2014/02/17(月)15:07
遠き波音 -41-
夕暮れが近くなると、風が強くなるようだ。
今も、遠くで波の鳴る音が聞こえる。
瀬田唐橋の上に佇んで、近江守は目の前に広がる琵琶湖の水面を眺めていた。
吉祥の遺骸は既に荼毘にふされ、その遺灰は琵琶湖に流されたという。下女の不始末を怖れ詫びた郡司が、近江守に断りもせずに遺骸を始末してしまったのだ。眼下の水際の砂地にはまだ黒い荼毘の跡がある。
その傍らには人影があった。こちらに背を向けて跪(ひざまず)いているが、どうやら両手を合わせているようだ。
吉祥の死を悼んでくれる者が、この近江にもおったのか。
近江守はふと心を動かされ、唐橋の欄干に馬を繋ぎとめると、水際の葦原に降りていった。
近づいてみると、それは薄鼠色の頭巾を被った一人の老尼だった。片手に数珠を握り締め、低い声で経文を唱えている。近江守が声をかけると、老尼はゆっくりと振り返った。
それはまぎれもなく、中務大輔の屋敷に居候していたあの老尼であった。
吉祥と共に姿を消したと聞いていたが、もしかしたらあれからもずっと一緒だったのか。
急に目の前に現れたのが明らかに貴人であることを見止めた老尼は、慌てたように両手を地面へついて平伏した。近江守は腰を屈め、記憶の中の姿よりひどく年老いて小さくなってしまった老尼の背を叩きながら、低い声で優しく言った。
「私のことを覚えておるか? 京の中務大輔の屋敷で、そなたともよく話したり遊んだりしたものだ。もう、ずっと昔のことだが……」
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