

「なんだかジム=モリに全部持ってかれた感じだな」
 レンダルはどろどろに溶け、もはや原型を留めていないチタンの胴部から丸く透き通っ
た水晶を取り上げた。
「きれいですわねえ」
「ほんと、まるで澄んだ空気のように透き通ってるね」
 水晶は一度手を離れれば、もう見つけられなくなってしまうかと思わせるほど透明だっ
た。三人がその透き通った美しさに見惚れていると、突然その水晶の内部に半身獣、半身
人のあの男が映し出された。はっと息を呑んだ瞬間、それはすでに目の前の現実となって
いた。

―13―

「どうした? エイミー」
 ジョーイは突然上半身を起こしたエイミーを驚いた青い瞳で見た。
「来るわ、来た、来たのよっ!! レンダル、デルタっ!!」
 怯えた表情で髪を振り乱すエイミー。また悪い夢を見たのかと思い、ジョーイは優しく
肩に手を当て、エイミーをなだめる。
「落ち着いて。大丈夫、レンダルもデルタも元気にしてるよ」
「だめっ! だめなのよ! 誰か、誰か助けてあげて! レンダルが!! デルタが
っ!!」
「おいっ! しっかりしろ、エイミー!」
「お願いお願いお願いお願い!! だれかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 激しさを増すエイミーの感情の高ぶり。壁にかかっている額をカタカタと鳴らせるほど
の激情。感情が魔力の制御を狂わせる。エイミーの魔力は目に見えるほどその体内から溢
れ出し、破壊を始めようとしていた。
「くっ! 龍よ、抑えてくれっ!!」
 ジョーイは左目を覆っている眼帯を外し、その窪みでエイミーを強く見た。奥深く、暗
い窪みの中から青い魔力が飛び出す。青い魔力はエイミーを包むと優しく、なだめるよう
に溢れ出した魔力をエイミーに戻した。そしてエイミーは再び眠りについた。
「ありがとう。戻ってくれ」
 ジョーイの目の窪みに青い魔力が吸い込まれる。いや、流れ込んでくる。眠ったエイミ
ーの白い顔を確かめると、ジョーイは一つ、大きく安堵のため息をついた。
「なんて奴だ。ここまでこの娘の心を不安定にさせるなんて。男の風上におけない奴だな」
 ジョーイは知らない。エイミーが発狂した本当の理由を。
 暖かな太陽が牛の食欲をそそる。町はいつも通り穏やかで、のんきな牛がエイミーの家
の裏に生えた草をむしりとってはもしゃもしゃと食べていた。ジョーイはそんな光景を窓
から眺め、そのうち、うとうとと浅い眠りに落ちた。
 エイミーの感知した危機は、ジョーイには伝わらなかった。

