カテゴリ:生活の発見会・集談会
1月号の生活の発見誌に、「神経症の人は中途半端に治ってしまうと、みんな先生になりたがる」というのがあった。これは集談会でよく見かけることである。注意する必要がある。
ある特定の人が、自己紹介や体験交流の時に、自分の神経症の克服体験や森田理論を長々と話される。 悩んでいる人や森田理論が分からない人に、自分が先生になって教えてやろうという態度が顕著な人だ。 自分のとおりにすればあなたの神経症は治すことができます。 森田理論は一言でいえばこんな理論だと自分のつかんだ理論を展開される。 その人には悪気はないのだ。何とか神経症を治すために役に立ちたいという気持ちなのだ。 説明すれば、誰でも分かってくれて、感謝されるはずだという気持ちがあるようだ。 勢いあまって、「どんなに不安が強かろうと、なすべきことに取り組みなさい」「かくあるべしが神経症に陥っている大きな原因だ。純な心の体得が必要だ」などの話を滔々と続けられる。 聞いている人は、上から下目線で話されるので、嫌悪感があり最初から受け入れられないのだ。 その人は素晴らしい体験をして、森田理論もよく勉強されているのだが、伝え方に問題があるようだ。 これでは、相手に評価されるよりも、反対に敬遠されるようになる。 ある程度のレベルに達しているだけに、自己満足だけに終わってしまうのでは、実にもったいないと思う。ではどのようにやり方を変えていけばよいのだろうか。 初めて参加した人は、自分の苦しい胸のうちを聞いてほしいという気持ちが強い。 そこに焦点をあてていくことが、自分の体験や知識が活きていくことにつながる。 相手がどういうことに悩んで生きづらさを抱えているのかをじっくりと聞くことである。 分からない点はさらに説明してもらい、相手のことを分かろうとする態度を続ける。 相手は自分の悩みを真剣に聞いている人がいることでほっとする。 自分の悩みを口にすることで、胸のつかえを吐き出すことができる。 「そういうことで苦しんでおられるのですね。私も同じ対人恐怖症なのでお気持ちは理解できます」 相手のしゃべられたことを反復したり、言葉を変えて返すぐらいの態度で接するのだ。 相手の現状はどんなに否定したくても、非難しないで、そのまま認めて受け入れるようにする。 ここでは性急に先生になってアドバイスなどをしてはならないのだ。 たとえ、自分で答えが分かっていても決して安易に教えてはならない。 相手が自分で答えを見つけるのを、刺激を与えながら、じっと見守っている態度が大事なのだ。 話しているうちに、自分の悩みが整理されて、自分で解決策を見つけることもできることもある。 そして森田的に見て評価できるようなことは、どんな小さなことでも取り上げて評価してあげる。 励まして、力づけてあげる。この繰り返しである。 そして、ある程度の時間の経過があって、それでも今の生きづらさが解決できないときに、相手に合わせて自分の体験を教えてあげるのである。あるいは森田療法理論の話をしてあげるのである。 相手がどうにもならなくて、最後の最後にアドバイスを求めてきた時に、自分の出番が出てくると思うぐらいでちょうどよい。 相手のことが今までの交流からよく分かっていればいるほど、相手にとっては役に立つ。 そのためには、自分も相手にどんな話をすれば効き目があるのか、普段からシュミレーションしておくことだ。こんな風に話しをすれば、相手の心に届くのではないか、ああでもない、こうでもないと考えることだ。 基本的に我々の学習会に先生は必要ない。でも刺激を与え続ける仲間は不可欠である。 その活動が双方を人間的に成長させるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.02.02 14:53:07
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