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森田理論学習のすすめ

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神経症の成り立ち

2019.10.15
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カテゴリ:神経症の成り立ち

河合隼雄先生のお話です。
ある40歳過ぎの家庭の主婦が、急に耳が聞こえなくなりました。
すぐに耳鼻科の病院に行きました。
耳鼻科の先生はいろいろと検査をしてみたが原因がつかめなかった。
そこで精神科の受診を勧めた。仕方なく河合先生のところにやってきた。
河合先生は筆談を交わしながら、そこに書く質問を声に出して言いながら書いていく。
彼女がだんだんと筆談にの中にひきこまれたと感じたとき、それに関連したことを紙に書かずに口答で質問する。例えば、「ご両両親は・・・」「早くに亡くなりました」「それじゃいろいろとご苦労されたでしょう」などというと、「ええ、ずいぶん」などと答える。
彼女は口答の質問につい応答してくる。
彼女は私の声が聞こえていたことが判明した。
これは我々にとっては理解不能なことである。

それでは彼女は仮病を使っていたのだろうか。
決してそうではない。聞こえないときは本当なのである。
河合先生は、彼女の耳に異常があるのではなく、彼女の耳は「聞こえるのだが聞こえない」状態にあることを知った。つまり器質的な病気ではなく、心理的な病気であることが判明した。
そこで心理的な治療法を行うことにした。

彼女は治療者との信頼関係を築いた時点で、治療者の声は聞こえていることを認めた。
しかし、不思議なことに他の人の声は聞こえないのである。
ただこの点は治療が進むにつれて、次第に改善されていったという。
最後に夫の声がどうしても聞こえなかった。

話し合いを進めているうちに、彼女は大変なことを思い出した。
耳が聞こえなくなる少し前に、夫が浮気をしているということを知人から聞かされたという事実である。
その時は、不思議に怒りも悲しみも感じなかった。
むしろ40歳を過ぎればどんな男でも、そんなことはあるだろうなと思ったという。
離婚するといっても損をするのは自分なのだからとも思ったそうだ。

ところが、このことを治療者に話しているうちに、彼女の抑えきれない悲しみと怒りがこみ上げてきた。
彼女はひたすら夫に仕えてきたのに、それを裏切った夫。絶対に離婚したいともいった。
しかし興奮が収まってくると、離婚してもその後の生活はどうするのか。
何も知らない子供たちを巻き込むことはさけたいなどと迷いが生じ始めてきた。
彼女の心の中での葛藤は激しく、つらい話し合い続けなければならなかった。
ところで、そのような苦しい悩みとの戦いを経験する中で、彼女は夫の声も聞こえ、耳が聞こえないという症状からは、いつの間にか抜けだすことができたのである。

このからくりは、夫の浮気に対する悲しみや怒りは、顕在意識から排除しようと思った。
悲しみや怒りを爆発してもよい事は何もない。離婚などしたら路頭に迷う。
何事もなかったように表面上では平静を装うことにしよう。
ところが悲しみや怒りは無意識部分では存在し続けていた。
そして益々大きく膨らんできた。ついには身体的な症状へと転換されることになった。
そこで無意識に追いやられた内容を治療の中で呼び起こして意識化し、それに伴う情動を再度体験して味わうというプロセスを踏む必要があったのである。
これはいわゆる精神分析的治療法です。
森田では不安や不快の気持ちを素直に認めて味わう。受け止めるということになります。
自然に湧き上がってきた感情から逃げたりしない。
やりくりをしない態度を養成することになります。
これが事実本位の生活態度ということになります。










Last updated  2019.10.15 06:31:41
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2019.08.24
カテゴリ:神経症の成り立ち
ある40代の男性は、出勤前にトイレに行ったあと、妻や娘に「お父さんのトイレの後、臭い」といわれました。大変ショックを受けました。でも家のトイレは一つしかないので使わざるを得ないのです。
そこで自分はできるだけ後で済ませるようにしました。
そして今ではトイレが終わった後、消臭剤を振りかけることが日課になっているそうです。
そのうち家で済ますことはできるだけ我慢して、駅の公衆トイレを利用するようになりました。
少し早く出て会社のトイレを利用することもあります。
そのうち電車に乗ると自分が悪臭を出しているのではないか気にするようになりました。
テレビコマーシャルでやっている臭い消しをわきの下に振りかけるようになりました。
職場では、自分の口から悪臭が出ているのではないか。体臭で若い人たちが自分を避けているのではないか。などと気になり始めて、仕事に集中できなくなりました。
神経科にかかると「自己臭症」と診断されて治療を受けているということでした。

