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FATの小説

FATの小説

暖かな冬

【暖かな冬】





――明かりなんて、この世から全て消えてしまえばいいのに――

 僕は明かりが嫌いだ。昼の明るさが嫌い、街の明るさが嫌い、人の明るさが嫌い……。
 明かりは僕の火を薄め、透明にし、消してしまう。
 明かりの中では、僕は存在できない。
 だから、僕は明かりが嫌いなんだ……。

 僕の住まいは古都ブルネンシュティグの路地裏にある。
 もちろん、賑わう街中からずっと北東に離れたところにある。
 いつだって静かで、じめじめと湿気っていて、昼間だって太陽と顔を合わせなくて済む。
 夜になれば真っ暗闇さ。
 遠くの空に街の賑やかな明かりが映っているのがぼんやりと見えるくらい。
 そんな遠くの景色をぼんやり眺めながら、僕は独り言をぼそぼそと吹く。
 夜から朝まで誰にも会わずに一日が終わる。
 ……みんな僕が望んだ生き方だ。


 ある日、僕はいつも通り窓のない真っ暗な部屋で目を覚まし、鏡に姿を映した。
 炎はしっかりと青く燃えていて、調子は良さそうだ。
 僕の部屋には物がほとんど置いていない。あるのは、
 朽ちかけたベッド、くすんだ姿見、同じ木材を用いた小穴だらけのテーブルとイス……。
 僕には、これだけあれば十分だ。
 顔色がいいことを確認するとそっと部屋のドアを開け、外が暗くなっていることを確かめてから部屋を出る。
 最近の僕は昼間に起きたためしがない。
 陽の下に出るのは恐いんだ。
 外の世界に足を踏み出した瞬間、むぎゅっという粉のようなものを押し固めた際に出る音が足元から聞こえた。
 少しびっくりして下を照らすときらきらと小さく反射するものが無数に見えた。
 息を吐くとひどく白い。僕は足元のきらきらを拾い上げてみた。

 ……雪だ。

 僕が記憶するに、僕が存在し始めてから二度目の雪だ。
 一度目はもう五年も前になる。
 場所は覚えていないけれど、とにかく静かなところだった。
 僕はまだ存在したてで、赤い髪の呪術師と一緒にいた。
 彼女の部屋には窓があった。そして、夜にはまぶしいくらいの明かりもあった。
 彼女は黒いローブを頭から被っていたけど光り物が大好きで、指には邪魔になりそうな大きな指輪を八つもしていた。
 僕は彼女の子供だったと思う。
 こんな料理のときに使う炉のような見た目の僕だけれど、彼女は決して自分が“創った”とは言わなかった。
 それに、僕が彼女の愛情を感じていたんだ。
 だから僕は彼女が好きだった。
 雪は音もなく、窓の外にいつのまにか降り積もっていた。
 雪に気付いたのは彼女だった。
 僕はぼぉっと火を灯していた。
 彼女は僕の両脇を抱きかかえるとドアを開けて、まだ置き人形のように体を動かすことの出来なかった僕を雪の上に置いてはしゃいだ。
「お前には雪が似合うねぇ。そのともし火も、雪におあつらえ向きだよ」
 そのとき、僕を映す鏡がなかったので確かなことは言えないけど、きっと僕は喜んでいた。
 そんな色だったと思う。

 久しぶりの雪との再開に、僕の心は当時を映し出し、とても懐かしくなった。
 あのころの楽しかった思い出が雪となり、僕に忘れてしまっていたことを思い出させてくれた。
 手にした雪を大切にしたくて、グローブでそっと包み込み、珍しく浮かれた気分で小路をあるいた。
 雪のうえには僕の足あとがついていた。
 久しぶりに、僕は遠出をした。
 だって今夜は雪が降りたのだ。
 月さえも姿を見せない。
 僕は今夜、とても気分がいい。

