2015/01/31(土)17:00
羅刹 -107-
能季は素直に文箱を受け取った。
ふと庭を見やると、いつの間にかほんの少し日が翳っている。
ずいぶんこの小一条院に長居をしてしまったものだ。
能季は老尼に改めて礼を言うと、部屋を出ようと袖を払って立ち上がった。
その時、後ろの庭からふいに澄んだ声がした。
「婆や、東の鑓水(やりみず)の側に、撫子(なでしこ)の花がこんなに」
きぃと音がして小柴垣の戸が開き、ほっそりとした人影が現れた。
両手に持ちきれぬほど抱えた花と同じ、撫子襲の可憐な袿姿。
壺に折った袿の上を、艶やかな長い黒髪が優美に流れ落ちている。
影を落す長い睫に、薄い桜色の唇。
白桃のような頬は、夏の日差しに火照ってほんのり赤みを帯びていたが、その瞳が老尼の側に立っている能季の姿を見止めたとたん、急に色を失って青ざめてしまった。
老尼はその変化にも気づかぬようで、相好を崩して微笑みながら言った。
「姫宮様、その撫子をわたくしに? 何てお優しいこと」
老尼は姫宮に近づいて撫子の花を受け取ろうとしたが、姫宮はさっと桧扇を広げて顔を隠すと、元来た小柴垣の向こうへ走り去ってしまった。
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↓袿を壺に折るとは、この写真の女性のように袿の裾をたくし上げて帯で結び、裾を引きずらずに歩けるようにしたスタイルのことです。徒歩の旅行のほか、ちょっとした外歩きの時は、袴の裾が地面すれすれの長さの切袴を履き、このように衣装をたくし上げ、場合によってはついでに襟を頭の方へも引き上げて顔を隠すスタイル(=壺装束)をしてました。ちなみに、撫子襲(なでしこがさね)は表が濃いピンク、裏が緑色という、ちょっとかわいい感じのカラーコンビネーションです。