読書記

2008/09/29(月)23:56

大炊介始末

山本周五郎(38)

この小説に限らず、周五郎の作品を読んでいると、ときどき聖書のエピソードがチラつくことが出てきている。 単に聖書に関する書籍をいくつか読んできてそこに無理やり繋げようとする自分がいるだけなのかもしれないけど… 〔ひやめし物語〕 〔山椿〕 〔おたふく〕 〔よじょう〕 〔大炊介始末〕 〔こんち午の日〕 〔何の花か薫る〕 〔牛〕 〔ちゃん〕 〔落葉の隣〕 これまで読んできた短編集は例えば10作あるとすれば、最初の一・二編は初期昭和一桁の作品、そして中盤が戦後へと移り、最後は現代ものという流れ。 この大炊介始末は全てが戦後から昭和30年代に執筆された時代もので、選りすぐり短編集とのこと。 確かに新潮文庫での発刊順で見ればこの作品が最初の短編集だ。 この10編で、最も気に入ったのが〔山椿〕 展開も見え見えなんだし、同じような物語はこれまでもいくつか読んできているはずなのに、ものすごくこの山椿に心ひかれてしまった。 末尾に記す周五郎名言集は今回8つ、そのうち山椿からが4つとこの作品がHITした一つの証なのかもしれない。 人を愛し、人を信じ、人を赦す。 この3つの感情が底辺に脈々と流れている、冒頭に聖書に繋がる気がするという根拠はここにある。 知っている、けれども、それがどこまでも貫けるか?という問いに僕自身は答えられない、いや、恐らくできないだろう。 信じて任せることも、過去を悔いて許しを乞う人を赦すことも… 山椿に登場する主人公:梶井主馬は信じ、許し、そして新しい愛を見つけた。 素直にそういう主人公像に憧れを持つ。 残りの9編もかなり秀逸な短編ばかりで、アットホームな雰囲気のものもあれば、ユニークな雰囲気なものも、職人(プロ根性)を激励する賛美歌ならぬ賛美短編も。 どこにでもいるであろうひとかどの人物にスポットライトを当てて、その人物を通じて精一杯に人生を走り続ける人にこの小説を読んで欲しい。 人生は多岐多様、正解なんてどこにもないし、マニュアルもない。だからこそ人生は面白く、辛い。 ◆周五郎名言集 ・時には不作法が作法になることもありますわ ・(優れた才能を持っている)寧ろそのために、嫉妬のあまり共同で彼を陥れるのだ ・信じられるくらい人間を力づけるものはないからね ・恋というものはときによると人を堕落させる、だがときによるとこんなに、素晴らしく人を生かす…恋をするなら、こうありたいものだね ・37という年にもなって初めて、こんなに深く一人の人間に惹きつけられた。ちょっと留守にされただけで仕事も手につかず、酒にも酔えない、そのうえ家にいたたまれず、子供のようにこうして道へ迎えに出る。 ・貧乏人には貧乏人の見栄がある ・人間は逃れがたい圧政に苦しめられると、自殺をするか革命を起こすか楽天主義者になるかのいずれかを選ぶようである。 ・身についた能の、高い低いはしようがねえ、けれども、低かろうと高かろうと精一杯力一杯ごまかしのない嘘偽りのない仕事をする

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