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2021/11/17(水)07:00

【不動心とは引きずらない心のこと】

生き方(542)

【不動心とは引きずらない心のこと】  不動心とは、物事の変化に動じない心。  文字の通りに解釈すれば、このような意味になるのではないでしょうか。  しかし、現実的に人の心というのは、物事の変化に同じように対応して変化  しているのが実態です。  心の動きを脳波の動きとして測定したある実験が行われました。  禅寺で長年にわたり、坐禅をした禅師の方と、ごく最近から坐禅を始めた若者  がいます。  最初に、二人とも坐禅をしてもらいました。  しばらくすると、二人の脳波は同じように落ちついた「アルファ波」という  状態で推移していました。  そして、突然、大きな音を立てます。  二人の脳波には、いずれも大きく乱れた波形が示されました。  この結果だけをみると、長い期間にわたり坐禅をしてこられた禅師といえども  不動心とはいえません。  しかし、この後の状態に大きな違いが見られました。  若者の脳波は、ずっと乱れたままですが、禅師の脳波は時間を置かずに、前の  アルファ波に戻ったのです。  この事例から、「不動心は乱れない心」ではなく、「引きずらない心」のことを  意味するもの、ということになります。  昔あるとき、禅の修行僧の二人が托鉢の旅をしていました。  山を下りると、そこには大きな浅瀬の川が流れています。  二人の僧は、その川を歩いて渡ろうとしました。  その川には、渡し船がありますが船は、あと何時間もしないとやってこない  状況でした。  そこに、何か急いで川を渡らなければならない若い娘が立ちすくんでいたの  です。  着物の裾をあげれば渡れそうですが、どうしようかとオロオロとしています。  すると、修行僧の一人は、その若い娘にひと言ふた言、声をかけ娘を背中に  負ぶって川を渡りはじめました。  無事に、向こう岸までたどり着き、娘は修行僧に何度も頭を下げて去っていき  ました。  人助けをした、修行僧は何事もなかったように、今まで通り次の目的地を目指  して歩きはじめました。  少し休憩しようと腰を下ろすと、もう一人の僧が強い口調で話かけます。  「あなたは、修行僧の立場でありながら、なぜ若い娘を負ぶったのですか?   あのような行為は、仏の道を踏みはずしているのではありませんか?」  つまり、娘を負ぶって女人の体に触れたのは、乱らなことだと責めたのです。  すると、娘を負ぶった修行僧は涼しい表情で答えました。  「あなたは、まだあの娘のことを考えていたのですか?   私は、そのことにはすでに心から離れて、念仏を唱えながら歩いている。   若い娘を負ぶったのは、困っている人を助ける。ただそれだけのことです。   それが終われば、また念仏を唱える、それが私たち修行です」  つまり、心が乱れ続けないこと。  これを本当の意味での「不動心」といいます。  イヤな出来事に日々出会ったりするのが、現代に生きる私たちの姿です。  引きずらない心で、生きていくライフスタイルを身につけましょう。                     (by ハートリンクス)     

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