悪臭を排除しないとみんなから嫌われる。いじめにあう。
それを予期恐怖して、無臭化に力を入れるようになっている。

ポーラ文化研究所の調査では、自分の臭いが好きと答えたのはわずか1%。
男性の66%、女性の81%が自分の口臭、汗の臭い、足の臭い、体臭を抑える努力をしていた。
何回も歯を磨く、シャワーを何回も浴びる。脂取り紙を使う。無臭剤をつかう。香水を使う。下着をたびたび取り換える。

例えばシンガポールに行くと、毎日暑いので汗がよく出る。それとともに体臭もきつくなる。
そこでどうしているかというと香水やオーデコロンを振りかけて、自分の体臭をごまかしている。
現地の人に近づくと香水のにおいがする。街中がなんか独特の人工的なにおいがする。

無臭化については、大量に流されるテレビコマーシャルが拍車をかけている。
消臭剤、除菌剤、抗菌剤などは大きなマーケットを形成している。
これでは香りで季節の移り変わりや料理を楽しむという五感の機能はどんどん衰えてしまいます。
果物や草花の臭いを軽視し、鈍感になってしまう。

元々動物は体臭を放って自己主張するものなんです。大切な機能があるのです。
自然なものを自分たちの都合に合わせて、すべて排除しようと考えることは、自然に反する行動をとっていることなのです。
自分の気持ちや意志を押さえつけて、周囲の合わせていくばかりでは、生きづらくなってしまいます。
嫌のものはなんでもかんでも排除するという考えは、一時はうまくいったかに見えても、長期的にみれば自然の流れに反することですから、破綻や破滅に向かって突き進んでいるのです。

不安や恐怖、不快感、違和感についても、それを取り除いたり、逃げ回っていてはいけません。
それらは有史以来人間や動物に備わっているものです。
危険を素早く察知し、自分や家族の生命を守るという大切な機能を持っているため、進化の過程で切り捨てられることなく、遺伝子に組み込まれているものなのです。
それらの役割や特徴を十分に学習する必要があります。
そして生活の中にどのように活かしていくのかと考えて、上手に付き合っていく必要があります。
そのことを森田理論の学習で学ぶことができます。精神療法では極めて珍しいことです。
不安と欲望という単元です。ここを学習すると、不安と欲望の関係もよく分かってきます。
ですから、他の単元よりは、より重要な学習項目になります。
官庁でいえば、国税庁という庁レベルではなく、財務省という省レベルの学習項目となります。
そういう意識で学習することをお勧めします。






Last updated  2019.08.24 09:33:53
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2019.06.09
カテゴリ:神経症の成り立ち
​​​​​​​​​​神経症に陥る過程では、精神交互作用が絡んでいます。
注意と感覚の相互作用によって、不安、恐怖、違和感、不快感はどんどんと大きくなっていきます。
頭の中ではそれ以外のことを考えたり、行動することができなくなってしまう。
例えば、友達と旅行に行って、雑魚寝をすると人のいびきが気になります。
人のいびきを気にしないようにしようと思えば思うほど、ますます気になって朝方まで寝つかれないことになってしまいます。精神交互作用とは注意と感覚の悪循環のことです。

対人恐怖の人は、他人に非難されたことを根に持って、相手の言動にとらわれるようになります。
相手の存在、やることなすこと、すべてにわたって批判的な目で見るようになります。
仕事や食事をしていても、頭の中は恨みや怒りでいっぱいになります。
注意と感覚の悪循環が相互に影響し合っているのです。
最後には挨拶もしない。その人を避けるようになる。他の人にことさらその人の悪口を言うようになる。
この状態は、精神交互作用に加えて、​​行動の悪循環​​が起きているのです。
仕事や日常茶飯事、子供の面倒を見ることはほったらかしになります。

