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森田理論学習のすすめ

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治るとはどうゆうことか

2019.10.05
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森田先生の指導を受けた人に根岸君という人がいた。
20歳の学生である。症状は赤面恐怖症。
16歳で発病した。2年前から電車に乗ることもできなくなった。
ついに赤面恐怖症のため、中学5年生の時に退学に追い込まれた。
これは赤面恐怖症を克服した「根岸症例」として有名な話である。

森田先生のところで4日間の絶対臥褥を受けた。その後作業療法受けた。
そして房州での50日間の転地療法に入った。
転地中は自炊生活をして、農家の手伝いをした。
その間根岸君は日記を書いて、1週間ごとに先生の所に送り、先生はこれを批評し指導していった。
その中で根岸君は、赤面恐怖症を克服した。さらに人生観がからりと変わっていった。
これからの生きる方向がはっきりと定まったのだ。
どんなふうに変わっていったのかとても興味が尽きない。

彼は文学に興味や関心があって、大学も文科に進みたいという強い希望があった。
将来は前途有望な小説家として身を立てたいと思っていたのだろう。
普通ならばその希望を後押しすべく指導や援助を行う人が多いと思うが、森田先生はことさらそのような指導はされていない。焦点は神経症の克服と人生観の確立にあった。

彼は文学の道に進みたいという裏には父親との確執があった。
父親は商人で息子にも商科に進んでほしいという希望を持っていた。
彼はそんな父親を軽蔑していた。
父親は人間が生きていくのに、地位と財産と名誉とが最も大切であると言いました。
私はそんなものは一番くだらないものだと思っており、父親と対立していました。
また義理の母とも仲が良くなかったようです。
商人になれば豊かな生活が送れるかもしれない。
でもそれで納得できる人生が送れるとは到底思えない。
私は物質面では貧民であっても構わない。ただし精神面では富豪になりたい。

哲学概論に一日かそこら頭を突っ込んだり、まとまりもしない評論を読んでは、むやみに感激して赤線を引き回したり、トルストイが何といった、ベートーヴェンが何といったなど、片言ばかり書き集めて、父にむかったり、友を嘲笑したり、ああ腐った社会だのと悲憤していた。

彼は精神第一主義に陥って、淡々と流れる日常生活、食べるためにする仕事をつまらないことと切り捨てていたのである。そんなところに意義を見出すことはできない。そんなことにうつつを抜かして、平々凡々とした人生を送っている人たちを軽蔑していたのです。
精神面で豊かにならなければ、生きる価値はないと真剣に思っていたのです。
しかし文学で身を立てたいと思っても海のものとも山のものともわからない。
それどころか、周りの者との確執を招いている。
にっちもさっちも思い通りにならない現実にイライラしていたようです。

そんな彼に衝撃的な出来事がありました。
農作業の時、日雇いの婆さんが手が痛いというのでみたら、手のひらの皺という皺が、古い鰐皮のように割れて中から赤い肉がのぞいている。北風がしみるのである。気の毒でならなかった。
毛孔から油が出るほど、うまいものを食って遊んでいる人間があると思うと、こんな百姓女もいる。
なぜだかわからないが、この婆さんのように、虐げられて生きている者の方が、真の人間らしく思われる。私は半分道楽同様に働いているが、この婆さんは死ぬために働いているようだ。
閣下、殿様で、悠々と生きている人間も偉かろう。
しかしこの婆さんは、人類のどれだけの力であるか。
彼女自身も知らず世の中の人も知らない。
生まれてからこの村十里へ出たこともなく、春が来れば麦を刈り、夏がくれば田の草をむしり、秋は米をとって、都へ送り出す手伝いをして、一生人類に捧げた功労を誰もねぎらうものもなく死んでいくのだ。

このお婆さんを見て人が生きるということはこういうことか。
しっかりと大地に根を張って生きていくことの大切さを感じ取ったようです。
この時代は少し学問ができるものは、立身出世を夢見ていたのです。
都会で一旗揚げて、田舎に凱旋したいという気持ちを持っていたのです。
彼の目指していたのは文学で身を立てることでした。
そういう人は日常茶飯事や食べていくための仕事を軽視して軽蔑していたのです。
炊事、洗濯、掃除、子育てなどは価値のない、下等な人間のやることだと思われていたのす。