 明かりのないほうへ、ないほうへと雪を踏みながら歩いた。
 きゅっきゅっと一歩ごと鳴るリズムが心地よかった。
 僕は橋を渡った。その先には寂びれた木工所がある。夜になれば人はいない。
 月のない夜に限って、そこは僕の展望台となる。
 建物の中に入ると、すぐ右にある階段を軋ませながら上り、屋根裏部屋の小さな窓辺に腰を下ろす。
 小窓を開け放つと僕は一つ、大きく息を吐いた。
 さらさらと白い息が流れていく。
 ここから眺める古都の夜景が、僕は好きだ。
 キラキラと輝いていて、でも、僕を恐がらせない。
 僕といっしょにいてくれる光だからだ。明かりとは違う。ぜんぜん違う。

 僕がぼぉ~っと夜景に浸っていると、小さくすすり泣く女の子の声が耳に入った。
 やばい、人だ。
 僕が慌てて立ち上がり、階段に向かおうと体を回したときだった。
 女の子はもう僕を見つけていて、たたっと駆け寄ってきたかと思うと腕に抱きついてきた。
 はずみで、グローブの中の雪がこぼれた。
「え~ん、こわかったよ~。え~ん」
 迷子だろうか。
 まだ右も左もわからなさそうな女の子は茶色のロングコートのフードをすっぽりと被っていた。
 袖口にはファーが付いていて、足には幼い体に不釣合いな大きな黒いブーツをはいている。
 僕は困惑した。
 人間と接触してしまった。
 どうしよう。
 『彼女』以外の人間と関わるのは、絶対にしないと誓ったのに。
 少女は僕に触れてしまった。
「うぅ、ヒック、ヒック」
 考えてもどうしようもない。少女はここにいるのだ。
 僕はどうするべきかわからなかったので窓の外へ顔を向けた。
 家々の屋根に積もった雪は白く、街は変わらず輝いている。
 少女はべそをかいたまま、ひしと僕の腕にしがみついている。
 そのまま、時間は止まったかのように過ぎていった。

 僕は飽きるということがない。
 だからこの景色を眺めたまま、人形のように固まって動かなくったって苦にはならない。
 でも、人間は違うらしい。
 僕の腕の中でいつの間にか眠っていた少女は目を覚まし、じぃーっと僕の顔を覗きこんでいる。
 僕は少し照れて、少女の視線を気にしながらも窓の外を眺めたままだった。
「おじちゃん」
 呼ばれて、僕はようやくはっきりと少女の顔を見た。
 少し切れ長の目がついた幼い丸顔は僕の火に照らされて少し青く、髪は紫に見えた。
「おうちに、かえりたいよぅ」
 そうだね、僕もそう望むよ。
「ねぇ、おじちゃん」
 少女は僕の腕の裾をぐいぐい引っぱる。
 僕の声は火を揺らすだけで少女には聞こえないのだ。
 無視してるわけじゃない。ちゃんと答えているのに。
「おじちゃん~……」
 また泣き出しそうに、少女の表情が曇る。
 困ったなぁ。とにかく、ここから出なきゃ。
 僕が立ち上がると腕の中にいた少女は転げ落ちた。
 しかし、なぜか楽しげに、再び僕の腕に抱きついてきた。
 人間といると、僕の心は乱れるようだ。

 木工所から出たものの、目的地はわからない。
 少女に君のお家はどこ? なんて聞いてみても伝わらない。
 少女は僕の顔を不思議そうに覗き込んで、首をかしげている。
 困ったなぁ。
 なんとかコミュニケーションをとりたくて、おろおろと辺りを見回してみると、いいものを見つけた。
 足あとだ。
 雪の上の足あとは何十分も前の形をそのままに残している。
 僕はジグザグに雪の上を歩いて少女に見せた。

 キミノオウチハドコ

 ところどころ繋がってしまってとても読みにくい。
 僕の描いた暗号を少女は指をくわえながら読んだ。
 そしてうんうんと頷き、ちょこんとしゃがみこんでくわえていた指で雪に返事を描いた。

 フルンネンシェテグ

 たどたどしい文字だけれど、少女は何かを期待して僕を見ている。
 わざわざ雪を踏みつけて文字を書かなくても、指で書けばよかったんだ。
 気付いて少し恥ずかしかった。
 
 ブルネンシュティグ?