こうなると周囲の人もあの二人は犬猿の仲だと気づくようになります。
お互いから四六時中愚痴を聞かされることになりうんざりします。
周囲の人は、腫物を触るようにとても気を使うようになります。
何かあったときは、席を離すようにする。
とにかく二人を近づけないように気を配るようになります。
二人の人間関係を中心にして、組織の中がピリピリしてきます。
周囲の人たちとの悪循環を招いているのです。

最後に考え方の悪循環が起きています。
認知、認識の間違いといわれているものです。
1、考えることが無茶で大げさ、論理的にあまりにも飛躍している。
2、マイナス思考、ネガティブ思考に陥っている。
3、事実を無視して、先入観や決めつけに偏りすぎている。
4、完全主義、理想主義などの「かくあるべし」が強すぎる。
考え方の悪循環は自分では気づくことはできないでしょう。
こういう人は、考え方の誤りを自覚するために、学習する必要があります。

私は不安、恐怖、違和感、不快感の裏には欲望が存在していると学びました。
そして、不安などは取り除こうとするのではなく、欲望の方に視線を移していくことを学びました。
今では、いかに不安と欲望のバランスを整えていくのかに注力することで、素晴らしい人生が待っていることに気づきました。まさに森田療法理論のおかげです。
イメージとしては「ヤジロベイ」「サーカスの綱渡り」を思い出すようにしています。


​​​​​​​​






Last updated  2019.06.09 06:30:06
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2019.03.12
カテゴリ:神経症の成り立ち
2月号の生活の発見誌に不潔恐怖の人の話がある。
強迫観念とは、非常に嫌な感情です。
ですから、この嫌な感情を、なくそうとか排斥しようとか、ねじ伏せようとして強迫行為をしてしまうのですが、強迫行為をすればするほど、いやな感情は精神交互作用で大きくなり、完全に負け戦です。
強迫観念と事実は違うということをしっかり認識して事実に基づいた生活を実践することが大切です。

「もしかしたら閉め忘れたところがあるのでは」 「もしかしたらきれいに拭けていないのでは」 「もしかしたらきれいに洗えていないのでは」みな強迫観念です。
この強迫観念に従ってする行動は強迫行為となってしまい、追い込まれてしまうのです。
「もしかしたら」に振り回されてしまうのです。
戸締まりなど、確実にしまっているという確信はもてないけれど、 「確認した」という事実にすがる、食器などきれいに洗えたという確信は持てないけど、 「一生懸命に洗った」という事実にすがる、 「一生懸命に拭いた」という事実にすがる。
後ろ髪を引かれる思いでやるしかありません。

強迫行為を続ける人は、見る、聞く、匂う、味わう、触れるという五感、そして直感を信頼することができないのだと思います。
いったん五感で確認しても、思索、判断力などを司っている大脳の前頭前野がしゃしゃり出てきてしまうのです。そして、常に主導権を前頭前野が握っており、五感や直感は軽視されてしまうのです。
ですから強迫行為は動物にはありません。人間にだけあるものです。
精神拮抗作用で、五感や直感が否定されるのが普通の状態になっているのです。
強迫行為をしている人は、強迫行為や自分が嫌で嫌で仕方がないのです。

強迫行為をする人は、幼児のころ、母親とのスキンシップが欠けており、そもそも他人を無条件に信頼するという経験が乏しかったという人もいます。暖かい人間同士の触れ合いが持てないことで、五感や直感への信頼感にも影響を与えているのかもしれません。
この方は、行動したという事実は歴然とあるわけですから、その事実だけはきちんと認めていく。
そして耐えがたいことではあるが、強迫行為から決別するという方法をとられているようです。
理屈としてはその通りなのですが、それが出来ないから強迫行為を止められないという側面もあります。

また別のある方は、強迫行為は精神拮抗作用が原因となって発生している。
戸締まりをした、ガスの元栓をきちんと締めた、手をきれいに洗ったという事実があっても、その反対観念がどうしても出てくる。その反対観念が出てくるというのは、人間の宿命である。
そういうことが自覚できれば、強迫行為の成り立ちが分かる。
成り立ちがわかれば、自分を許せたり、強迫行為から逃れることができるのではないか、と言われている。これは森田理論の中で、森田先生が教えてくれた重要な視点であると思う。

