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FATの小説

FATの小説

赤い悪魔

「赤い悪魔」



 揺れ動く赤い髪はまるで地下から噴き出す溶岩のよう。絡み合う太く赤い髪が業火のごとく見た者の心を焦がし、赤い石が埋め込まれているような真紅の瞳は見た者に恐怖を与える。

 あいつは「悪魔」だと。


 赤い髪の女は陽のようようと照らす不安な大地にしゃがみこんでいた。普段、ネクロマンサーとしてその姿を隠している彼女だったが、今はその仮の姿を捨て、彼女本来の姿を露にしていた。

「来る……かな」

 彼女は陽の光が苦手だった。赤い瞳に赤い太陽の光はあまりに似すぎていて、彼女の瞳は受け付けなかった。それゆえ、眼を光に当てないよう、太陽に背を向け、さらにしゃがみこみ、自分のつくり出す影の中にうずくまっているのである。

「来ない……かな」

 彼女はとあるギルドに所属していた。彼女はネクロマンサーとして、一生懸命に働いている。ギルド戦争では苦戦している味方への援護がうまいと特に評価されていた。

「来る……」

 彼女の影の中に白い花が咲いていた。彼女はその花を手に取ると、切望な想いで花びらを一枚、散らせた。

「来ない……」

 ネクロマンサーとしての彼女は無口であった。しかし、ギルド内での信頼は厚かったし、無口なことでより彼女の魅力が引き立っていた。実際、何人もの男が冗談半分にも、本気にも、彼女に言い寄ったものだ。

「来る……」

 彼女はギルドメンバーの一人に手紙を出した。不器用な字で、

「あなたに話したいことがあります。二人っきりであの出会った平原で会いましょう」

 と書いた。震えた文字は彼女の純情の証、仮面の下で抑えてきた感情の波。差出人の名前も、時間も書かれていない手紙。初めてだった。こんなものを書くなんて、初めてだった。

「来ない……」

 花びらは無情にも散っていく。彼女は花びらがあと何枚残っているか確認してしまいそうになる赤い瞳をぎゅっと閉じ、呪文のように唱えた。

「来る……」
「エルノ?」

 赤い髪先まで血が送り出されたかのような激しい心臓の躍動。聞きなれた優しい声をかけられて、声が出せないほど喉が詰まった。熱い気持ちがつっかえて、熱い体がもどかしい。彼女は彼が来てくれたその事実だけで幸せだった。

「ねえ、エルノ……なんだよね?」

 男の眼下にうずくまっている赤い髪の女は中々その顔を上げようとしない。男は、生き物のように力強く太陽の光を照らし返している真紅の髪に鳥肌が立った。

「待って……いました。きっと……来てくれると……信じて」

 熱い気持ちは半分言葉に、半分涙となって彼女の体外に出た。言葉は新たな熱い気持ちに生まれ変わり、胸を燃えるように熱く締め付ける。彼女の耳は美しい赤に濡れた髪と同化し、薄紅の頬に一筋の潤いが滑る。

「ぼ、ぼくをどうする気だ!? この悪魔っ!!」

 男は彼女を畏怖した。彼は無駄に知識があり、彼の読んだ書物の一下りにはこんなものがあった。

――赤き髪の者、赤き瞳を持つ。泣き濡れる姿に死する者あり。死の使者、悪魔也

 彼女の喜びは一瞬にして悲しみに変わった。付き合いが浅かったわけじゃない。もう何年も同じギルドのメンバーとして毎日顔を合わせてきた。彼は誠実に、真面目に彼女に接してくれた。他のメンバーが彼女のマスク姿をけなしたとき、彼は怒り、彼女を守ってくれた。
 だから、恋をした。

「わ、わたしはっ! ただ……ただあなたに好きと伝えたかっただけでっ!!」

 男は知っていた。悪魔は人を誘惑すると。

「そうやって、いままで何人の男をだましてきた? ぼくはたぶらかされはしないぞ、悪魔めっ!」

 真面目すぎる性格が仇となったのか、男は彼女を悪い悪魔だと完全に思い込んでしまった。彼女の本当の気持ちも知らずに。

「違うんですっ! だましたりなんてしないっ! わたしは……」

 悪魔なんかじゃない。
 そう言いたかったが、それは嘘になってしまう。赤い髪、赤い瞳。彼女は間違いなく悪魔だった。しかし、彼女は悪魔に似合わぬ清らかな心の持ち主であった。

「わたしは……? なんだぁーー!!」

 男は架空の敵……人をたぶらかす悪魔を討たんと彼女を襲った。

「いやっ! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 彼女の願いも虚しく、男は彼女の防衛本能によって召喚された土芋虫に飲み込まれた。それはちょうど、あの白い花が咲いていた場所だった。
 彼女は絶望した。

