2024/08/28(水)06:40
アドラー心理学における劣等感について
アドラーは劣等感は誰にもあるものだと認めています。
劣等感自体は、なにも悪いものではありません。
アドラーは「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」と述べています。
劣等感をバネにして、努力や成長の促進剤になりうると語っています。
劣等感を取り除くべく、より前進しようとする、現状に満足することなく、一歩でも先に進もうとする、もっと幸せになろうとする、こうした劣等感の在り方には、なんの問題もありません。
ところが、一歩踏み出す勇気をくじかれ、「状況は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられない人たちがいます。
なにもしないうちから、「どうせ自分なんて」「どうせがんばったところで」とあきらめてしまう人たちがいます。
アドラーはこれは劣等感ではなく、劣等コンプレックスだと述べています。
劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。
具体的には「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考える。
あるいは「わたしは器量が悪いから、結婚できない」と考える。
このように日常生活の中で「Aであるから、Bはできない」という論理を振りかざすのは、もはや劣等感の範疇に収まりません。劣等コンプレックスです。
(嫌われる勇気 岸見一郎 ダイヤモンド社)
森田理論でも自分と他人を比較して劣っていると判断すると、自己嫌悪、自己否定感でいっぱいになるといいます。
そのとき見劣りする事実を認めて、努力次第でなんとかなるものでしたら、改善に向けて舵を切ったらよい。
でも努力してもどうすることもできないものがたくさんあります。
そういうものは、他人に譲って、自分としては潔く事実を認めてあきらめるしかない。
自分の強みや長所や好きなことに光を当てて、努力精進していくほうが理にかなっています。
「谷深ければ山深し」と言います。大きな欠点や弱みを持っている人は、それに匹敵する長所や強みを持っていることが多いのです
一歩前に出ることが恐ろしい、現実的な努力をしたくない。今享受している楽しみを犠牲にしてまで変わりたくない。
多少の不満や不自由があったとしても、今のままでいたほうが楽だと考えている人は、味わい深い人生とは縁のない人です。