私はそれに加えて、五感や直感力を強化することにも取り組んだ方がよいと思う。
五感はネガティブで否定的なものだけではなく、うれしい、楽しい、清々しい、気持ちがよいなどというポジティブで肯定的な面もある。
おいしいもの食べること、体を動かすこと、芸術や文芸作品を味わう事、スポーツをすることによって、五感はどんどん鋭くなっていくものである。そういう改善への道もありだと思う。

それから、強迫行為をする人は、他者への信頼感も希薄な面があるので、広く浅く人間関係を広げることによって、 「心の安全基地」という人間同士の基本的信頼関係を再構築して行く方向で努力していく。
これは直接強迫行為の改善には結びつかないかもしれないが、強迫行為を続ける人の、自分の人生を楽にしてくれる。このように、総合的に取り組んでいた方がよいのではないかと考えています。






Last updated  2019.03.12 06:30:10
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2019.03.11
カテゴリ:神経症の成り立ち
2月号の生活の発見誌よりの引用です。

対人恐怖にとらわれてしまったら、いきなり一般社会で人間関係を常にうまくやろうとする試みを、ちょっと棚上げしてほしい。
普段の対人関係の改善を、焦ってしまうと、たいてい失敗し、さらに「自分はなんとだめな人間」と、劣等感を強める結果を招く。
また、仲間が集う集談会などに参会し、わずかでも自己防衛のヨロイを外していられる居場所を確保することも大切。

これは、神経症で苦しんでいる人は、一刻も早く心の苦しみを取り去って楽になりたいという気持ちが強いということです。
しかし、対人恐怖症のような強迫神経症は、気になる不安を取り去ろうとして性急になればなるほど、蟻地獄の底に落ちてしまうようなことになります。
森田理論学習で、対人恐怖症の成り立ちがわかったからといっても、たちまち改善できるわけではありません。不安神経症の場合、短期間のうちに神経症を克服するというケースはありますが、強迫神経症の場合は、時間をかけて玉ねぎの薄皮を剥いでいくような態度でいることが必要です。

対人関係のことで頭の中で考えることが100%占められていた状態から、 90% 、 80% ・ ・ ・という風に、時間をかけて注意や意識が遠のいていくようになるのです。
たとえ10%でも改善が図られれば、それだけで生きる勇気が湧いてきます。
そういうことの繰り返しで、最終的には対人恐怖症はあるにはあるが、それに振り回されることが少なくなっていくのです。生活本位、物事本位に変化していくのです。
私も対人恐怖症で、苦しみましたが20年ぐらいで急に楽になった経験を持っています。

対人恐怖症があるということは、自分にとっては人生の中で克服すべき課題を、常に持っているというふうにも考えることができます。
それが一挙に解決してしまうと、その時点で、取り組むべき課題がなくなってしまいます。
目標や課題、ストレスが全くない人生ほどつまらないものはありません。
対人恐怖症の成り立ちや問題点を試行錯誤しながら、「自分はどう生きるべきなのか、人生とは何なのか」を深く洞察するきっかけにしたいものです。
そのようなことを思索することは、人生の醍醐味ともいえるものです。
対人恐怖症の真っ只中はとても苦しいものですが、それを乗り越えていった人は晩年になると、 「神経症になってよかった。人間に生まれてきてよかった」と、自分の人生をいとおしむことができるようになるのです。「雨降って地固まる」という格言がありますが、まさにその通りです。

これは一人で実行することはとても難しいかもしれません。
しかし私たちには、仲間で助け合って乗り越えていくという自助組織を持っています。
集談会に参加しながら、お互いに刺激を与え合いながら、対人恐怖症と末永くつきあっていきたいものです。

対人恐怖症で苦しんだ経験があると、今まさに対人恐怖症で苦しんでいる人の気持ちは手に取るようにわかります。そして、何とかしてその人に克服してもらいたいと思うようになります。
その人のそばにいて、何かあったときには、援助してあげたい、相談に乗ってあげたいと思うようになるのです。
こんな気持ちになるのも、自分が長らく対人恐怖症で苦しんでいた経験があるからこそです。
こうしてみると、自分の人生の中で心ならずも出会った苦しいこと、辛いことすべてに大きな意味があったということだと思います。