そんな価値観を見事に覆すような衝撃的な出来事でした。
雑事や雑仕事に目覚める出来事だったのです。
これこそが森田先生が言いたかったことです。
つまり観念や理想や価値判断に振り回されるのではなく、今現在を真剣に生きるということだったのです。職業に貴賤はない。目の前の家事や仕事に真剣に打ち込むことこそ尊い生き方である。
このことを根岸君は瞬時に会得したのです。頓悟といってもよいかもしれませんね。
その後根岸君は商科に進み、上海を拠点にした貿易商として大成していったようです。






Last updated  2019.10.05 06:20:06
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2019.07.29
​吃音の人たちの自助組織「言友会」というのがあります。
1976年5月1日、創立10周年の記念大会を開き、「吃音者宣言」を発表しました。

私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。
「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた。
「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、「どもらずに話したい」という吃音者の切実な願いの中で、ある人は職を捨て、生活を犠牲にしてまでさまざまな治すこころみに人生をかけた。
しかし、どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家、研究者、教育者などの努力にもかかわらず、十分に報われることはなかった。それどころか、みずからの言葉に嫌悪し、みずからの存在への不信を生み、深い悩みの淵へと落ち込んでいった。
また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生のたびだちを遅らせてきた。

私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。
その一方、どもりながら明るく前向きに生きている吃音者も多くいる事実を。
そして、言友会10年の活動のなかからも、明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。

全国の仲間たち、どもりだからと自分をさげすむことはやめよう。
どもりが治ってからの人生を夢見るより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。
そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。
その第一歩として、私たちはまず自らが吃音者であること、また、どもりをもったままの生き方を確立することを、社会にもみずからにも宣言することを決意した。

どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。
すべての人が尊重され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。
そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、よりよい社会を実現するために生かしていきたい。吃音者宣言。
それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人と連携していこうという私たちの吃音者の叫びであり、願いであり、みずからの決意である。
私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。
全国言友会連合協議会
(新装版 心配性を治す本 青木薫久 ベスト新書 129ページより引用)

これは優れた宣言だと思います。
どもりを横において、あるいは抱えたまま社会に飛び込んで自分に与えられた役割を果たしていこうというところに感動しました。
ただこの宣言を採択するにあたっては、相当激しい議論が展開されたそうです。
特に、どもりを治す努力を放棄するは納得できないと主張をする人も多数おられたのです。

これは森田理論と同じ考え方だと思います。
森田先生は、「​神経症が治るか治らないかの境目は、苦痛をなくしよう、逃れようとしている間は10年でも、20年でも決して治らないが、苦痛はこれをどうすることもできない。
仕方がないとあきらめ往生したときはその日から治るのである。
すなわちやりくりをしたり逃げようとするのか、あるいは我慢して耐えて踏みとどまるのかが、治ると治らないの境である​
」といわれています。​






Last updated  2019.07.29 06:45:52
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2019.06.22
啓心会を始められた水谷啓二先生は、熊本の第5高等学校在学中に神経症で苦しんでおられた。
適当な療法を求めて上京し、森田先生の診断を受けられた。
強迫神経症であると診断された。
そこで休学して、強迫神経症の苦しみを治してもらってから、学校に戻りたいと伝えた。
森田先生は「苦しくても復学しなさい」と言って、入院の許可は出されなかった。
仕方なく復学して、翌年にどうにか卒業することができた。

再び森田先生にお目にかかり、「森田療法によって強迫観念を治していただいてから、来年東京帝大を受験することにしたい」とお願いした。
すると先生は、「それがいけない。ことし試験を受け給え、もし受けないなら、入院は断る」といわれた。水谷氏はやむを得ず受験の手続きをして、20日ばかりやけくその勉強をして試験に臨んだ。
もちろん合格するはずはないとないと思っていた。
受験したことでやっと森田療法を受けることを許されたといわれている。
(生活の発見誌2019年5月号より要旨引用)

