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森田理論学習のすすめ

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森田理論のキーワード

2019.08.17
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ほとんどの株価は毎日変化流動している。
いくら持っている株が上がってほしいと神頼みしてみても、株価はどこ吹く風である。
上がっては下がり、下がっては上がる。
一定期間上げや下げのトレンドが続いていても、いつかは崩れる。

この変化に対して、株式投資をしている人は、どのように対応しているのだろうか。
まず、その変化を受け入れない人がいる。下がり始めてもロスカットしない。
この株は絶対に上がるはずだ。今は一時的に下がってはいるが、必ず持ち直すはずだ。
そういう先入観を持っている。あるいは上がってくださいとお祈りをしている。

しかしそんな人の気持ちを逆なでするかのように下がり続ける株はいくらでもある。
株価の変化に対応しないと、含み損を抱えた塩漬け株を作り、手出しできなくなる。
そういう株を5年とか10年とか持ち続けている人もいる。
現物株で持っていれば、配当収入が入るのでまだましである。
ところが信用取引で売買していた場合は、最終的に強制決済にかかり、最悪再起不能なほどの痛手を受けることもある。

定年後退職金などを株式投資で運用する人は多い。
銀行に預けてもわずかな利子収入にしかならない。
日常生活はギリギリなんとか年金で生活できる。
でも冠婚葬祭費、家の修理、家電の買い替え、自動車関係の費用、旅行の費用、大きな病気、老人ホームの費用、税金、健康保険料、介護保険料、医療保険、火災保険、子供や孫への出費などは貯蓄の取り崩しで対応するしかない。
このままでは蓄えが底をついてしまう。その危機感の表れが、少しでも貯蓄を増やしたい。
目減りするのを何とか遅らせたいという気持ちにさせるのである。

では比較的短期の株式投資で貯蓄を増やしたい人はどうすればよいのか。
まず株価の目まぐるしい変化を受け入れて、予想に反して下がってきた場合に、自分の決めたリスクの許容範囲内で、すぐにロスカットする勇気を持つことである。
ここで一旦損失が確定してしまうが、これを確実に行っていると再起不能なほどの痛手にはならない。
これは最低限守る必要がある。
普通はある一定の自分なりのルールを決めて、その方法で愚直に取り組んでいても、7割がたはロスカットにかかるという。そのロスカットを少なく乗り切ることがとても重要なのだ。

残り3割が自分の思惑通りに変化してくれる。
その時はトレイリングストップという手法を使って、上昇の変化に対応していくことが肝心である。
決して少しの上昇ですぐに喜んで利食いをしては、トータルではよい結果は出ないのだ。
またこの法則は200回の試行回数を重ねることでやっと確率的に表面化してくるという。
20回や30回のトレードでこのやり方はダメだ、もっとうまくやれるやり方があるのではないかと思う人が多いが、結果として株価の流動変化に振り回されているのである。
そういう人は、あちこちのセミナーに参加し、またコロコロと自分の手法を変えてしまっている。
この態度は、株価の変化を受け入れるのではなく、変化に対抗してうまく立ち回る方法ばかりを追求しているのである。自然の変化に反旗を翻しているのである。

これは森田理論学習の中で徹底的に学んだことだ。
これを絶え間ない変化流動の株式投資に応用して、少しでも財産の目減りを少なくしたいという願いを叶えてみたいものだ。
反対に株価の変化に少しでも抵抗すれば、虎の子の貯蓄を大きく減らすことを肝に銘じてほしい。

これは私がきちんと検証作業を行って、またこのブログで取り上げてみたい。
とりあえず1セット20回の試行作業を100セット、つまり2000回の試行、検証作業を行ってみたい。
今50回の試行作業をおこなった。
時間もかかり、根気のいる作業だが、お金もかからず、楽しい。






