2024/04/07(日)19:56
親の教育について
森田先生の父親は、教育熱心であったようだ。
9歳の時に、古文真実や、11歳歳の時に豪求という漢文の本を詰め込まれた。
その後、父親は教える事を全くやめて、放任してしまった。
それで14歳まで遊んだ。その後高知中学に進学したが、卒業間際までは成績が振るわなかった。中学卒業ごろからやっと上向きだした。
母の訓育は、だいたい放任であったけれども、決して甘やかすようなことはなかった。
私が何か不平をいう時には、母はいつも、下を見よ下を見よ、可哀相なものの事を思えと教えた。偉くなれといわれたことは、あまり覚えがない。
(森田全集 第5巻 351ページ)
森田正馬は、4歳頃から読み書きができたため。教員をしていた父親がスパルタ教育をしていたのである。漢文の暗記ができなくて深夜に及ぶこともあった。
フラフラ眠りだすと、父は外へ連れ出して、眠気を吹き飛ばしてまで、勉強をさせていた。
正馬は、こんな無謀なことは教育上、全く有害無益なことだと回想している。
父親は、正馬の成績が伸びないとみると、一転して放任してしまったそうだ。
それで正馬は、1年か2年はぶらぶらと過ごして14歳で高知中学に入学した。
それは父親が進学させることを渋ったからである。
中学の成績表を見ると最下位に近かったようだ。
それが、第五高等学校、東京帝国大学医学部に進学したというのは驚きである。
好奇心が強く、負けん気が強く、執着性気質という神経質性格が、正馬の向上心に火をつけたようです。
それにしても父親の子供に対する接し方は、その後の人生に影響を与えていることがよく分かる。父親は子供のそばにいて、子供の興味や関心のありかを観察して、好奇心を刺激し続ける。
自分の考え方や行動を押し付けてはうまくはいかない。
かえって反発されて、親子関係が断絶する。
そして、「もうかってにしろ」と突き放してしまうと、さらに子供の成長に悪影響を与えてしまう。
母親は子供が、不平や不満を言うのを叶えてやるということはなかったようである。
下の人を見て耐える、我慢することを教えていたようです。
これは「かくあるべし」を振りかざして、事実、現実、現状を否定する態度をいさめていたのではないかと思う。そして現実をそのまま受け入れて、問題ある現実を少しでも改善できるように努力しなさいという事を身をもって示していたのではないかと思われます。
森田の考え方のかなめの一つに「かくあるべし」を少なくして、「事実本位」の態度で生きるというのがありますが、それを母親から受け継いでいるものと思われます。