普通は強い神経症で苦しんでいるときは、仕事や勉強や家事が手につかないないわけです。
そんな時はすぐに入院し、治療に専念して早く治してもらいたいと思うものです。
そうしないと神経症はどんどん悪化してしまうと考えがちです。
入院を許可しないとは、なんと無慈悲な医者だろうと思ってしまいます。

森田先生は、どんなに神経症で苦しくても、自分の本分を全うしなさいといわれているのです。
神経症でどんなに苦しくても、学校を休んだり退学してはいけない。
勉強を中断したり、受験を取りやめるようなことではいけない。
また仕事をさぼる。安易に仕事を休んだり退職してはいけない。
神経症で苦しくても家事をすべて放り投げてはいけない。
などといわれているのだと思います。

休めばその瞬間だけは精神的に少しだけ楽になります。
しかし、その後は精神交互作用が働き、どんどんと症状は悪化していきます。
ではその他にどんなよい方法があるのか。
森田では、神経症の不安や苦しみは持ち堪えたままにして生活することを勧めています。
不安と格闘することを一時棚上げにするとよいのです。
そして目の前のなすべきことに目を向けてボツボツとこなしていくのです。

神経症的な不安は、欲望があるから発生したものです。
不安と欲望はコインの裏と表の関係にあります。
神経症の葛藤や苦悩は、生の欲望を無視して、不安の方ばかりにエネルギーを投入した結果として発生したものととらえているのです。
不安の裏側には、欲望があるという認識を持って、第一優先順位として、「生の欲望の発揮」にエネルギーを投入するようになると神経症は治っていくものなのです。
このことを森田理論学習で理解し、実行すればアリ地獄から地上に這い出ることができるのです。






Last updated  2019.06.22 06:30:08
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2019.03.10

​2019年2月号の発見誌に、次のような記事があった。
神経症から回復する3つの視点である。

1 、神経質という性格を自覚する。

2 、とらわれが拡大・固着する過程、つまり精神交互作用を理解する。

3、不可能の努力を招く思い込み、つまり思想の矛盾を理解する。

この3つは、神経症に陥った人が、神経症から解放されるために、必ず通らなければならない関所のようなものです。

まず1番目だが、神経質者は発揚性気質の性格の持ち主と比較して劣等感を持ちやすい。
そして、心身を鍛えて神経質性格の改造に乗り出す人もいる。
私は神経質性格は基本的には変えることはできないと思っている。
それよりは、神経質性格のプラスの面に焦点を当てて磨いていくことが大切であると思う。
感受性が鋭いということは、鋭いレーダーを標準装備しているようなものだ。
これを活かせば、芸術や文化を楽しみ、人間の心理なども細かく分かるようになる。
また、好奇心が強く、責任感があり、真面目である。
観察力が鋭く、物事や人間を詳細に分析する力がある。
半面、リーダーシップを発揮したり、その場を盛り上げたりする力はあまりない。
肝心なことは、無いものを求めるよりも、あるものに磨きをかけて、さらに伸ばしていくほうに力を入れた方が良いと思う。

2番目であるが、神経症は固着する過程は、自分の気になる1点に注意を集中して、精神交互作用で悪循環を繰り返すことである。
精神交互作用を打破して、生の欲望の発揮に注意や意識を向けていくことが大切である。
森田理論学習で盛んに言われていることで、誰でも知っていることである。
これは不安と欲望のバランスを意識した生き方のことである。
実際に生活の場面に応用していくことが肝心である。

3番目だが、「思想の矛盾」の打破は、森田理論学習をした人は誰でも知っていると思う。
しかし、実際にはどうしたら「思想の矛盾」が打破できるのか、分からない人も多いと思う。
これは、 「かくあるべし」を少なくして、現実や事実に即した生き方をすることである。

そのためには、先入観で決めつけるようなことがあってはならない。
事実を事実としてよく観察する態度が必要である。
現地に出向いて、実際に自分の目で確かめる態度が欠かせない。
事実を口にする時は、赤裸々で具体的に話す必要がある。
他人と比較して、安易な是非善悪の価値判断は極力抑える。
森田理論では、最初に感じた素直な感情、つまり「純な心」の習得を大事にしている。
最初に感じた素直な気持ちを思い出して、いつも原点回帰できるような癖をつけることだ。
そして、その感情を相手に伝える時は、 「私メッセージ」を活用することだ。
これだけを心がけて、生活していけば、思想の矛盾で苦しむことが格段に減少すると思う。
ぜひ取り組んでいただきたい。​







