森田理論学習のすすめ

2021/05/31(月)06:31

怨念や後悔について

森田番外編(344)

私は夜中に過去の夢をみる。また目が覚めて過去のイヤや出来事を思い出します。 大きく分けると2つあります。 一つは他人から理不尽な扱いを受けたことである。 恨みというものは実に執念深いものであると思う。 あいつだけは絶対に許せない。死ぬまで忘れない。 あの世が存在していたならば、必ず仕返しをしたい。 必ず罪は償ってもらう。怨念となってたびたび夢に出てくる。 もう一つは、ミスや失敗をして恥ずかしい思いをしたことである。 欠点や弱点を人前でさらけ出して恥をかいたことなどである。 仕事をさぼり成果を上げられなかったこと。 会社の足を引っ張ってしまったこと。会社のお荷物になっていたこと。 部下を育てて成長させることができなかったこと。 そして部下をダメにしてしまったこと。 親や子供、部下や友人などに対して、思いやりのない冷たい対応をとった事などである。 これらは後悔となって自分を苦しめる。 後悔もしぶといものである。死ぬまで続くのだと思うとイヤになる。 これらは自然現象であり、自分の力ではどうすることもできないものだが、夜中になると突然襲ってくる。激しい怨念や後悔となって自分を苦しめるのである。 この問題について自分なりに考えてみた。 他人を許せないということは、事実に対して反抗しているということである。 森田理論ではどんなに受け入れがたい出来事であっても、基本的にはその事実を認めて受け入れるしかないと説明されています。動物の場合は、それは可能かもしれません。 大脳新皮質が高度に発達している人間の場合は、それは至難の業です。 私が問題だと思うのは、他人を許せないと思っている人は、根本的なところで、自分自身をも許せないのではないか。そう考えるとぞっとする。 観念で理想の自分を想定しており、それからかけ離れている自分を嫌悪している。 自己否定に陥っている。身体と精神が一体化している自分が内部分裂を起こしている。 自分は自分の最大の理解者であり、どんな事態に陥っても自分を擁護して守り抜くという姿勢が欠如しているのではないか。そういう人は哀れだと思います。 自己中心的で他人を痛めつけて自己の利益を拡大している人にも、嫌悪感をもたらすが、それと同様に自分というかけがえのない生命体を敵として取り扱う人にも嫌悪感をもたらす。 自分は自分の最大の味方であると自信を持って言える自分になりたい。 そのためには自分の強みや能力を見直すことです。 私たちは神経質性格という素晴らしい長所を持っています。 これに磨きをかけて、長所で勝負をかけていくという気概が大切になると思います。 日常生活の中でも小さな成功体験を数多く積み重ねて、自信をつけていくことが自己肯定につながると考えています。 後悔については、それは過去のことですから、もはや初心に戻ってやり直すことは不可能です。 ではどうするか。これから残された人生の中で、取り戻すしかないと考えます。 他人や会社、親や兄弟、子供や配偶者、社会や自然環境などに対して、今まで多大な迷惑をかけてきたならば、それを補って余りあるものを他人や社会に還元していく。 その人たちにはもうどうすることもできませんが、別の人に還元していく。 つまり過去の後悔を上回るような他人に役に立つことを企画して実行する。 そして最後には後悔よりも還元したものが多かったという状態に持っていく。 もし死後の世界に、神様が存在しているとすれば、そういう人は高く評価されるのではないか。 後悔にさいなまれて、いたたまれない思いだけを残して死ぬことだけは避けたい。 それよりはこれから先に目を向けて、世のため人の為に尽くすことをモットーとして頑張りたい。そうしないと、精神面で自分がつぶされてしまうと考えています。

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