東電OL殺人事件
そ~いえば、この本も読んだのであった。っていうか、以前に読んだこともあり。そのときの印象は、「なんかよくわからない」って感じ。被害者像がつかめないっつ~か。そもそも被害者は亡くなってるし。エリート被害者の周囲はご遺族をはじめ、ほとんどがエリートゆえ、軽々しく取材に応じるワケもなく。被害者像などつかめるはずがないのであった。先日読んだ同じ作者の「東電OL症候群」で、この「東電OL殺人事件」が一部読者から絶賛されていたと著者自ら書いていたので。「そんなにスゴかったっけ?」と思って読み返したが。印象は変わらない。よくわからない。書いたヒトもよくわからないと思う。そんなワケで。アタシも熟読する気になれず。いつものように拾い読みしただけなので、これから書くこともこの本の単なる印象にすぎないので。間違ってたら許してね。まぁ、随所に被害者を神聖視する言葉がちりばめられ、そ~いったモノに一部読者が反応したのだろう。著者は被害者を盛んに「巫女」と言っていたが。ど~考えても「病んでいる」としか思えない。「病気」なら仕方ないのだが。あたかも正常な人間のように扱って、被害者の行動を「奇行」扱いするのはイカガなモノか?そっちの方がかえって被害者の名誉を傷つけるように思うけど。ちなみに、この事件が週刊誌のいいネタになってしまったのは。ど~やら被害者がセックス依存症と思われるほど売春にハシっていたことにあったらしい。桐野夏生の「グロテスク」では、ある種、女としての価値を計るために売春をしていたような風に書かれていたけど。アタシ的には、このヒト、男を見下すために売春してたと思う。男社会で辛酸をなめてきて、「結局、お前らコレじゃね~か」的な感情を持っていたように思う。あと、自分が穢れることで、自分の勤める不条理な大企業を汚すことにもなるってのも、もちろん意識してたんじゃないかしら。だから、相手が浮浪者だろうが2千円しか払えなかろ~が、やってたんじゃないの?まぁ、もちろん病んでいたことは大前提だけど。お金にはかな~り細かかったらしいけど。実際、彼女の年収は1千万円程度と推定されていて。この執着はアタシにも理解できないけど。渋谷の円山町を選んだのは、この著者が言うように、渋谷の街の持つ歴史ウンヌンっていうより。単に家から近いからだと思う。会社の定期が使えるので、電車賃がかからないし。ハゲしく合理的だわね。お金への執着はたぶん、ゲームみたいな感覚だったんじゃないのかしらね。金額そのものより、それをゲットする過程を楽しむ的な。横断歩道の白い部分だけを歩くことに満足を覚える子供みたいな感じで。そ~いう満足は他人には理解できない。あるいは、大企業で役職に就きながら、5円、10円の金を惜しむっていう自虐的な楽しみか。会社の裏金操作に失敗してその補填のために売春、みたいなアホくさい話も書いてあったが。そんなモノが売春で補填できるワケもなく。むしろ自分の正規の給料で補填するか、銀行から借りた方が手っ取り早い。彼女が売春で正規の給料を上回るほど稼いでいたとは思えない。まぁ、そ~思うと、売春自体も彼女にとってはゲームみたいなモノだったのかも。無事に生きて帰れれば、イイことがある、みたいな。それはホントにイイことなのだけど。でも、最終的には、やはり「病んでいる」ってことだわね。アタシには、なぜこの作者が彼女を神聖視して祭り上げているのかよくわからないわ。確かなことは、彼女は犯罪の被害者でもあり、男社会の被害者でもあるってことね。作者の思惑と違って、ここのところに多くの女性は反応したのではないかしら?この作者、こんなこと書いてたかしら?ど~も、「巫女」だの怨念&因縁的な言葉ばかりが目に付いて、ハナシがちっとも進まない。また拾い読みしてみるわ。