Last updated  2019.03.10 06:30:10
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2019.03.07
2019年2月号の「生活の発見」誌に市川光洋先生の興味深い記事があった。
これによると高良興生院で、退院する患者さんに「入院中に何が変わりましたか」という質問に対して、3つの答えがあった。

1、症状がよくなりました。
2、症状があっても行動できるようになりました。
3、なんだか知らないが心境が変わって治りました。

その後追跡調査をしたところ、一番よく治っていたのは3番目の人だったという。

私が思うには3番目の人は人生観が変わったから治っていったのだと思う。
1番目の人は、入院して言われる通りにしていたら、入院前の不安や恐怖はだいぶ楽になりましたと言っているのだ。これでは薬物療法や不安を取り除く精神療法と何ら変わりはない。
喜んで退院してもすぐに再発する。また生きづらさは依然として継続する。
そしてまたすぐに落ち込んでいくと思う。かわいそうな人だ。

2番目ですが、ほとんどの人はこの段階を森田療法の最終地点と勘違いしている。
精神交互作用を打破して、生の欲望にのっとった生活が定着してくると、神経症は確かに治る。
しかしそこで満足してしまっては、生きづらさは解消できない。これは第一段階の関門を通過したという治り方であって、ここで森田から離れては実にもったいないのである。
この段階は神経症を克服するための必要条件ではあるが、十分条件ではないのである。

それでは3番目の人生観が変わるとはどういうことか。
それは今まで不条理で観念的な「かくあるべし」を、自分や他人に押し付けていた態度の誤りに気が付いて、あらゆる事実を認めて受け入れるという態度の必要性が理解できて、実践できるようになることである。観念で考えたことを絶対視しなくなり、事実、現状、現実にしっかりと根を張った生き方ができるようになった人である。それを「事実本位」の生き方を身に着けた人と呼ぶ。

そのためには、事実には4つの事実があるが、その4つの事実の洞察を深める。
これについて知りたい方は、検索して過去の投稿記事をご参照ください。
次にどこまでも事実をよく観察していく態度を身に着ける。
口にするときは、事実に沿ってできるだけ赤裸々に具体的に話す。
抽象的な話し方を改善していく。
物事は両面的、多面的に見るようにする。安易に是非善悪の価値判断を口にしない。
「純な心」を理解して、いつも素直な気持ちで対応する。
自己主張するにあたっては「私メッセージ」応用する。
それぞれに難しい面はあるが、その方向を目指していくことが大切である。
幸い集談会という学習の場かあるのだから、みんなで目指してゆきたい。
これらは「事実本位」の生活を心がけて、観念は参考程度に活用するということだ。
これが逆転し、「かくあるべし」が、事実、現状、現実を批判、否定するようでは本当の意味で、神経症を克服することはできないのである。これでは人生の苦しみから逃れることはできない。






Last updated  2019.03.07 06:49:32
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2018.11.24
今度結婚するという方から、自分が神経症で苦しんでいるということを相手に伝えなくてもよいでしょうかという質問を受けた。
神経症が原因で、自分のことを嫌われて、結婚話が立ち消えになることを恐れているのである。

そういえば、集談会に初めて参加した人にアンケートを書いてもらっている。
その中に、集談会のご案内をはがきで出してもよいかどうかという質問がある。
半分ぐらいの人は「不要」という欄に0印をつけている。
ある方に聞いてみると、神経症であるということを家族には絶対に知られたくない。
そういう自助グループに参加していることを家族に絶対知られたくないという。
また、会員になるとは生活の発見誌が送られてくるので、会員にはなりたくないという。
神経症は何か人格に欠陥があるかのように思っておられるのだ。
神経症は集談会に参加して、誰にも知られずに「こっそり」と治したいようだ。

