森田理論学習のすすめ

2024/09/29(日)06:36

後悔は一文の得にもならない

観念重視から事実重視への転換(543)

私は今までの人生を振り返って、人間関係で問題行動が多かったと思っています。 私ほど次々に問題を起こした人はいないのではないかと思うこともあります。 私の問題行動のせいで多くの人が私から距離を置くようになっていったのです。 それが夜中に悪夢となって後悔の念でいっぱいになることがありました。 過去の不祥事は取り消すことができませんので、今更償うこともできずに、一生苦しみ抜くことから逃れられないのか。それは耐えられそうもないことだ。 自己嫌悪、自己否定で自分を苦しめていたのです。 自分なんか人間に生まれてくる価値はなかった。 生まれてこないほうがよかったのだと自暴自棄にもなりました。 そんな時に​​「どんなに過酷な人生であっても無駄なことは一つもない」​​という言葉に出会いました。 この言葉で目が覚めた思いがしました。 そうか、私は勘違いしていたのかという思いでした。 私の心ない言動で多くの人を傷つけ、孤立してきたのは事実です。 これらはすべて忌まわしい過去として何とか葬り去ろうとしていたのです。 そうすると強迫観念と一緒で、過去の不祥事が自分を追いかけまわすのです。 逃れようとすればするほど、アリ地獄の底に落ち込んでいくのです。 今では人間関係でこんなに問題行動を起こした人はそんなに多くないはずだ。 自分は不祥事だと思っているが、私は選ばれて貴重な経験をさせてもらったというとらえ方もできる。 この不祥事の経験を災い転じて宝の山に変えることができないものだろうか。 私は小さいころからの人間関係にまつわる不祥事を細大漏らさず思い出して、書きだしてみることにしました。 さらに不祥事を敢えて作り出して、ことの顛末をまとめてみるのも意味があるかもしれない。 幸い私はブログをやっているので、私の人間関係にまつわる不祥事の数々を、正直に告白して、多くの人に反面教師として提供して活かしてもらうことができる。 今までなかったことにしたいと思っていた過去の出来事が、光り輝くダイヤモンドや金の延べ棒のように見えてきた。 これからも包み隠さず具体的な事例を紹介していこうと思っている。 森田理論でいうと、過去の不祥事をあるがままに認めて、将来に活かしていくことだと考えています。

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