Last updated  2019.08.17 06:30:09
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2019.08.05
東京の下町の金属加工の社長の岡野雅行さんは、2005年医療メーカーのテルモより依頼された極細の注射針を開発して、グッドデザイン賞を獲得された。
その他従来の常識では不可能とされた金属加工を次々と成功させて、「神の手を持つ男」「不可能を可能にする男」と評された。
ニューズウィーク誌では、「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。

その岡野さんの生き方、考え方は多くの人に勇気を与えているという。
その岡野さんは、次のような話をされている。

仕事を長い時間、根詰めていると、物事のとらえ方に拡がりがなくなったり、融通が利かなくなったりするものだ。
そうなると発想のパターンが同じになったりして、ひらめきというものが湧き出てこなくなる。
おれは、開発で壁にぶち当たったとき、いつも、全然、場違いな人とたくさん話をすることにしている。
饅頭屋のおやじとか、時計屋のオヤジとか、樽屋の親父とか・・・。
同業者じゃない人と話をするんだ。これって無駄話のようで、実は、知恵の蓄積になるんだよ。
「こうやって、樽はつくるんだな」っていう具合にね。

忙しいとき、疲れたときでも、おれは休憩はあまりしない。
そういうときは、休むよりも、人と打ち合わせを入れたりするんだ。
そうすることで精神的な勢いというか気持ちの張りが維持できるから、仕事の能率は下がらない。
もし、仕事から、まったく離れて頭と精神のリズムを完全に止めてしまったら、再び、元のハイスピードなリズムを取り戻すのには時間がかかるもんだからね。
(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKロングセラーズ 52ページより引用)

これは森田理論の「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」を身を持って体験されていることですね。私もこれを生活の中に積極的に取り入れています。
昼間眠くなったときでも、頭を休めて、掃除や草花の手入れなどをしていると、気分転換になります。
そして眠気もどこかに飛んでいき、様々なことが片付きます。
1時間以上も昼寝をすると、夜の寝つきが悪くなりますし、あとで後悔しますね。

症状でつらいときには、「超低空飛行」を心がけるとよいと聞いたことがあります。
症状がつらいからといって、全く行動しなくなると、次に行動を起こすにはかなりのエネルギーが必要になります。そうなると益々行動を起こすことが難しくなります。
仕方なく、ボツボツと日常茶飯事に手を出すことが大切なのです。
行動には波がありますから、どん底の時はいつまでも続きません。
どん底の次には波が次第に持ちあがってくるのが世の常です。
これはどなたでも経験されていることではないでしょうか。
つらいときでも必要最低限ことだけは手を出していくことがとても大事です。






Last updated  2019.08.05 06:30:10
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2019.07.26

​​​​森田理論は一言でいうとどんな理論ですかという質問を受けた。
一言でいうのは大変難しいのですが、今後説明を求められた時のためにまとめておこうと思う。

薬物療法にしろ、森田理論以外の他の精神療法と大きく違うのは「不安」についての考え方です。
一般的な治療は「不安」を取り除いたり、軽減することを目指している。
森田理論では、「不安は欲望があるから発生している。欲望がなければ不安は発生しない」という考え方である。人間は欲望を無くすることはできないわけですから、不安も無くすることはできない。
無くそうとしてはいけない。無くそうとすることは、無駄な努力となる。

ではどうすれば不安に対してどう対応すればよいのか。
不安はとりあえず横に置いて置き、欲望を膨らませていくという考え方をとっているのです。
不安との格闘がなくなり、目の前の目的、目標、課題があり、そちらに注意や意識を向けていくと、不安は小さく変化してくる。

これは自動車のアクセルとブレーキに例えると分かりやすい。
アクセルが欲望で、ブレーキが不安である。
目的地に行こうと思えば、アクセルを踏み込んで車を前進させることが必須である。
神経症で苦しんでいるときは、アクセル操作を一切行っていない状態である。
車が動いていないにもかかわらず、さらにブレーキを強く踏み込んでいるようなものだ。
傍から見ると実に滑稽な現象が起きているのだ。
そのことに気づくと、生の欲望の発揮に目を向けることができると思う。
一旦車を前進させることが最も大切なのだ。
一旦車が動きだすと、欲望が暴走して事故を起こさないように、不安を活用して速度を制御していけばよいのである。そこで不安は大いに役立つ。不安には大切な役割があるのだ。