これらは自分の症状だけでなく、弱みや欠点を人に知られることをとても恐れている人だ。
相手がそのことを知ると、ますます自分のことを否定して、仲間として認めてくれなくなるのではないかということを恐れているのだ。
そのために今まで専守防衛の態度で涙ぐましい努力をしてきた。
弱みや欠点は隠したり、取り繕って何とか嫌われないように生きてきたのだ。
弱みや欠点が露呈する場面は出来る限り避けてきた。
中には整形美容をしたり、エステに通ったり、カツラをかぶったり、腹を締めつけたり、厚底の靴を履いて誤魔化してきたのだ。
また、神経症がわからないように、強気の発言をしてみたり、相手の言うなりになって言いたいことも我慢してきたのだ。
そのおかげでやっと仲間として受け入れてもらっているのに、今更そのような生活態度変えろと言われても無理な相談だ。
そんなことより、森田療法で神経症を治す方法を手っ取り早く教えてもらいたい。
神経症さえ治すことができれば、鬼に鉄棒で自信を持って生きていくことができるのだ。

そんな気持ちなのだろうが、そのような態度をとり続ける限り、神経症は治るどころかどんどん増悪していくと思う。
森田先生は、自分の症状を周囲の人々に対して「赤裸々に打ち出すという態度」にならないと神経症は治らないと言われている。
そういう人は、神経症を告白することは、他人が自分から離れていくと思っているが事実は違う。
赤裸々に告白すればするほど、他人は自分に同情してくれて、人が近寄って相談にのってくれるのだ。
反対に、自分の症状を隠したり、取り繕ったり、逃げてばっかりいると、 「あの人はプライドが高く、我々を寄せ付けないオーラを醸し出している。我々を馬鹿にした態度ばかりで鼻持ちならないやつだ」と思われて、他人は距離を置くようになる。
自分はますます惨めになり、自分のことを無視する他人を憎むようになる。
自己保身の態度をとっていると、益々人間関係が悪化してくるのである。

結婚する時は、重大なことを隠していると後で大きな問題になる。
付き合う時に、良い面も悪い面もさらけ出して、両面観で見てもらうほうが、夫婦の人間関係はよくなる。
むしろ、神経症だけではなく、身体的な弱みや欠点、自分の神経質性格についてもどんどん打ち出していった方がよい。よいところも悪いところもバランスよく見てもらうほうがよい。
隠し事がなくなると、注意や意識が自己内省にばかり偏ることがなくなる。
そうなると、我々が目指している物事本位の生活に邁進することができるのである。
弱みや欠点を隠すことに神経を使うのと、まな板の鯉のようにさらけ出してしまうのとどちらが意味があるのかは明らかなことである。






Last updated  2018.11.24 06:30:10
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2018.10.11

私は森田理論学習を続けている人にオススメしたいことがある。
それは俳句や川柳、ユーモア小話、ダジャレ、カラオケ、替え歌、 一人一芸に取り組むことである。
生活の発見誌では川柳の募集が始まった。私は毎年応募している。
1年を通じてネタを探している。注意や意識が内向きから外向きになるのがよい。
今年は次のような川柳を作った。

​​半端ない 森田理論は 半端ない

おめでたや 森田誕生 100年目

柿食えば 梨も食べたい 里の秋

新年会 一人一芸 花盛り

発見会 発明展と 誤解受け

抗ガン剤 飲んでないのに 髪がない

不快感 放っておけと 無茶を言う​​

ユーモア小話作りも楽しい。すぐに思いつかない人は、収集から始めるとよい。
昨日服用した「ハッキリA」は、いまいち効果がなかったので、今日は新しく「スッキリS錠」を試してみた。
しかし、「 パッチリM 」に比べると、パンチが弱いので、 「シャッキリ」と混ぜて飲んだら少し効いた気がした。
口あたりから言うと、「シッチャカ」と「メッチャカ」あたりが好みだか、かみしめたときの「プッツンAM錠」などは、ほのかな甘みが口の中に広がるので好感が持てる。

これは、以前に生活の発見誌で紹介されたものだが、こんなユーモア小話をたくさん収集していると、症状が出たときに気分転換を図ることができる。
私はおかげで自分で作ったものと合わせて、 A4サイズで100ページぐらい持っている。
時々取り出して見ているが、すぐに笑いで一杯になる。
集談会で症状に陥っている人で、極端に顔つきが暗くなっている人がいる。
そういう人は是非とも、ユーモア小話の収集から始めてみることをお勧めしたい。
ユーモア小話を作るという目標を持つと、ネタを求めて自然に周囲をよく観察するようになる。
みんなの前で発表すると、その場をなごやかにすることができる。

