カテゴリ:生の欲望の発揮
伊丹仁朗医師は、生きがい療法とホスピスは、死を肯定するという意味ではよく似ていますが、根本的な考え方は全く違うと言われています。
ホスピスは死を前提にして、死ぬまでの期間を一日一日を楽に過ごしながら、その残された最後の期間を、人生の総括をしながら、死に備えて過ごすというものです。 ガンになると痛みが出てきます。 その痛みを軽減しながら、テレビなどを見ながら死の瞬間が訪れるのを静かに待つという考えです。 一方、生きがい療法の基本方針は、死を前提にして考えるのではなく、人間はいつか死ぬのだから、 いつ死ぬにしても今日一日は普通に生きよう、一日一日を普通に生きて、明日は死ぬとしても、それは仕方がない、今日一日しっかりと生きればいいのではないかという考え方です。 生きがい療法は、人間的レベルを高めることで、死が恐ろしくない強い人間になろうというのではありません。また、死を心安らかに受け入れることを目指しているわけてもありません。 修養して強くなったり、死を無理に受容したりしなくても、危機管理の対応能力の技術を訓練することで、死をめぐる問題に上手に対処していこうという方法です。 (ガンを退治するキラー細胞の秘密 伊丹仁朗 講談社 190頁より要旨引用) この話を聞くと、森田先生がよく引き合いに出されていた正岡子規の事を思い出す。 正岡子規は重い脊椎カリエスにかかり、痛みで七転八倒されていた。 最後には体を反転させることもできなくなった。 天井から吊るした紐を体に巻き付けて、その紐を引っ張って体を反転しておられたという。 そのような過酷な状態にも関わらず、最後まで創作活動を続けられた。 「神経症の時代」に紹介されているガンに侵された岩井寛先生の生き方も同様であった。 重い病気になって、なげやりになり、自暴自棄で死を迎えるのも1つの方法である。 残された体の機能を使って、最後まで自分の出来る事に挑戦する生き方も1つの方法である。 森田理論では、失われた機能を見つけて嘆くのではなく、今現在の状況の中で残された身体の機能を活用して、積極的に対応していくことを目指している。 最後に脳細胞にガンが転移してしまうとどうすることもできなくなるだろう。 それまでは、やろうと思えばまだまだ出来る事はある。 死が訪れるいまはの時まで、不安や恐怖を抱えながらも、生の欲望にのっとりながら生きていくのが森田理論の考え方である。私はこの考えを支持している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.06.22 06:47:56
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