​一言でいえば、欲望を最優先させて、次に欲望と不安のバランスをとりながら生活するということが、森田理論の考え方なのだ。​

それから、もう一つ大切な考え方がある。これも森田理論の核心部分だ。
森田理論では、自分という一人の人間の中に2人の人間が住みついているとみているのだ。
その2人が険悪の関係で、対立して、喧嘩を繰り返しているとみているのである。
一人は、弱点、欠点、ミス、失敗など様々な問題や課題を抱えながらもなんとか必死に日々生活している自分です。もう一人の自分は天高く雲の上にいる自分です。
雲の上にいる自分が現実の世界で必死に生きているもう一人の自分を、上から下目線で、冷ややかに眺めていつも罵倒しているのです。
力関係でいえば、雲の上にいる自分が、完全に主導権を握っており、現実の自分を服従させようとしているのです。
現実の世界にいる自分はやることなすこと否定ばかりされているのでみじめです。苦しいです。
さらに、このような対立関係は、他人や自分が管理を任されている所有物にも及んでいるのです。
ですから葛藤や苦悩はあらゆる方面に拡散しているのです。人間関係で苦しい原因はここにあります。

森田理論では、その対立関係を解消するための理論だといっても過言ではありません。
森田理論を学習して実践することで、最終的には現実の自分に寄り添って1つになることができます。
他人や自分が管理している所有物との関係も、客観的、肯定的に見れるようになるので好転してきます。

この2つが森田理論学習と実践によって身についてくるのです。
一口で説明することは難しいが、2口だったら説明できる理論だと思う。
ぜひとも森田理論でものにしていただきたいと思っています。

​​​​







Last updated  2019.07.26 06:30:09
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2019.07.05
古田敦也さんのお話です。
高校生で甲子園で活躍した投手がいるとします。
そういう選手がプロ野球の世界に入ってきて、「僕の得意なボールはストレートだ。だからストレートでどんどん押していきたい」などと言います。
その選手のストレートが140キロそこそこだったら、プロの打者ならすぐに打ち返します。
プロの世界で生活している人は、打撃のレベルが高校時代とは雲泥の差があるのです。

そこでどうするのか。
自分の今までのスタイルを変化させていくことが大切なのです。
一つには自分の持っているストレートをもっと速くしていく。
145キロ後半から150キロ台になればプロの世界で通用するようになります。
もしそこまでのレベルアップができない場合は、他の抑え方を考えないといけないのです。
制球力、変化球、球のキレなどの方法を工夫してみる。
そういうまわりの環境に対応してやっていく能力がないと、プロ野球の選手としては生き残っていけないのです。ところが投手の場合、例えば「フォークボールを身につけるとよいのでは・・・」と提案をすると、「フォークボールは得意じゃないから投げたくない」と固辞する人も多いのです。
自分のスタイルにこだわりすぎることは、自分の成長を止めてしまうのです。
そしてプロの世界からはじき出されてしまうのです。

棋士の谷川浩司さんは、羽生善治さんの強さの秘密を次のように見ています。
先手であっても後手であっても、得意戦法が3つか4つぐらいあるような感じなんですね。
将棋界広しといえども大変珍しい人で、羽生さんの右に出る人はいないと思います。
一時期の羽生さんは、全くどう変化されるか分からない予想もつかないような手でこられるので、事前に作戦を立てておいても全く歯が立たないのです。
相手の戦法に合わせて、自分のスタイルをどんどん変化させるのでついてゆけない感じです。