次にカラオケや替え歌作りである。
カラオケは仲間と一緒に大声を出すことができる。
大声を出すというのが気分転換になる。
音痴だと思っている人は、 YouTubeに合わせて練習をするとよい。
その際、録画機を使って録音して後で聞いてみる。
これだったら皆の前で歌えるという曲を1曲か2曲選んで練習しておく。
そういう準備をして、カラオケの当日は朝から発声練習をしておく。
そうすれば、なんとかカラオケを楽しむことができる。
みんなと一緒にカラオケを楽しめるようになる。
カラオケに行くと上手な人がいる。その人の歌声を聞いているだけでも心が癒される。

替え歌作りも楽しいものである。
替え歌は作ったら、模造紙に書いて懇親会などの場で披露する。
そしてみんなで大合唱するのだ。みんなで楽しむことができる。

一人一芸を身につけると、懇親会などの飲み会では重宝される。
さらに、老人ホームや町内会などの慰問活動をするようになれば、それが生きがいにつながる。
人脈も広がり、毎日忘れないように練習するので、生きる目標が持てるようになるのだ。
現在、サックス、腹話術、高知のしばてん踊り、どじょう掬いはほぼ毎日練習している。

神経症で苦しんでいる時に、川柳や俳句、ユーモア小話、カラオケや替え歌作り、一人一芸が神経症克服に役立つということを思い出してほしい。







Last updated  2018.10.11 08:03:03
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2018.09.20
昨日の投稿を参考にして話をしてみたい。
生活の発見会の集談会に参加する人は、今現在神経症で蟻地獄に落ちてしまっている人がいる。
休職したり、家に引きこもっている人もいる。
観念上の悪循環のみならず、実生活上の悪循環もある。
神経症オンリーでのたうちまわっている人である。
すでに精神科にかかり、薬物治療を続けている人もいる。いろんな精神療法を受けている人もいる。
その一環として、インターネットなどで見つけて様子見で集談会に参加されたのである。

ただ神経症で生活が破綻状態にある人は、集談会に参加するよりももっといい方法があると言いたい。
こういう方は基本的には森田療法に詳しい生活の発見会の協力医の受診と治療を受けることである。
また薬物療法と並行して、森田療法に詳しいカウンセラーによるカウンセリングを受けることもお勧めしたい。
さらに精神療法には、森田療法、精神分析、認知行動療法、内観療法、家族療法を始めとして30あまりもあると言われている。インターネットの検索で調べるとすぐにわかる。
自分に合った精神療法があれば、それに取り組んでもよいと思う。
ここでは、とりあえず蟻地獄から地上に這い出ることを第一目標にしてもらいたい。
この一点に焦点を絞って取り組むことが大切である。

自分の葛藤や苦しみ・悩みは客観的に第三者の立場から判断してもらうことが重要である。
森田療法を行う場合は、基本的に森田適用であるかどうかを診断することが必要である。
神経質性格を持っている人が対象となる。
心配性である。自己内省性がある。生の欲望が強い。執着性があるなどである。
次に、愛着障害を持っていないか診断する必要がある。これは岡田尊司さんの本に詳しい。
愛着障害があると、基本的に他人対する恐れや怯えを持っており、そういう人はまず先に心の安全基地を作り上げることが先決であると考える。

大うつ病は、森田療法の対象外である。双極性障害もそうである。
その他、精神疾患を併発している人も森田療法の対象外である。
これらを併発している人は、森田療法の専門医による診断と治療が欠かせない。
治癒後に専門医と相談しながら森田療法に取り組むというステップを踏むことが大切になる。

どうして森田療法の協力医をお勧めするかというと、森田理論は神経症を治療するのみならず、神経質性格を持った人に、治癒後の生き方を提示しているからである。
こういう神経質性格者の生き方にまで踏み込んだ療法は、森田療法以外には見当たらない。
運よくアリ地獄から地上に這い出ても、少なくとも毎日、曇天の中で息苦しい生き方を余儀なくされている人が多いのが実情なのです。