 グローブをはめたままで、大きく文字を描く。
 少女はきゃきゃっと喜んだ。誤字だったんだね。

 ブルネンシュティグノドコ?

 ジャージャー

 少女はまた、書き終えて僕をじっと見つめる。でも今度はわからなかった。
 
 ジャージャー?

 少女は頬をふくらませて、両手をわっと何度も何度も空に広げた。
 繰り返されるジェスチャーに、ようやく僕は答えを見つけた。

 フンスイ?

 少女はコクンコクンとまんべんの笑みで二度うなずく。
 なぜだろう、少女が笑顔になると僕まで嬉しい。
 
 目指す場所がわかったところで、僕はさっそく歩き始めた。
「さむい~」
 少女は僕の横で雪をいじった手のひらに息をかけていた。かなり赤くなっている。
 僕は自分の手を見た。
 茶色のグローブに覆われた下の生の手は、しっかりと見たことがない。
 温度も感じたことがない。
 雪って、寒いんだ……。
 僕は思い切ってグローブを外してみた。
 そこには黒く、干からびた棒切れのような腕と小枝のような指があった。
 寒がっている少女に左右のグローブを渡すと喜んでくれた。
 僕は少しわくわくしながら、足もとの雪をすくってみた。
 雪を掻く感触はあった。
 それでも僕は雪の寒さを感じられなかった。
 哀しくなって、手を裾の奥に引っ込めた。

 だんだんと街の光が近くなる。
 輝きは明かりに変わり、胸が苦しくなった。
 
 ――『彼女』との時間をまた、思い出す。
 僕と彼女とは一年ほど、いっしょに暮らした。
 僕には食事の必要がない。眠りさえすればいい。
 着替えもしない。湯浴びもしない。
 彼女といっしょにいれるだけでいい。
 感情が火に表れるんだって、彼女は教えてくれた。
 僕は人間じゃないけど、とても人間らしいと彼女は言ってくれていた。
 そして自分は人間だけれども、人間らしくないとも笑いながら言っていた。
 僕はそんな彼女をとても人間らしいと思った。
 
 彼女との別れはあまりに突然だった。
 ……僕はやはり、明かりが苦手だ。
 はやる少女の手を引いて、立ち止まってしまう。
「?」
 首をかしげる少女。
 僕の火はきっと弱々しく揺れている。
「これ」
 少女が差し出したのは僕がさっき渡したグローブだった。
 違うんだよ、寒くない。
 でも、やっぱり伝わらない。
 雪に書こうかとも思ったけど、少女が強く押し付けてくるものだからあきらめてグローブをはめた。
 またじーっと僕の表情をうかがう少女に僕は喜んでみせた。
 少女に何か期待されると、不思議と気持ちが入るようだ。
 僕の火はきっといい色をしている。少女も笑顔になった。

 僕はちゃんと歩くことにした。
 この少女を送り届けるまでは、苦手な明かりだってがまんしてやる。
 
 なるべく明かりのない建物の影を伝って歩き、街の中心を目指す。
 人がちらほら見え始めた。
 僕にとっては人は恐いものだけど、人からしたら僕らはもはやありふれた存在。
 受け入れられていないのは僕の勝手なんだ。
 少女は上機嫌に鼻歌を歌いながら、スキップなんてしてる。
 ときどき僕の顔を見上げて、ニカッなんて笑いながら。
 人の明るさも嫌いなはずだった僕が、少女の無邪気な明るさにはすっかり心を開いていた。
 
