佐遊李葉 -さゆりば-

2008/06/13(金)13:27

蒼鬼 -223-

蒼鬼(253)

 本当に、ここ数日はまるで霧が晴れたように気分が良い。外のじめじめとした雨にも関わらず、明子の身体はまるで新緑の風が吹き抜けるように爽やかだった。こんな風に晴れ晴れとした心地がするのは、一体いつ以来のことだろうか。  明子が良房の顔を見上げて答えると、良房は少し涙を浮かべた目を細めて頷いた。 「そうか。それは良かった。きっと、この間の神泉苑での御霊会の功徳が、そなたの加減にも及んでくれたのだろう」  貞観五年五月二十日に行われた最初の御霊会は、この年の正月以来猛威を揮っていた咳逆病の疫神を退散させるために、良房が中心となって催したものだった。  だが、良房の本当の狙いは別のところにある。良房は神泉苑に六つの祭壇を設けて花菓を供え、講師に迎えた慧達律師に金光明経一部と般若心経六巻を講じさせた。  供養したのは、祟道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使、橘逸勢、文屋宮田麻呂。相応が良房に告げた六柱の怨霊だ。いずれも藤原北家が己の権力を伸ばすために抹殺してきた者たちである。文屋宮田麻呂は他の五柱に比べて小粒だが、筑前守在任中に密貿易で得た巨万の富を狙った良房に謀反の罪をでっち上げられ、伊豆に流されて彼地でのたれ死んだ恨みはそう浅くはあるまい。  良房は仏典の読経の他、雅楽寮の伶人の音楽に合わせて、良家の中から特別に選んだ可愛らしい稚児に舞楽を舞わせたばかりか、雑技や散楽人まで招いて盛大に出し物を演じさせた。仏典の功徳で怨霊の怒りを鎮め、賑々しい楽や舞で慰撫するためである。  そして、さらに御霊会を盛大にするために、神泉苑の門を開いて都の庶民たちを招き入れ、それらのすべてを自由に見物させた。この良房が行った御霊会を観た民衆たちが、疫病の流行を防ぐために以後同じような御霊会を各地で行うようになり、それが現代の祇園祭へと受け継がれていくのである。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m ↓祇園祭といえば、京都の八坂神社のものが有名ですね。残念ながら、私はまだ見に行ったことがありません。ものすごく人が多い!と聞いて、ちょっとびびっちゃったもので(^^ゞ。来月から始まるので、今年は頑張ってチャレンジしてみようかな。(この写真は八坂神社)

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