神経症は、森田療法の考え方や生き方を身につけない限り、すぐにまた挫折する可能性が高くなる。
だから一旦蟻地獄から這い出た人でも、そこで安心して森田から離れてはいけないと思う。
森田療法理論の考え方を、森田の自助組織に参加することによって身に付けて実践することで、抑うつ状態・気分変調性障害・慢性うつ状態から抜け出ることができるのである。

神経症的な悩みが解消しない人は、アフターケアができていないのである。
そのためには自助組織に参加して、仲間との相互学習や交流が必須となるのである。
ここでやつと生涯学習のスタート地点に立つことができたのだと認識することが大切である。
わずかな違いだが、ここがその後の人生が実りあるものかどうかの分岐点になるのである。






Last updated  2018.09.20 06:30:12
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2018.09.15
私は生活の発見会の集談会に参加し始めて、すぐに図書係を引き受けた。
対人恐怖症で苦しみの極みにあったが、世話活動をすると症状が治ると言われたので引き受けたのである。その当時は、集談会は20冊ぐらいの森田関連図書を持っていた。
図書係はそれらの管理を任されていた。
集談会の開催日に段ボールの中に入れて持参する。
そして机の片隅に並べておく。
休憩時間になると参加した人がその本を実際に見て購入する。
購入代金を徴収する。そして、不足する本を次回の集談会までに補充しておく。

そのうち、自分が読んでいないものを人に勧めることに抵抗をを感じるようになった。
そこで簡単な内容説明ができるために、それぞれの本の特徴を目次を見ながら考えた。
また、実際に管理している本を片っ端から読んだ。これは役得であった。
そのうち初心者にわかりやすい森田の本を自信を持って勧められるようになった。
次第に自分の薦めた本を実際に買ってくださる人が増えていった。
まだ森田理論はよくわからなかったが、本が売れることが喜びであった。
幹事会などで、先月の書籍販売の実績と売れ筋の本の説明をするのが楽しかった。
今考えてみると、最初は嫌々仕方なく引き受けた図書係であったが、それは症状一辺倒に凝り固まっていた私にとって回復の手段になっていた。

図書係の次に代表幹事を引き受けた。
その当時は毎年1泊学習会、野外学習会、レクリエーション、暑気払い、新年会、忘年会、ブロック活動などの行事が目白押しであった。私は次の行事に向けて、一心不乱になって準備を積み重ねていった。
ありきたりの行事ではなく、思いつく限りの工夫を織り込んでいた。
いろいろ困難な問題は多かったが、行事が終わるたびに満足感でいっぱいになった。
参加した人からも大いに喜んでいただいたように思う。
その当時は幹事も多く、活気があり、みんな積極的に関わってくれた。
対人恐怖症である私が、みんなと協力してイベントを盛り上げるという体験を持つことができた。
それぞれに思い出も多く、当時の写真を時々眺めては懐かしく思い出す。

そのうち会社で孤立していた私が、会社での飲み会の幹事もできるようになった。
また会社の移転プロジェクトリーダーに任命されて滞りなく遂行することができた。
そのうち、中間管理職となり、事務部門の業務改善にも取り組めるようになった。
この時は目の前の仕事に集中しており、対人恐怖の悩みはほとんど出なかった。
これらは集談会での体験学習が基礎になっているのであった。

そんなときに派遣講師で来られた方が次のように話された。
その方も世話活動をするようになって、参加された方に喜んでもらえるような集談会にするために色々とアイデアを出して考えるようになった。自分の悩みなどはその後で考えようと思って、世話活動に専念していると、いつの間にか自分の症状のことは忘れていた。
そんなことが次第に増えていって、いつの間にか症状のことを考える時間が少なくなった。
その方は、症状が治るという事はこういう事なんだとしみじみと実感できるようになった。

この話を聞いて、私と一緒だと思いました。
頭の中でやりくりをしているうちは、対人恐怖症はどんどん悪化すると思います。
人の役に立つことを見つけて、一生懸命に取り組んでいけるうちに、次第に対人恐怖症の葛藤や苦しみは少なくなっていくのだと思います。






