佐遊李葉 -さゆりば-

2006/11/22(水)13:57

孤舟 -48-

孤舟(59)

「はい、わたしが最後に嫗を見舞った時も、暁しづかに……の歌を歌っておりました」 「さきくさは死ぬまで今様を捨てることが出来なかった。芸は人の生涯の全てを飲み込んでしまうのだよ。わたしはさきくさのようになるのが恐ろしかった。だから、今の夫に妻になってくれぬかと言われた時、今様を捨てる決心をしたのだ。夫は手広く商売をしておったから、わたしも手伝いをせねばならなかったしの。わたしの芸を惜しんでくれる者もあったが、わたしは今様の世界からすっかり足を洗い、生まれた娘にも今様を教えなかった。自分の芸のすべてを託した弟子もない。正直に言えば、私の芸がそうやって何もかも残らずこの世から忘れ去られていくのは、あまりに寂しい気もするの。声の技は儚い。和歌のように紙に書き残すことができぬから、ただ空に消えて行くだけじゃ」 「では、わたしに教えてくだされば良いのに」 「お前には師匠のおとどがおろう。差し出た真似は出来ぬ。それに、今は誰にも教える気にならなくてな。だが、時々、無性に歌いたくなることがあっての。芸好きの傀儡子の血が騒ぐのか、わたしもさきくさのように既に今様に執りつかれてしまっているのか。因果なことじゃ。だから、いつかまた誰かに今様を教えたくなるかも知れぬよ」

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