Last updated  2019.03.11 06:30:09
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2019.01.21
カテゴリ:神経症の成り立ち
私は30年以上森田理論学習を続けてきて、自分の生きづらさの問題点に気がついた。
それは大きく分けると4つあった。

1 、対人恐怖症のために予期不安があると、人前から逃げるという習性があった。

2、対人関係では、勝ち負けにこだわり、いつも相手と張りやってきた。
負けず嫌いが他人に向けられていたのである。

3 、自分の感情、気持、意志を押さえつけていた。いつも他人の言動に振り回されてきた。

4 、 「かくあるべし」が強く、今あるものや自分や他人を否定しながら生きてきた。

これらは森田理論学習のおかげで少しずつ改善できてきた。
今では生きていてよかった。神経症は辛いものであったが、神経症になったからこそ今がある。
神経症になってよかった。神経質性格に生まれてきてよかったと心の底から思えるようになった。

1番であるが、「欲望と不安」の単元が役に立った。不安には大きな役割があることがわかった。
さらに不安だけを問題視するのではなく、生の欲望と不安のバランスをとる生き方が大切なのだということがわかった。
その方向で努力し、日常生活が充実し、 一人一芸の習得で毎日が充実している。

2番目であるが、これはなかなかしぶとい。修正は不可能なのではないかと思う時もある。
他人が自分のことを非難したりするとすぐに戦闘モードになる。
相手の意見を価値判断なしによく聞く。それに対して自分の意見を述べる。
双方にある意見の違いをはっきりさせる。そしてその溝が少しでも埋められればよしとする。
勝ち負けにこだわるよりも、不全感は残っても、人間関係をぶち壊さないことが肝心だと思っている。

3番目であるが、他人の言動に振り回されるばかりだと、自分の生きる楽しみはなくなる。
つらくなるばかりだ。
他人の言動に右往左往するのではなく、まず自分の感情、気持、意志を見つめることが大切だと思った。
自分はどのように感じているのか、自分はどのような気持ちになっているのか、自分はどのように考えているのか、自分はどのようにしたいのかを前面に押し出して生きていくように方向転換をした。
そこで役に立ったのは、 自分の素直な感情を、小さいうちにどんどん外に吐き出していくことだった。自分の感情、気持ち、意志、五感、身体感覚を外に向かって吐き出すことに力を入れてきた。
どんなことがあっても、自分の心と体は自分自身が守らなければならない。
自分は自分の最大の味方である。自分を粗末に扱うことだけはなんとしても避けたい。

4番目であるが、 「かくあるべし」を少なくする生き方が重要であることがよくわかった。
「かくあるべし」の反対は、現実、現状、事実を素直に受け入れて、そこを出発点にして目線を一歩上に上げて生きていくことである。
今まで生きてきた中で頑固な「かくあるべし」が身に付いているので、とても難しい挑戦であった。
しかし森田理論学習のおかげで、生活態度はその方向に向かっている。
ここでは、事実には4つの事実がある。その事実を正確に把握する。
事実は両面観で多面的に見る。事実を見ないで、是非善悪の価値判断をしない。
事実は具体的に赤裸々に取り扱う。「純な心」を体得する。私メッセージを使って発信する。






Last updated  2019.01.21 08:00:23
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2018.10.20
カテゴリ:神経症の成り立ち

「がん検診強迫神経症」というのがあるそうだ。
今やがんは2人に1人がかかる病気である。
1年に1回のがん検診では、見落とすことがあると言われている。
特に膵臓癌などは発見された時はもう手遅れという場合がある。

そのために、自分ががんでないことを確認するため人間ドックに行って、血液検査、バリウム検査、胃カメラ検査など、 1年に2回3回と繰り返す人がいる。
健康体であることを確認しようと、人間ドックで検診を繰り返しているうちに、異常がたまたま発見される、といったことがよくあります。
精密検査に回され、最終的には特に手当てをする必要はないなどといわれます。
また半年後に検査に来て下さいなどと言われ、ひとまず安堵するといったことを繰り返しているうちに、検診癖にはまり込んで、そこから抜けだすことのできなくなった人が数多くおられるようです。
それが、ある段階までくると、愚行とは知りつつも、検査を繰り返さないと、どうにも安心できないという心理が固着してしまうのです。
こうなると、もう強迫神経症です。不安が不安を招き、精神交互作用によってどんどん増悪して、ガンの不安・恐怖で振り回されるようになるのです。
「健康さえ手に入れば、命なんかほしくない」と言うような、本末転倒状態に陥っているのです。

