|
テーマ:タイガース党(9091)
カテゴリ:阪神タイガース
山田久志(77)「先月末にエスコンであった日韓ドリームプレーヤーズゲームで原監督と会った時に、高代さん元気かなと心配していたところだったんだ。食事もお酒もよく行った。まだ71でしょ? 残念過ぎる」 金本知憲(57)「最後に会ったのは、10日ぐらい前のことでしょうか。お見舞いにも2回行かせてもらって、1回目の時は会話ができて、冗談ばかり言い合っていたような感じで。思い返すと私にとっては、プロの世界に入った広島時代の若い時に始まり、阪神での監督の時と、最初から最後を締めくくるまで、一緒にやっていただいた方でした。心から、ご冥福をお祈りいたします」 阪神 金本知憲「走塁も本当にへたくそだったんですが、普通にうまくなれましたし、守備も本当にできなかったところでうまくなれたのは、高代さんのおかげだと思っています」 緒方孝市(58)「とにかく野球に詳しい人だった。しかも、それを分かりやすく選手に教えてくれる。WBC 安仁屋宗八(81)「状況判断といい、投手の癖を見抜く能力といい、三塁コーチとしては球界ナンバーワンだった。だから、あれだけ多くの球団から引っ張られたと思う」 柴崎聖人(23)「僕が大学で成長できたのは、高代監督のおかげです。悲しい気持ちはありますが、しっかりベストナインという結果を残したので、いい報告ができるかなと思います」 シェルドン・ノイジーさんが31歳になられた12月10日、東京都千代田区 柴崎聖人「技術だけでなく、打席でのあり方とかを教わった。大学のとき、プロに行けなくて、高代さんも悔しいと思っていると思うので、プロに行って教わったことを出して活躍したい」 来年のドラフトで指名されて、高代さんに良い報告が出来たらええな 阪神には大阪経済大の先輩である津田淳哉がおるが、ドラフト会議3週間後に高代さんと対談してて・・・ 津田淳哉(以下ダイケイ津田)「小さい頃に公園でキャッチボールをしていたのが野球を始めたきっかけです。両親は全然野球に興味がなかったんですが、祖父母がプロ野球好きで、髙代さんのこともよく知っています。」 髙代延博(以下高代)「へえ、そうなんやね。」 ダイケイ津田「祖父母には甲子園 髙代「津田との出会いはまだコロナが収まってない2021年で、体格が良くてブルペンでの投げっぷりもいい選手だなという印象でした。そこで彼の投球フォームをスマホで撮って、同い年でコーチ時代も仲が良かった佐藤義則に見せたんですよ。そうしたら10分ぐらいじーっと動画を眺めて、「髙代、今回だけ特別だぞ!」と足の踏み出し位置についてアドバイスをしてくれたんですよ。…津田、あれは役に立ったよな。カットボールが回り出すようになったもんな。」 ダイケイ津田「スーを差し上げます! 髙代「そんな縁から、義則も津田のことを気にしてくれていまして。ドラフトの後に「決まってよかったな!」とわざわざ電話をくれたんですよ。」 ダイケイ津田「僕もなぜ監督が大経大に来られたのか、経緯を知りたいです。」 髙代「大経大のOBでもないんで不思議ですよね。実はある進学校の野球部に招かれていたのですが、野球グラウンドの用意が間に合わず、話が頓挫してしまったんですよ。するとその野球部の監督が「大経大も指導者を募集しているんですがいかがでしょうか」と相談してこられたんです。彼は大経大野球部のOBで、本学の平川コーチとも先輩後輩の関係だったんです。」 ダイケイ津田「ゴイゴイスー! 髙代「目配り気配りは社会人にも大事なことです。70歳の僕からみると、今の人は目配り気配りが足りてないように感じます。社会人として働くことは個人競技のようなものかもしれませんが、チームプレイも必要です。PL学園時代に清原くんや桑田くんを育てた中村順司監督が「球道即人道」、つまり「野球の道は、すなわち人の道そのもの」だという言葉を使っていますが、僕も本当にそうやなと思っています。」 ダイケイ津田「以前の僕は、野球だけしか頭になかったところがあったんですが、髙代監督に人としてのあり方を学んで「野球だけしててもあかんな」と学ばせてもらいました。」 髙代「津田には、上手になりたいという向上心の強さ、貪欲さと真面目さがあります。今のまま変わらずにがんばってくれたら、プロとして必ず結果が出るでしょう。彼には息の長いピッチャーになってほしいですね。チケットを買って甲子園球場 ダイケイ津田「長袖をください ※一部を抜粋、多少脚色あり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.12.11 12:54:50
[阪神タイガース] カテゴリの最新記事
|
|