カテゴリ:私の森田理論との出会い
先日の集談会で私の神経症との格闘について発表した。
私は会社の中での人間関係が悪くなって、藁をつかむ思いで集談会に参加し始めた。 早速先輩方のアドバイスに従って、実践課題から取り組んだ。 次にそれを発展させて気づいたことをすぐにメモするようにした。 小さな実践を丁寧にすることに取り組んだ。 集談会では図書係をはじめとして与えられた役割を懸命にこなしていった。 そのうち代表幹事、支部委員等も引き受けるようになった。 当時私の参加していた集談会では毎年一泊学習会、野外学習会、集談会以外のレクリェーション、暑気払いや忘年会、新年会などの懇親会も盛んに行われていた。 それらの企画や実施に携わってきた。 特に一泊学習会の企画や実施はとても大きな経験だった。 自分なりに神経質性格を活かして周到に準備すれば、みんなに喜んでもらえるようなイベントを開催できるという自信が出てきた。 次第に会社でも仕事がうまく回転し始めた。 次々と仕事の改善ができるようになったのだ。 役職者にも昇進でき、多くの人をまとめていく仕事を任された。 特に会社の移転の際には、責任者として重責も果たすことができた。 それは給料や賞与にも反映された。 ところが対人恐怖で人が恐ろしくて怯えてしまうという症状は全くよくなったとは思えない状態であった。 このような状態で20年が経過していた。 これが森田の限界かなと感じていた。 この段階では森田正馬全集第5巻を読んで、森田先生の生活を真似てみようと思っていた。 特に森田先生はいろんな芸を持っておられて、みんなの前で披露されたりして楽しんでおられた。私も好奇心があることにいろいろと手を出して取り組んでみた。 確かに意識が外向きになるので没頭しているときは症状を忘れることはできた。 でも症状を治すことを目的としていたので、依然として対人恐怖はよくならなかった。 苦しいばかりだった。毎日どんよりとした雲が垂れさがっているようで憂うつであった。 そんな時に新版森田理論学習の要点が出た。その時に気づいた。 今まで森田理論では、「不安は横に置いてなすべきをなす」を絶対唯一のものとしてくり組んできた。 それで一時はうまく切り抜けられたが、それだけの取り組みでは不十分であったのではないか。 それまでの私は、他人から重要視されるような人間にならなければならない。 非難される、軽蔑される、馬鹿にされる、無視される、からかわれることは絶対に受け入れることはできないと思っていた。 そういう「かくあるべし」が自分を苦しめていたのだ。 自分が自分を傷つけているのだから始末が悪いということに気づいた。 この気づきは大きかった。 このことは今まで何度も聞いていたが、自分自身で問題や課題を発見できたというのが大きかった。 それからは今の自分の神経質性格、境遇、容姿、能力等弱みを持った人間を受け入れていこうと決めた。 またミスや失敗を人目につかないで隠そうとしてきたが、まな板のコイのような気持ちで隠したり逃げたりしないで仕事に取り組もうと決めた。 今までの習性からその実行は困難を極めたが、方向性だけは見失わないようにと思っていた。 その方向で経験を蓄積していった。 今では森田理論は不安と共存して、生の欲望の発揮を目指していくことが大切であること。 そしてどんなに不快であっても感情の事実を受け入れて、事実に服従する生き方をすれば間違いないのだと思っている。 このような気持ちで残り人生を生きて行ければ、末広がりに納得できる人生を送ることができるだろうと確信が持てるようになった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.09.14 07:09:10
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