2009/05/30(土)21:48
新・平家物語
2009年1月中盤から読み始めた新・平家物語を16巻全部読み終えたのはゴールデンウイークの真っ最中だった。
丁度日付が変わるような真夜中だった。
結びの物語、「麻鳥と蓬子が吉野で桜の花見をし、息子の麻丸が声もなく涙を流している」場面が文字だけでなく映像が自分の血の中に入ってくるような錯覚を覚えた。
読み返しを進めながら「静」と「吉野雛」の巻だけは三度読んだが、残りは全て二度だけ。
たった二度の読み返しではこの物語は惜しい。
何より、会社勤めで細切れ細切れで読み進めることがエラく悔しかった。
どうせ読むのなら一気呵成に、というのが強かった。
通勤電車が駅に着くのがとても恨めしい気持ちに何度も襲われた。
完結の言葉に吉川英治が書いているようにこの小説は7年間かけて執筆されている。
それを僅か4か月程度で読み終えたことに対しては上記のように一気呵成に読みたかったと言う反面、色んな感情が渦のように巻き起こったり、絡み合ったりしている。
まずはくじけずに読み終えたことが嬉しい、知らない事件ばかりで辛かったのが保元と平治の乱の頃、投げ出そうと思って宮部みゆきの短編に手を出したこともありました。
次に7年の歳月をかけて執筆された物語を僅かに4か月に詰め込んで読んだという私から作者へのの申し訳なさ。
そして7年間かけて読み進めたであろう僕らの父親の世代が羨ましさ。
戦後復興の頃から執筆されただけに、戦争の悲惨さや愚かさへの作者から読者へのメッセージは現実のものであるし、強烈。
出典は平家物語だけでなく「保元物語」「平治物語」「義経記」「吾妻鏡」といったいくつもの古典のエッセンスを抜き出し、再度紡ぎ出して、吉川英治が推察を交えながら新しい物語として昭和の時代に描き出したもの。
平家物語をいつか読もうと思っていたのは「敦盛」を古文で習ったときからだから、23年の時間を経てその思いが成就した(←大袈裟)
平安末期のことは何も知らなかった。
これを読んだからといってこの時代の全てが分かった気になることもない。
ただ、大きな時代のうねりを感じた。
荘園支配が「血」の貴族から「力」の武士へと移り変わる時「血」を優先しようとして失敗した平家の物語。
軍事の天才がゆえに兄に追われた弟の物語。
そして何より。大きな力を持たずにいつも右往左往させられる庶民の物語。