お二人の話を聞いてみると、いつまでも自分のスタイルに固執することは、それ以上の発展は見込めないということだと思います。カメレオンのように周囲の環境、状況に合わせて、自分のスタイルを変化させていくことが大切なのだと思います。
進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残るものは、最も力の強いものか。そうではない。では最も頭のいいものか。そうでもない。最後まで生き残るものは、変化に対応できる生き物である」と言っています。

このことを臨床心理士の岩田真理さんが分かりやすく説明されています。

サーフィンでは、サーファーは「波」という、動いているものに乗っているのです。常に波の様子を読まなくてはいけません。
波はその日の天候によって変化し、動き、下手をするとサーファーを飲み込みます。サーファーにとっては一瞬一瞬が緊張です。
波を読み、波の上でバランスをとり、波に乗れれば素晴らしいスピード感が体験できます。自分の力だけではなく、勢いよく打ち寄せる波の力を自分のものにして、岸まで疾走することができるのです。

人生の波に乗るとは、結局、毎瞬毎瞬、緊張感を持ち、周囲をよく観察し、そのときそのときで適切な判断がとれるように努め、自分の生を前に進めていくことです。
流れに乗る、ということです。
流れに乗るとき、人は注意を一点に集中したままではいられません。
四方八方に目を向け、状況を考え、自分の姿勢を判断しバランスをとっていくのです。いわゆる「無所住心」の状態です。

(流れと動きの森田療法 岩田真理 白揚社 64ページより引用)

感情の波はあがったり下がったりします。無理に反発しないで、動きに合わせて、その波に乗ってゆくことが、自然に服従するということです。
その生き方がいちばん安楽な生き方となります。







Last updated  2019.07.05 06:30:09
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2019.06.13
私は「純な心」は、「かくあるべし」を少なくして、事実本位の生活態度を獲得していくための一つの手段だと思っている。「純な心」を身につけると、自分や他人に「かくあるべし」を押し付けることが少なくなるのだ。いつも事実に立脚して、事実とともに前進していけるので葛藤や苦悩がなくなる。

純な心について森田先生に次のような説明がある。
「あやまって皿を落として砕いたときに、思わずこれを取りあげて、つなぎ合わせてみることがある。
これは惜しいことをしたという純な心である。
つなぎ合わせたとて、こわれたあとではもとのようになるはずもない。
バカげたことである、というのは悪智である。
純な心そのままであったときには、他日再び皿などの壊れやすいものを取り扱う場合に、そのもの置き方、取り扱い方に対する適切な工夫ができるようになる」

この文章の私の解釈は次の通りである。
「あやまって皿を落として砕いたときに、思わずこれを取りあげて、つなぎ合わせてみることがある。
これは惜しいことをしたという純な心である」
これは自分のミスや失敗に接して、まず最初に湧き上がってくる感情です。
初一念というものです。誰でも大なり小なり初一念は湧き上がってきているものと考えています。
これがないと次に進むことはできません。
ところがこの初一念という素直な感情は、キャッチしようと意識しないと忘却の彼方に飛んでいく特徴があるのです。

その後に「つなぎ合わせたとて、壊れたあとではもとのようになるはずもない。バカげたことである」という感情が引き続いて湧き起こってくるようになっているのです。
これは森田先生が初二念といわれているようなものです。
「純な心」学習していない人は、機械的にこの初二念に基づいて、対応策を試行錯誤してしまうのです。

この初二念は、多分に「かくあるべし」を含むものなのです。
「こんなところに無造作に皿を置いている人が悪い。自分に非はない」
「先生に叱られるかもしれない。見つかる前に捨ててしまおう」
「幸い先生に見つかっていないので、瞬間接着剤でつなぎ合わせて、ごまかしてしまおう」
「自分は何をしてもおっちょこちょいで情けない」と自己嫌悪する。
こういうことをしていては、事実を正直に認めて、受け入れるという生活態度の養成には向かないのです。「かくあるべし」の弊害は学習によって分かっているのですが、肝心の生活態度が「かくあるべし」なので葛藤や苦悩は益々強化されてしまうのです。