Last updated  2018.09.15 06:30:14
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2018.09.14
私は生活の発見会に入会し、集談会で森田理論を学習して30年以上になる。
振り返ってみるとあっというまであった。その間、対人恐怖症を克服した。
また神経質性格者として生きる指針を得ることができた。
さらに、多くの優れた仲間と知り合いになることができ、今では親しく交流を続けている。
神経症のため、若い頃は苦しくて辛い人生であった。
生きる事は死ぬよりも辛いことだと思っていた。
森田療法理論の学習のおかげで、後半生は水を得た魚のようにのびのびと生きることができるようになった。

先日の集談会で、森田を学習し始めた人から、「それはすごい。対人恐怖症はどうしたら全治できるのですか」と質問を受けた。とっさの質問で、的確な返答ができなかった。
私は、 「全治」という言葉は、神経症克服にあたっては軽々しく使う言葉ではないと思っているので、その人に「全治」をどのように考えておられるのか聞いてみた。
その方曰く、 「他人の思惑に右往左往しなくなる。他人の批判や叱責に対して、あっけらかんと対応できるようになる。自分の言いたいことを正々堂々と発表できるようになる。自分のやりたい事を、人目を気にせずにどんどん手掛けられるようになる。小さいことにすぐに動揺する心配性の性格がなくなる。細かいことや他人の思惑が気にならないような積極的で、外向的な性格に変化するなどです」

なるほど、対人恐怖症の 「全治」についてそのように考えられているのかと驚いた。
無理もない。かっての私もそのように考えていた。
今現在の自分を否定して、外向的な人間に生まれ変わることで、対人恐怖症は克服できるのだと思われていたのだ。今の私の考える対人恐怖症の克服は、そのような考え方ではない。
私は神経質性格は持って生まれたものであり、変えることはできないと思っている。
また神経質性格は素晴らしい性格特徴を持っており、変える必要はない。
むしろ、その性格特徴をどんどん磨きをかけて発揮しなければならないと思っている。
心配性である、人の思惑が気になるという特徴は、感性が鋭いということでもある。
その感性をさらに伸ばしていけば素晴らしい人生につながっていくのである。
その前提に立って、神経症が治るという事はどういうことかを考えてみたい。

神経症に陥り、アリ地獄の底にいるときは、誰しも神経症一点に注意や意識を集中させている。
頭の中は症状以外の事は考えられない。実生活もほとんど停滞している。
この状態から這い出して、地上の上に出ることができれば、それも初期の段階ではあるが、神経症が治ったと言える。
どういうことかというと、地上に出るためには、症状はそのままにして実践や行動が必要になる。
実践や行動をするということは、頭の中で症状以外の事に、少なからず注意や意識を向けないとできないのである。
100%症状だけで占められていた頭の中が、多少減って95%ぐらいになった状態である。
でも実践や行動ができたからといって、対人恐怖症で苦しいことには変わりがない。
ほんの少し好転しているのに、全然治っていないというのが苦しんでいる人の特徴である。
しかしそういう態度で生活して、例えば症状のことを考えている時間が半分くらいに減少してきたらどうだろうか。
あるいは、目の前の日常茶飯事や仕事に取り組んでいるうちに、症状のことはついうっかり忘れていたという経験は誰でもお持ちなのではなかろうか。

対人恐怖症が治るという事は、頭の中で症状に振り回されている時間が減少してくるということである。さらに減少して症状のことを考えている時間が30%、20%、10%になれば、その人は対人恐怖症を克服していると見るのである。
肝心なことは、神経質性格が変わっているわけではないので、人の思惑が気になるというコアの部分はなくならないのである。この部分を変えようとすると、アイデンティティの喪失、人格崩壊を招く。
ですから、対人恐怖症が治るということは、 0か100か、白か黒かに割り切る事はできないのである。
その比率が時と場合によって、常に上がったり下がったりして変動していると思った方がよい。
そして対人恐怖症のこと考える時間がずいぶんと少なくなって、安定軌道に入った時は対人恐怖症を克服したと公表してもよいのである。だから私は「全治」という言葉を使うのがイヤなのである。






Last updated  2018.09.14 06:30:14
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