 そういえば、『彼女』も明るかった。
 僕にちょっかいを出しては、嫌がる僕を見て笑っていた。
 僕に夢のような話を聞かせてくれては、穏やかに笑っていた。
 僕はあの笑顔が好きだったんだ。
 少女の笑顔が思い出させてくれた。
 決して忘れるもんかと誓った彼女の、忘れてしまっていた笑顔を。
 
 急に、少女が駆け出し、強く僕の手を引いた。
 少女の目に映るものを見た瞬間、僕は強くブレーキをかけた。
 噴水だったはずのそこにはきらびやかに光る巨大なデコレーションツリーがあった。
「ここ~!」
 少女は両手で僕を引っぱろうとする。
 ごめん、君の明るさは好きだけど、やっぱりこの明かりはだめだ。
 苦しすぎるよ。

 ――僕の脳裏にまばゆすぎる光が広がる。
 僕をかばい、光の中に消えてしまった彼女を、思い出させる。
 だめだ、強すぎる。
 赤い髪が光の中に飲まれたあの瞬間を、強烈に思い出してしまう。
「ねぇ~!!」
 少女は一層の力をこめて僕を引っぱる。
 やめてくれ!
 僕はつい、少女を振り払ってしまった。
「いたぃ!」
 雪の上に転がった少女のフードがとれた。
 僕はとてもおどろいた。
 少女の髪の色もまた、赤かったからだ。
 僕はあわてて少女を抱き起こすと、少女はまたも僕を引っぱった。
 今度は、抵抗しなかった。
 赤い色の髪に、僕のふさぎこんでいた心の氷が溶けたようだった。
 少女に手を引かれながら、僕の火はとても強く燃えていたと思う。
 だって、このツリーの明かりが、まぶしくなかったから。
「キャー! きれいー!」
 明るい白黄色の照明の前で声を上げてはしゃぐ少女。
 赤い髪も跳びはねる。
 僕は不思議な気持ちになった。
 光の中に消えてしまったはずの『彼女』が、光の中から少女となって出てきたような気がした。
「ママー!!」
 少女が突如両手を振った。
 少女が呼ぶ先から、背の高い金髪の女性が駆けつけた。
「ああ、よかった、無事だったのね。お母さん、とっても心配したわよ」
「うん、ごめんね、ママ」
 抱き合う母子の姿を、僕はなぜか嬉しく感じた。
「おじちゃん、ありがとう」
 突っ立っている僕に少女が駆け寄り、手を握った。
「まぁ、あなたがこの子を送り届けてくださったのですか。本当にありがとうございます」
 少女の母親は僕に本当に感謝してくれたんだと思う。
 とても優しい目をしていた。
「おじちゃん~」
 少女はまた、無反応な僕を見上げて何かをさいそくする。
 僕はありがとうと言った。
 すると、少女の表情がぱぁっと明るくなった。
「おじちゃん! また遊んでね!」
「こちらこそありがとうございました。ご迷惑でなかったらこの子を今後もよろしくおねがいいたします。それでは、また」
 あれれ?
 雪に書いたわけじゃないのに、僕の気持ちが伝わった?
「ばいば~い」
 振り向きながら、元気よく手を振る少女。
 僕もばいばいと明るい火を灯しながら手を振った。
 
 帰り道、僕はこれ以上ないほど嬉しい気持ちでいっぱいだった。
 街灯に照らされながら、少女との一時を思い出す。
 少女は僕にとても大事なことを教えてくれた。
 あんなに恐れていた『明かり』が、今は好きだ。
 少女は『彼女』の生まれ変わりだったのかな、なんて楽しい空想をしてみたり。
 そうだ、明日はちゃんと朝に起きてみよう。
 きっと昼の明るさにも、楽しいことがいっぱいある。
 
「ありがとう」
 初めて伝わった言葉。
 この素敵な夜を、僕は忘れないよ。














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