初一念から出発した場合は、森田先生に自分が不注意で皿を割ってしまいましたと謝る。
そしてすぐに注意深く割れた皿をかたずけて掃除する。
森田先生に「代わりのものを買ってこようと思っていますが、それでよろしいでしょうか」と相談する。
対応方法が物事本位になっているのです。
責任転嫁、言い訳、ごまかし、自己嫌悪は起きていません。
また以後は、失敗の経験に学んで、皿の置き場所などに注意して、適切に取り扱うようになるのです。
初二念で対応する習慣の人は、自分の罪を免れることに注意を向けているので、同じような過ちを繰り返すことになります。

初二念は否定、言い訳、ごまかし、叱責などの気持ちになりますので、そんな時、「ちっと待て。初一念の感情は何?」と自分に問いかける言葉を発することができるかどうかが分かれ目になります。






Last updated  2019.06.13 06:30:08
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2019.03.17
宇宙の法則を見ていると、2つのことに気が付きます。
一つは、静止してじっとしているということはなく、常に動き回っているということです。
常に流動変化しているというのが宇宙の法則の1番目です。
すべての物質は原子と電子からできていますが、電子は原子の周りを絶えず回っているのが事実です。

もう一つは、他者とのバランスのとれた関係の中で、はじめて自分という生命体が存在できているということです。地球という天体が単独で宇宙の中に存在しているわけではないのです。
月や太陽、他の天体とのバランスの上に地球という惑星が存在できているという事実があるのです。
月は地球の周りを常に移動しています。
地球は1年かけて太陽の周りを1周しています。
その太陽は銀河の中心にあるといわれている、ブラックホールの周りを秒速300kmというスピードで、2億年かけて1周している。
私たちの住んでいる銀河系から200万光年先にはアンドロメダ星雲があり、お互いの重力でもって秒速275kmという猛スピードで近づきつつあるという。
将来は私たちの住んでいる銀河系とアンドロメダ星雲は、合体して一つの銀河になるそうです。

この2つの宇宙の法則は精神世界にも貫徹されているものと考えています。
どんな悩み、葛藤、不安、恐怖も、時が経てば、流動変化の流れの中に飲み込まれていくということです。それに抵抗するということは、川の流れに逆らって泳いでいくようなものです。
どんなにエネルギーのある人でも、すぐに精根尽き果てて無残な敗北を味わうことになることでしょう。
川ではそのような愚かなことをする人はいないでしょう。
しかし精神世界の問題となると、その流れに合わせて生きていくという方法をとらない人が多いのです。神経症になって、不安、恐怖、違和感、不快感などがあると取り除こうとしたり、逃避してしまうのです。これは自然の法則に立てついて反逆を企てているようなものです。
自然の法則に反対する人は、その存在さえも許されないのだということを宇宙の法則から学ぶ必要があるものと考えます。

次に、自分と他者の関係についてみてみましょう。
宇宙の法則でいえば、お互いの引き合う力と遠心力のつり合いがとれた場合のみ、お互いにその存在が許されているということです。
そのバランスが崩れると、力の大きい天体に力の弱い天体が飲み込まれてしまいます。
この法則は人間関係の中にも貫徹されているものと考えます。
体力や経済力、機転の利く人がそうでない人を服従させるということは、短期間で見れば可能かもしれません。しかしその反動は必ず起きてきます。それが自然の法則だからです。
まず人間関係は、自分の素直な感情、気持ち、意志を相手に向かって明確に打ち出すことが前提になります。ただ相手は他者に対して自分の素直な感情、気持ち、意志をぶっつけてきます。
そこには絶えず言い争いのもとになる見解や意志の相違が生じてきます。
その違いをまずお互いが十分に認識することが大切になります。
次に話し合いや、交渉によって、溝を埋めていく作業に二人して取り組むことが欠かせません。
それを怠り支配、被支配の関係になってしまうと、自然の法則からは大きく逸脱してしまうのです。
生きるということは、絶えず相手との緊張感の中で、いかにバランスや調和を目指して努力していくかという一点にかかっているものと考えます。
自然の流れに沿って生きていくことができれば、また人間に生まれ変わってみたいという気持ちになると思います。