 あの人なら、私を救ってくれたあの人なら、きっとこの姿も受け入れてくれるはず。
 愛して……くれるはず。

 彼女は人間を過信しすぎたのであろうか。はたまた、人間というものをあまりに寛大に、あまりに優しく描きすぎていたのだろうか。
 地中に戻って行った芋虫はあの人の遺品を何も残してはくれなかった。まるで彼女の抱いていた恋も幻だったと言わんばかりだ。

 塞ぎこみ、再び太陽を背に、自分の影に隠れる彼女。今度は誰を待っているでもない。花びらも散らせない。ただ、涙が影をしっとりと湿らせているだけだ。

「失礼致します」

 背後から、太陽の方角から声をかけられ、彼女はびくっとした。太陽と人目を避けたい涙に従い、うずくまったまま、返事もしなかった。

「先程のあなた様の行動を見させて頂きました。失礼は承知の上です」

 彼女にとってそんなことはどうでもよかった。今は人間に対する絶望と、愛する人を失った悲しみだけが現実だった。

「私は、あなたに惚れているようです」

 バッと彼女は声の主の方を振り向く。赤く長い髪が弧を描き、火を灯す。赤く腫れた目は太陽に霞む男の姿を捉えた。色黒でがたいのよい、長い髪を後ろで一つに束ねている男。着ている服には彼女の苦手な十字架が掘り込まれている。

「おっと、失礼」

 男は彼女が十字架を恐れているのを見ると、その部分を力任せに引き裂いた。信仰の証は容易く破れた。

「なに……してるんですか?」

 彼女は太陽を遮るように目の上を手で隠しながら、十字架を破り捨てた男を赤く濡れた瞳で見つめた。

「私は聖職者として自分を偽ってきました。実は、あなたのことは何度も街で見かけ、気になっていたのです。先ほどの男が数日前にあなたのことを漏らしていたのを恥ずかしながら耳に入れたもので、気になってここまで来てしまいました。私のことを不審に思われるでしょう」

 彼女は首を振りはしなかった。ただ、赤い宝石のような瞳を輝かせ、男の話に真剣になっている。

「私は、あなたの本来の姿――今の姿に気付いていました。しかしあなたは、何年も、ネクロマンサーの姿のままいた。私にも気持ちはわかります。あなたと、同じですから」

「わたしと……おなじ?」

「そうです。私も、あなたと同じように本来の姿を隠しているのです。ですが、この姿にも嫌気がさしてきました。私は卑しいもので、あなたが本当の姿を誰かに見せる日が来たら、私もその姿になろうと心に決めていたのです」

「わたしを……ずっと見ててくれた……の?」

 彼女の荒んだ心に、一滴の雨が染み込んだ。驚きと喜び。乾いた大地を潤す感情の嵐は痛いほどの期待となって彼女の頬を髪色に染めた。

「はい。あなたを、ずっと見ていました」

 男の姿が太陽と重なり、眩しい。彼女が眩さに目を細め、男を見ていると男の背中に羽が生えた。しかしその片方のシルエットは先端が欠け、不完全だ。

「羽が……あなた、天使?」

「いいえ、堕天使……追放天使です」

「でもっ、たとえ追放された天使だとしてもっ……わたしは悪魔なんだよ? 人じゃないんだよ?」

 彼女の不安は言葉にならなかった。天上界と地下界。この二界が結ばれるなど、ありえない話。善と悪とは、決してくっつくことの無い磁石のようなものだ。

「あなたが悪魔だからこそ、私はあなたに惹かれました。私は悪魔という呼び名の意味を「悪を祓う魔を持つ者」と解釈しています。どうしてあなたのような心優しく、人を愛せるような人が「悪の魔」と畏怖され、身を隠さなければならないのでしょうか。私は、あなたの傷を癒したい。あなたが私を愛せるようになるまで」

 気付けば、彼女の胸には温かく希望が灯っていた。彼女自身、自分を悪の子だと、悪い意味で捉えていた。しかし、そうではないと言ってくれた。「悪を祓う」者だと、悪くないんだと、言ってくれた。
 彼女の瞳の色は穏やかな灯篭の灯火のように、男を照らした。

「わたし……信じてもいいのね?」

「ええ、私を、信じてください」

 男は彼女の赤い瞳を優しく包むと、赤い悲しみの髪を愛おしく抱きしめ、彼女のコンプレックスを愛した。長年、誰も触れることのなかった傷に、陽の光が優しい。

 あんなに苦手だった太陽が、今はこんなにも愛おしい。もっと、ずっとこうしていたい。離してほしくない。だから、彼女も彼の翼の付け根を優しく撫でる。羽に指を沿わせ、その一枚一枚を愛する。愛されることで、こんなにも自分は変われるんだ。
 温かな翼に包まれ、彼女は地上で初めての安らぎを感じた。種にこだわらず、界に縛られず、人としての愛がそこにあった。



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