このようながん検診を繰り返しているとどうなるのか。まず検査による被曝が問題になります。
イギリスで行われた実験によると、全てのがんのうち、 0.6%から1.8%が、レントゲン検査の被曝によってひき起こされているという。
胃のバリウム検査の被曝量は、 単純エックス線撮影の場合の6倍以上です。
CTスキャンは、レントゲン線の細いビームを照射し、身体を通過する線量を測定して、コンピューターで映像化するものですが、この線量による被曝は一段と大きいということです。
日本のCTスキャンの保有台数は世界最高です。
普通日本人は年に1回はこれらの検査を受けています。
これを毎年受けることだけでも被曝量は相当なものです。
がん検診強迫神経症の人は、これらの検査を年に何回も受けるわけですから、健康な細胞が数多く傷つけられる事は明白です。

次に、がん検診強迫神経症の人は、がんに対して神経が過敏になります。
サプリメントや民間療法などにも手を出すようになります。
あるいは宗教にすがるような人も出てきます。
寝ても覚めてもがんに振り回されるようになると、精神的に追い詰められてしまいます。
また、実生活のほうに目が向かなくなり、生活が後退していきます。
これは私たちが神経症で苦しんでた過程と同じことです。

がんにならないように、心配する事はとても大事なことです。
しかし、それが高じてがん検診強迫神経症になることは避けなければありません。
そのためには、年に1回の検診は必ず受ける。それで大きな問題がなければ、疑心暗鬼に陥っても、日常生活や仕事、趣味などのほうに目を向けて生活を充実させるほうに目を向けていく。
気が付いたらがん恐怖のことは忘れていたという方向に向かうことが大切です。
森田療法理論が勧めているとおりだと思います。

(死生観の時代 渡辺利夫 海竜社参照)







Last updated  2018.10.20 06:30:16
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2017.12.26
カテゴリ:神経症の成り立ち

今月号の生活の発見誌に高良武久先生の対人恐怖症の記事があった。
要旨を簡単に整理して私の感想を述べてみたい。

まず、対人恐怖症の克服にあたっては、神経症のカラクリをよく自覚することが大切であると言われる。
神経症は器質的なものから来るのではなく、精神的なカラクリから起こってくるものだという事を学習する必要がある。
学習単元で言えば、神経症とは何か、神経症の成り立ちの学習である。

神経症の治療で最も大切なのは、 「あるがまま」ということだといわれています。
「あるがまま」の要点は2つあります。

・人前に出て臆する気持ち、あるいは怖いような気持ちが起これば起こるままにまかせ、それに反発しないで「あるがまま」に受け入れるということです。

・それらの気持ちを持ったまま、当面の目的に没入していくのであります。行動のほうを変えていくということです。
飛び込み台から飛び込む3つのタイプ分けはとても分かりやすい。
恐ろしいから飛び込まないというのは気分本位の態度です。
先に怖ろしい気持ちをなくしてからと飛び込もうとする態度は神経症の発症につながります。
怖ろしい気持ちを持ちながらも、飛び込む態度を恐怖突入といいます。
森田理論学習ではこれをお勧めしています。
これが事実本位・物事本位の生活態度となります。

次に、神経症の人の特徴と改善点について次のように述べておられます。
・対人恐怖症の人は、人と会って話をする時、自分のことばかりに注意を向けています。
自己中心的というか、自己防衛に専念しています。
そのような自己内省一辺倒の態度から、外界に視線を向けて、目的本位、物事本位の生活態度に変更していくことが大切です。
自己内省はよい面もありますが、それと「生の欲望の発揮」とのバランスをとることのほうがもっと大切です。
我々の場合、バランスをとろうと思えば、「生の欲望の発揮」に重点的にエネルギーを投入することです。その際、不安、恐怖、不快感、違和感は、この際つつきまわさずにそっとしておくことです。