―14―

 レンダルの胸には沸々と、様々な感情が沸きあがっていた。恐怖、怒り、憎しみ、恨み、
殺意。そして、絶望。ここが地下深くにあるという証明のような息苦しさ。
 突如現れたラスにレンダルはもちろんのこと、デルタも、そして初対面であるマリスも
時が止まったかのように硬直してしまった。殺意ではない。だた、そこに居るだけ。それ
でもラスの放つ空気は威圧的で、体重の何倍もの足枷を嵌められ、尚、地中に埋められた
ようだった。
「わざわざ門に寄ってくるとは、お前たちとは余程縁があるのかもな。いや、お前の案内
のおかげか、闇の魔力を持つ者よ」
 ラスはマリスの芯を指差す。レンダルもデルタも驚きの目でマリスを見る。しかしマリ
スはきっぱりと、力強い声で否定する。
「あたしは闇の魔力なんて知らないよ。あたしのは気って言うんだ。あんたたち地下界の
汚れた力と一緒にしないでくれ」
 ラスはあごに手を当て、考える。
「確かに。その魔力はお前のものではないな。与えられたもの。ふむ、ネクロマンサーの
生狂操術とやらの被検体か」
「あのネクロマンサーを知っているのか!?」
「奴は落ちこぼれ。一度は俺たちの世界から追放された。しかし人間を生きたまま操れる
術を開発したと意気揚々、戻ってきた。俺にとってはあんなもの、何の価値もないがな」
「なめやがって!」
 怒りを露にし、怒気を纏うマリス。しかしレンダルが腕を掴み、それを抑える。ラスは
もうマリスには興味が無さそうに顔を背けると、デルタと向き合った。
 デルタの胸に湧き上がる懐かしさ。心の奥に温かな火が灯る。その灯火はレンダルやマ
リス、エイミーの与えてくれるものよりももっと深いところで灯っていて、ふいにデルタ
は表情を緩めた。ラスに対するデルタの異変にレンダルは気付いたが、どうにかしたい衝
動をじっと抑え、マリスの腕を放した。
「お前は何だ」
 ラスはデルタに問いかける。ラスもまた、デルタに特別な感情を抱いているようだった。
「私は、あなたが嫌いです。エイミーお姉さまにあんなことをして、レンダルお姉さまを
殺しかけ、ラスちゃんを連れ去ろうとする。私の大事なものを全て奪おうとする人。だか
ら私はあなたが嫌いです。嫌い……なのに」
 デルタの大きな目からぽろぽろと涙が零れる。抑えたいのに、抑えられない。流れ出る
涙に悔しさを感じ、どうか、どうか止まってほしいと願う。
「そのセリフ、その姿。俺には見覚えがある。そいつは俺の産み親。お前はそいつの親縁
の者か」
 ラスの言葉に思いがけなく、レンダルはハッとする。デルタは里子。本人はゴッドレム
夫妻の本当の子供だと思っているが、実際には出生の知らない里子なのである。ただ、誰
もそのことをデルタには話していなかった。デルタを囲む環境は恵まれていたし、デルタ
はまだ十六歳。真実を語るには早いと思われていた。
 レンダルが知っているのはデルタが里子だということだけ。どこの誰の子だなどという
ことは知らされていなかったし、恐らく町中の誰も知らない。ラスの言葉が真実ならば、
デルタの親族の内、誰かが犠牲になっている可能性が高い。神の悪戯な縁はデルタとラス
を結ぶのか。
「一緒にくるか? そうすればそいつに会わせてやろう」
 ラスは大きな手を差し伸べた。デルタにはその手が悪魔の手にも、天使の手にも思えた。
悪魔についていけば悲惨な運命が待ち受けているだろう。天使についていけば真実を知る
ことができるだろう。デルタは何もかもを忘れ、ただその手をじっと見、考えた。
「迷うな! デルタっ! お前は行っちゃいけない、そっちに行ったらお前がお前じゃな
くなっちまう!!」
「そうだ、デルタ、あたしからも頼む! 元気なエイミーさんに戻ってほしいんだろ! な
ら、あなたがそっちに行っちゃだめだ!!」
「なに、エイミーも直に連れて行く。それに、お前がいたほうがエイミーも喜ぶだろう」
 まるで魔法でも掛けられたかのように、デルタの瞳はまっすぐにラスを見つめている。
栗色の瞳が揺れ、ラスの眼が応える。それはレンダルたちの知るものと遥かにかけ離れて
いて、デルタの心の天秤が振れる。
 デルタの手が動いた。
「デルタぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 思い出せっ!! 俺たちと、エイミーをぉ
ぉぉぉぉぉぉっっ!!」
 叫びはただ坑道を虚しく突き抜けていくだけ。ぼーっとしたような、まどろんだ表情の
ままデルタの腕がラスのほうに伸びていく。レンダルはもはや何を言っても無駄だと悟り、
ジム=モリの巻物を一枚広げた。
「野郎! デルタから離れろっ!!」
 ジム=モリのかけた魔法は氷の鳥。空気を切り裂くように鋭く飛びかかり、ラスを突き
飛ばそうとする。が、ラスはデルタに差し伸べている手をそのままに、もう片方の手で闇
を創り出すとジム=モリの鳥は押し縮められるように吸い込まれ、消えてしまった。
「なかなかの魔力だが、俺の前では無に等しい」
 デルタとラスの手が触れる。デルタが行ってしまう。デルタがいなくなってしまう。
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 レンダルは最後の巻物を広げた。瞬間、景色が変わり、見慣れた家具と二羽の小鳥がデ
ルタの代わりに居た。
「あ……? ああっ!!」
 突然現れたレンダルに小鳥が慌てて羽ばたき、悲鳴を上げる。レンダルの隣には呆然と
したマリスがいた。青い顔でレンダルはぐるっと部屋を見回した。どこにもデルタの姿は
ない。
「ああっ!! あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
 取り返しのつかないことをしてしまった。
 力だ。己の力を信じずに、ジム=モリの力を頼った結果だ。何て無力で、何て情けない
んだ。
 レンダルは自分への怒りから激しく床を叩いた。拳を握り、繰り返す。皮がむけようと
も、血が噴き出そうとも、拳が砕けようともけっして力を緩めることはなかった。
「よせ! やめろ! そんなことをしてなんになる!」
「ちくしょう!! ちっっっっっくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
 マリスの言葉はレンダルには届かない。なぜ、なぜ巻物を開いてしまったのだろう。ジ
ム=モリの愛する小鳥は二羽。当然、残りの一枚には何か別の魔法が掛けられているのだ
と、冷静に考えればわかったことなのに。ジム=モリをよく知っているレンダルだからこ
そ、分からなければ、気付かなければいけなかったのに。
「自分を責めるな! レンダル!! 自分を責めることで何が生まれる! こういうとき
だからこそ、冷静になれ!」
 似たような経験をマリスはしている。だからこそ、レンダルを止めたい。こんな姿は見
たくない。しかし、レンダルの自責の念を止めることはできない。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!!」

 もう戻ってこない。デルタの、あのかわいらしい笑顔が、あの甘ったるい声が、あの妹
のようなデルタが……。

「デルタぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 レンダルは泡を噛む思いで自分を責め続けた。ジム=モリが帰ってこようとも、レンダ
ルの怒りは治まらず、床を叩き続ける痛々しい音がデルタのいないハノブの夜空に虚しく
響いた。



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