Last updated  2019.03.17 06:30:07
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2019.03.02

道元禅師は座禅をするときの注意点について次のように述べています。

精神を訓練して度胸をつけよう。健康になろう。特別な問題を取り上げて思索しよう。智恵をつけよう。無念無想の状態になろう。精神統一をはかろう。瞑想して特殊な心境になろう。こういう目的や思惑を持って座禅をしてはならない。

悟りを求めて座禅をすると打算になるといわれています。
つまり永遠に悟りには到達することができない。

この点、森田も同じです。症状をとろうとして行動・実践していると、症状はまったくなくならない。注意や意識がますます症状に向いてくる。つまり症状を強化してしまう。かえって症状が泥沼化してくるといわれています。
ですから、行動は、症状のことは横において、行動そのものに一心不乱になることが大切だといいます。つまり「ものそのものになる」瞬間をたくさん作ることです。

でも現実問題として座禅をしていると、次から次へと雑念が浮かぶようにできています。雑念は自然現象ですからどうしようもないものです。
これについてはどう考えたらよいのでしょうか。

道元禅師は、当然無念無想という事はあり得ない。次々に雑念が浮かぶのは仕方がない。雑念を思わないようにする。雑念を考えないようにするという事ではない。
雑念は、そのままの状態にしておく。思い浮かんだことにとらわれないようにする。雑念は浮かぶがままにしておく。
この態度が大切であるといわれています。これがポイントでといわれています。

普通は気になることに注意や意識を集中してしまいます。
つまりこだわってしまいます。
その結果自然な感情の変化流転は妨げられてしまいます。
それが不安や不快感だったらどうでしょうか。
取り除いたりはからったりしてスッキリとしようとします。流すことを忘れて、一つのことにこだわってしまいます。
注意と感覚が相互に作用してどんどん増悪してしまいます。
そして神経症に陥ってしまうのです。

道元禅師は、一つの雑念にこだわらず、次々に湧き起ってくる雑念にそのまま乗っかっていく態度の養成を求めているのだと思います。
瞬間的に次々に湧き起こる雑念に対し、次々にこだわれば、現実には何にもこだわっていない状態となります。

これは私たちが日常いつも経験している事です。
たとえば飛行機にのる。新幹線にのる。高速エレベーターに乗って高速移動している。これを意識化すれば恐ろしくて居ても立っても居られない状態になります。
そうならないのは高速移動の状態を自然に疑いもなく受け入れている。
ものそのものになりきって一体化しているから混乱に陥らないのです。
森田でいえば、「かくあるべし」的思考から離れて、自然を受け入れて自然に服従した生き方になっているのです。
こだわりのない生き方は葛藤や苦悩が無くなるのでとても自然な生き方となります。この生き方を勧めているのだと思います。







Last updated  2019.03.02 06:30:13
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2019.02.27

森田先生は精神拮抗作用について次のように説明されている。
精神現象は、常にある意向が起これば、必ずこれに対抗する反対観念が起こって、我々の意思・行動が調整されている。
この拮抗作用が調整を失えば、精神異常になる。ちょうど、筋肉には伸筋と屈筋との拮抗作用というものがあって、例えば腕を伸ばすときには、その伸筋の反対の屈筋の力の加減をして、調子外れの運動ができないようにしている。もし脳脊髄病になるときには、この拮抗作用ができなくて、麻痺とか痙攣とかさまざまの異常か起こるのである。
(森田全集対効果763ページより引用)