・神経症の人は物事がうまくいかないと、俺はもうダメだと劣等感を起こしやすい傾向があります。
普通の人は、物事がうまくいかないと、 「どこがうまくいかなかったのか、どの点が悪かったのか、どうすればうまくいくのか」と考えます。
神経症の人は、物事がうまくいかなかった原因を、全て自分のせいであるという風に考えやすいのです。
これは森田理論で言うところの、「認識の誤り」にあたります。認知療法でいう「認知の誤り」です。
その特徴は次のようなものです。
1、考えることが無茶で大げさであり、論理的に破たんしている。
2、マイナス思考、ネガティブ思考一辺倒である。そして、自己嫌悪、自己否定に陥っている。
3、事実を無視して、実態から遊離して、勝手に先入観、決めつけをしている。
4、完全主義、完璧主義、「かくあるべし」思考に陥っている。
私は「認知の誤り」の学習は一単元として独立させて、自覚を深めるとともに改善策を学習しておく必要があると考えています。

・神経症の人は、形が崩れています。
形を正していくようにすれば、その形に伴って、心の内容も良くなります。
だんだん寒くなってくると、寝床から起き上がるのが辛くなります。
誰でも起きるより寝ていた方が楽です。
それで中には、 「起きる気持ちが起きてきてから起きよう」と言うような人もいます。
起き上がる気が起こってくるまでに、なかなか時間がかかります。
パッとはね起きれば、それで気分が変わるのであります。
そのようなわけで、神経症の人は生活のリズムが崩れています。
日常生活を規則正しく人間本来の姿に戻していく必要があります。







Last updated  2017.12.26 06:30:09
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2016.12.28
カテゴリ:神経症の成り立ち
森田先生に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という話がある。
月明かりの中、人目のない墓場のような所を一人で通りかかる。
「何か出てこないかな」とビクビクしながら歩いていると、ススキが風に揺られて音を出す。
「ワッー」と駆け出そうものならパニック状態になる。
枯れススキまでが幽霊に思えてしまう。
さらに急いで走りだすと、自分の足音さえも誰かが追いかけてくる足音に聞こえてしまう。
足がもつれて思わぬケガをすることもある。

私にもこれと同じような経験がある。
私は高校時代に片道13キロの道のりを自転車で通っていた。
途中木が鬱蒼と茂り、近くに民家が全くない山道を一つ越えなければならないところがあった。
その山道の頂上には地獄図のような絵がかかった神社があった。

昼間はどうと言うことはなかったが、秋から冬間にかけては早くから日が暮れて真っ暗になった。
その山道を一人で超えていくのはとても恐ろしいことだった。特に雨の日は嫌だった。
何か出てくるのではないかと思っている時に、風で木々がザワザワと音を立てると生きた心地はしなかった。

そこにさしかかると、山の頂上までは自転車を全速力で押して登っていく。
頂上に着くと今度は全速力で下る。
ところが恐怖に取りつかれているので、早く民家のあるところまで降りようとして必要以上にスピードを出す。
そのために時には石に乗り上げて、ひっくり返るということが何度かあった。
また尖った石に乗り上げてパンクをすることもあった。
山頂では幽霊のようなものが出てくるのではないか。
恐怖が恐怖を呼んでパニックに陥っていたのでやることなすことが裏目に出てしまうのだ。

森田理論学習でそのからくりが分かった。
恐怖から逃げようとする行動は、精神交互作用によって、恐怖自体がその何倍にも膨らんでしまうのである。
幽霊のようなものが出てくるのではないかと思うと注意がその一点に向けられる。
すると益々その感覚が強くなる。するとさらに注意がそこに集中される。
負のスパイラルの始まりである。

森田では恐怖から逃げるのではなく、あるがままに受け入れるようにと教わった。
「自分は今とても恐ろしい。どうすることもできない。
せめてガタガタ道だから細心の注意払ってケガやパンクだけはしないようにしよう」
そうすれば恐ろしいことは恐ろしいのだが、そのままにしておけば、その大きさが増悪することはなかったのだ。
それなのに気を紛らわせる、急いでその場から逃げようとしたために、自分の思いとは反対の結果を呼びよせてしまっていたのである。
こうした態度が、容易に神経症として固着してしまう原因となることが分かってきた。
私はまさに全く違う対応をしていたのだと後で気がついた。






