正岡子規は非定型発達障害であった
岡田尊司氏は正岡子規は非定型発達障害だったと指摘されている。俳人の正岡子規は、幼い頃は引っ込み思案で、敏感で、病的なほど気が弱く、他の子とうまく遊ぶことができなかったため、近所の子どもにイジメられてばかりいた。気丈な妹が「兄さん」を守っていたというのは有名な話である。5歳のとき、能狂言の興行に連れて行かれ太鼓や鼓の大きな音に驚き、「こわい、こわい」と泣き出すので、仕方なく途中で連れ帰ったという。こうした音に対する敏感さも非定型発達タイプの子どもに典型的な傾向である。父親が子規4歳のときに急死したことや祖母に甘やかされたことも、不安が強く、敏感で依存的なところを助長してしまっただろう。そんな臆病で自信のない子規が、自信を身につけ始めるのは勉強を通してであった。特に小さい頃から子規が得意だったのは習字である。子規は5歳から習字を、6歳から漢文を習っている。それが子規の教養の基礎を築くとともに、読書や創作の楽しみへとつながったのである。さらに小学校で出会った恩師から大きな影響を受けている。話のうまい恩師が語る西遊記や三国志を聞くうち、子規は自分でも読んでみたくなり、貸本屋通いをして物語の世界に浸るようになった。それから後は、放っておいても、自然に文学への関心と情熱は育っていくことになった。(発達障害と呼ばないで 岡田尊司 幻冬舎新書 220ページ)精神科医の星野仁彦先生は、発達障害という言葉に換えて「発達アンバランス症候群」となづけておられます。社会性(対人スキル)、行動・感情のセルフコントロール、全身の粗大運動、手先の微細運動、基本的生活習慣、視覚認知能力、聴覚認知能力、言語表現能力、言語理解能力の全てが順調に成長してくれれば問題が顕在化することはないでしょう。しかし現実には脳の機能障害などによって凹凸が生まれる場合があります。健常児と較べて劣っている部分を目の敵にして、人格そのものを全否定して、集団から排除してしまうのは何ともやりきれないことです。人間は劣っている部分があれば、優れたところも持っている場合が多い。劣っている部分には目をつむり、優れた部分を見つけ出して育ててあげることが大切になります。(発達障害に気づかない大人たち 星野仁彦 祥伝社 45ページ)先日地域の秋まつりに参加しました。これは紙芝居です。一人一芸を持っていれば誰でも参加できました。