2007/04/10(火)22:56
急性腹症
急性腹症、という言葉を一般の方は聞き慣れないかもしれない。
読んで字の如く「急に腹部症状が出たもの」ということで、平たく言えば、急にお腹が痛くなった、という意味と思ってもらえばいいだろう。
腹痛といっても痛み方にもいろいろある。
疝痛と言われるチクチクする痛み、鈍痛と言われるドーンと重い痛み、他には押さえると痛い圧痛、押さえて離した時に痛みが増強する反跳痛など。
問診は基本。
痛む部位だけでなく、痛み方、他の随伴症状(嘔吐、下痢、発熱...)などから疾患を鑑別していく。
それらの情報から、あと何と何を鑑別しなければいけないのか、を考えて必要な検査を組み立てる。
恵まれた環境の総合病院だと、まず検査ありき、という方向になりやすい。
オーダーさえすれば検査結果が出てくる、画像診断が出てくる、という環境にいると、つい検査結果が出揃ってから、診断を考えやすいもの。
これが必ずしも悪いこととは思わない。
だが検査結果だけ見て、患者さんの顔もろくに見ていない、話もろくに聞いていない、聴診器ひとつ当てない、という医師も現実に増えてきている。
単科の精神科病院という恵まれない(?)環境にいると、院内でやれる検査は限られている。
血液検査ひとつだって外注だからすぐに結果は得られないし、X線写真ひとつ撮るにもまず現像機の電源を入れて温まるのを待ち(冬場は30分くらいかかる)自分で撮影、現像までやらなければいけない。
しかも所詮精神科の医者が撮影するんだから、なかなか放射線技師さんのように一発で上手い写真は撮れない。
余分な被爆をさせないという観点からよくないことに決まっているが、ピンボケだったり、撮影タイミングが悪かったり(大きく息を吸って、止めて、という指示自体に従えない患者さんだと、こっちで呼吸のタイミングを見てシャッターボタンを押す)、思った場所がうまく撮れていなかったり(はみ出した...)、撮影しなおし、というのもしょっちゅうだ。
それでも、診断のために必要なら、汗だくになって撮影に臨む。
院外受診にかけようとしても、必ずしも家族が飛んできてくれる患者さんばかりではない。
身寄りが無くて、ただでさえ人手薄の看護スタッフをつけて受診に出さなければならないケースも多いし、そうまでして受診させても、「(本来専門的治療が必要だけど、精神科の患者さんだから、あなたのところで)様子を見てください」だけで帰されることも多い。
そうなると、自分の五感で、いかに「院内で、もしくは自分の手に負える状態かどうか」「今すぐ外に受診させなければいけないか、夜間なら明日までは様子を見られるか」を判断するのが重要になってくる。
院外受診にかけるときも、「ある程度切迫していて相手が引き受けざるを得ない状況」を見極めて出すことが大事。
一度ひどい断られ方をしてしまうと、もうその患者さんについて依頼できなくなってしまうから、タイミングが肝心なのだ。
悪性症候群(抗精神病薬の生命に関わる危険な副作用)を起こした患者さんが、治癒後に引き続き誤嚥性肺炎を起こし、さらに軽快後に突然腹痛を訴え、嘔吐した。
精神症状がとても悪く、行動制限をしている患者さんだったから、ずっと院内で診てきたが、精神症状がよくなり疎通がとれるようになった数時間後の出来事だった。
すぐに診察に走ったが、たまたま院内に内科医がいた日で、即腹部X線撮影を頼んだ。
即頼んだのは、それだけの腹部所見があったから。明らかにお腹が硬い。
血液検査を出そうとする様子がないので「先生、血液も出したほうがいいんじゃないでしょうか」とつい言ってしまった。
撮影が終わると、内科医が「これで様子を見ましょう」と点滴指示を出そうとしていたが、患者さんはますます顔色が悪くなってくるし、痛がり方も尋常ではない。
「ここでやるのは、まずいんじゃないかなー」と思うが、こちらはしがない精神科医、相手は内科医、正直遠慮してしまう。
困ったな、と思っていたところで血液検査(と言っても院内で返ってくるのは末梢血だけだ)の返事が届く。
白血球は15000超え。
もともと多血症気味だったので、正常範囲とはいえヘモグロビンが数日でガクッと下がっている(ずっと肺炎だったから、数日ごとにデータを取っていた)。
「先生、ダメです。これは必ず何かあります。送りましょう!」結局自分で救急車を呼んで、力ずくで総合病院に叩き送った。
通常なら相手の精神科へ入院依頼をかけてから(身体の病気の入院判断はできないわけだから、順序としては不満だが、たいてい相手からそれを要求される)、というのが順番なので、
ついていった看護師はずいぶん相手先外科で文句を言われたらしい。
「どうしてわざわざこんなところまで連れて来るのか」「精神科を通してもらわなければ困る」などなど。
だが、結果としては正解。精神科へお伺いを立てて断られたりしている場合ではなかった。
彼は十二指腸潰瘍の穿孔で、緊急手術になったのだ。
後になって、腹部レントゲン写真を見ると、右横隔膜下にはうっすらとフリーエア(消化管に穴が空くと、そこから空気が腹腔内に入るので、立ってレントゲン写真を撮ると、横隔膜の下に溜まった空気が写る)があるではないか。
今でこそこの患者さんは病棟で自慢のカラオケを歌っているが、自分に生命の危機があったことには気づいていないだろうな。