Last updated  2016.12.28 06:54:46
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2016.12.13
カテゴリ:神経症の成り立ち
バイ菌がついたのではないかと何回も手を洗う。
鍵がきちんとかかっていないのではないかと何回も確認する。
ガスの元栓や電気のスイッチを間違いなく切っているのが気になって何回も確認に戻る。
これらは強迫性障害といわれるものです。強迫神経症の中の強迫行為ともいいます。

この症状に対して一般的には、薬物療法と認知行動療法が主流になっています。
薬物療法はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)などの薬を使う。
脳内の神経伝達物質セロトニンを増やして、強迫観念と強迫行為が軽減されるとされている。
副作用が比較的少なく、長期間服用できるといわれている。

認知行動療法では、その中の「曝露反応妨害法」が使われている。
曝露法とは、不安や苦痛をもたらすものに敢えて立ち向かわせる。
汚いものに敢えて触らせてみる。つまり恐怖突入させるのである。
反応妨害法とは、強迫衝動が起こっても強迫行為をしないように我慢させる訓練をさせるのです。森田先生の入院森田療法でもそういうことをされていた。
その例を11月30日の投稿で紹介している。でもこれはかなりの抵抗がありそうです。
最近では、長期間入院して、付きっきりで治療することは物理的に難しくなっている。
したがって反応妨害法は実質難しい療法である。

他には何があるか。私は森田療法が役に立つと思っている。
詳しくは「強迫神経症の世界を生きて」(明念倫子 白揚社)を参考にしていただきたい。

それに加えて、最新の脳科学の知識も強迫性障害に役立つと考えている。
それによると、五感で感じた感覚は、まず体性感覚野、聴覚野、視覚野になどに送られる。
その情報は大脳皮質の運動野、感覚野に送られて、その時、その場に対応した適切な動きを行うようになっている。
その時の行動、物の認知には側頭連合野が大きくかかわっている。
側頭連合野は鍵が閉まっているか、電気のスイッチが切れているか、ガスの元栓が閉まっているか。手がきれいになったかどうかを瞬時に判断している。
そういう順序でスムーズに流れてゆけば確認行為で悩むことはない。

ところが強迫行為をする人の脳の活動部所はそれとは少し異なっている。
前頭眼窩面、背外側部などの部位が、活発に働いていることが分かっています。
脳に電極をあてて脳波を調べると分かるのである。
これらは前頭前野といわれる部分にある。これがクセものなのである。

もともと前頭前野は、目標を設定して、計画を立て、論理的で順序だった建設的、生産的、創造的な思考を司っています。
理性的な判断や決定を必要とする場合に、もっとも活発に活動する部署です。
これは人間が他の動物と大きく違う部署です。
この回路に持ち込まれた案件は、今までの学習、知識、経験、体験、体得、社会規範、ルールなどを参考にして一番ふさわしい答えを出そう試行錯誤しています。
ああでもないこうでもないとさまざまに検討を加えられます。
無意識的ではなく意識的な働きになります。だから結論を出すまで少し時間がかかります。
そしていくつもある選択肢の中から、その時、その場にもっともふさわしい行動や決断を導き出しているのです。

強迫性障害の人は、普通の人が当たり前にできていることがなかなかできません。
それは五感で得た情報を前頭前野に送り込んでいるからです。
前頭前野に送られると様々な角度から検討を始めるようになります。
たとえば運転技術、クロールの泳ぎ方、箸の持ち方、自転車の乗り方、キャッチボールのやり方など思い出して下さい。一旦やり方を覚えたものは前頭前野の出番はありません。
運動野、感覚野などの部署が適切に指示を出して間違いのない動きをするようになっているのです。
その情報を前頭前野に送ると、今まで無意識に正常に行動できていたものが、改めて意識化されて、ああでもないこうでもないとやりくりするようになるのです。
それは混乱を引き起こして、日常生活に支障を起こすようになります。
強迫性障害の人はそういうことが自分の脳の中で起きているという自覚を持つことが必要だと思います。
自覚を持てるようになると、今強迫行為をする思考回路に入っていると自覚しながら強迫行為をしているということになります。客観的に見るということが大切なのです。






Last updated  2016.12.13 06:57:00
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