カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
どうしたら「自己肯定」ができるようになりますかと聞かれることがある。
自分が嫌いで、自己否定ばかりしている人にとっては、とても魅力的な言葉だ。 私は「自己肯定」の定義を次のように考えている。 現実のあるがままの自分を認めて受け入れている人である。 自分の容姿、性格、能力、境遇、運命などを他人と比較することなく、かけがいのない存在として認めることができる。弱みや欠点のある自分を許してあげることができる人。またミスや失敗をしても、自己嫌悪、自己否定することなく、自分に寄り添って励まし続けることができる人である。 これは森田理論でいえば、あるがまま、事実本位の態度で生活している人である。 そうなるためには、自分の身体や心は自分の観念や思考で、いかようにもコントロールできるという前提に立つと難しい。私は自分の身体は神様からの預かりものという立場に立っている。 その体に自分の魂が宿って、心身が一体となってこの世に存在しているのだと思っている。 そういう前提に立つと、自分の身体や精神を自由自在にコントロールしてはならないという気になる。 預かりものだから、丁寧に扱わないといけない。 傷つけたり、壊さないように細心の注意を払うことが求められる。 さらに、預かったときよりも、心身とも少しでもよい状態にして、神様にお返ししたいと思うようになる。そうすれば預けた神様も望外の喜びを感じる。 もしかするともっと大きな役割を与えて、再び生き返らせてみたいと思うかもしれない。 そのように意識すると、今現在自分がこの世に存在していることは、感謝以外には言葉がない。 そこを出発点と考えれば、自己嫌悪、自己否定に陥ることはなくなるのではないか。 どんなに問題があろうとも、自分に与えられた条件を素直に受け入れて、目線を一歩上にあげて、できる限りのことに取り組んでいこうという気持ちが生まれてくる。 お断りしておくが、これは私が考えていることで、異論がある方もおられると思う。 そういう方は読み流していただきたい。 ただここでいいたいのは、「自己肯定感」を持ちたいと思われるならば、森田理論でいう「事実本位」「あるがまま」の意味を十分に学習して、それを実際の生活面に応用していかないと、絵にかいた餅になってしまうということである。 「かくあるべし」の弊害を理解して、思想の矛盾を少しでも打破できている人が、「自己肯定感」を育みつつある人であると思っている。 自己肯定感を手にすると、他人の言動に振り回されることがなくなる。依存体質も脱却できる。 現実逃避、所有欲に振り回されなくなり、人間関係の悩みが少なくなり、周りの人たちと和気あいあいで楽しく生活できるようになる。 ぜひとも森田理論の学習と実践によって自己肯定感を身につけようではありませんか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.05.09 07:55:53
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