この精神の調節作用がなければ、例えば、人間の行動できれば、からくり人形のようになり、我々の日常の生活で言えば、心は臆病のほうにのみ向かえば、その人は安逸無為、怠惰、引っ込み思案になる。
これに反して、もし人が欲望のみに向かうときには、いわゆる「むこうみず」になり、軽率、放縦、無遠慮、でたらめ、自惚れ、すれっかしになるのである。 (森田全集第7巻587ページより引用)

精神拮抗作用は誰でも経験していることである。
例えば、酒が好きな人は、飲み放題の宴会などがあると浴びるほど酒が飲みたいと思う。
ところが実際には、二日酔いで苦しんだことが思い出されて、自重する。
酒ばかり飲まずに食べることも意識する。中には酒と一緒に水を飲んでいる人もいる。
酒を飲みたいという気持ちと同時に、二日酔いにはなりたくないという気持ちが拮抗しているのである。
欲望と不安は調整されて大事に至らないようになっているのだ。
これがどうせ明日は休みだし、飲み放題なんだからとことん飲もうと思ってしまうと結果は分かり切ったことになる。また酒は体にとって良いことは何もないのだからと、酒は好きなのに一切飲まないで我慢している人もいる。そういう人は、あるきっかけでまた大酒飲みに逆戻りすることもある。
若い人は、好感の持てる異性がいると、お付き合いをしてみたいという気持ちが強くなる。
普通はあらゆる手を使ってきっかけ作りを始める。
ところが、この時、もし交際を断られたらどうしようという不安もでてくる。
不安に取りつかれていると、積極的にアタックする気持ちはなくなってくる。
結局は静観することになり、後で後悔することになる。

天体の動きを見ていると、高速で回転や移動を繰り返しているが、引力と遠心力が釣り合っているためにそれぞれの惑星は存在できていることが分かる。
耐えざる動きと変化、そして絶妙なバランスの上に存在が許されているのである。
しんどいからと言って、それらを止めてしまうと、存在すら許されないということなのだ。
私たちの精神生活もバランス感覚を磨くことが大切である。
どちらか一方に偏ることは、不安や葛藤を招いてしまうのだ。

私は精神拮抗作用は、いつもサーカスの綱渡りをイメージするようにしている。
長い物干し竿のようなものを持って、バランスを維持することに神経を集中して、ゆっくりと前進している。私たちもこのような態度で生きていくことが大事なのだと思っている。







Last updated  2019.02.27 06:30:11
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2019.02.15
今日は「直観」と「直感」の違いについて考えてみたい。

というのは、森田全集第5巻の306ページに、森田先生は「直観的」「直観力」という言葉を使われているからである。注目するのは「直感」という言葉を使われていない。
これは森田先生の明確な意志が感じられるような気がする。

国語辞典によると、「直観」とは、 「推論を重ねて結論に達するという道筋をたどらないで、全体を見ていちどに本質を見る事」とある。類似語として「直覚」とある。
「直覚」とは、ちょっと見ただけで、 「ああ 、あれだ」とピンとくる事である。
これに対して「直感」とは、 「説明や経験をぬきにして、直接に感じてわかること」とある。

私流に解釈すれば、「直観」とは、他人や物事、出来事を実際に自分が出向いて、詳細に観察することによって真実を知ろうとする生活態度のことではないか思う。
そういう立場に立てば、森田先生の行動はよく理解できる。
例えば、熊本の五高時代に幽霊が出るという屋敷を真夜中に探検されたこと。
よく当たるという占い師のところへ直接出向いて、その占いの実際を調べられた事。
犬神憑きの実態について、実際に家々を訪問して調査されたこと。
温度の違う熱湯の中に手を入れて、それが人間の体感に及ぼす影響を調べられたこと。
関東大震災の時に、流言飛語がどのように人間に影響を与えていたのかをつぶさに調べられた事。
これらは他人の話や書物などを見て、自分の頭の中で納得し結論を得るという立場とは違うのである。
事実を自ら出向いて詳細に観察し、事実の中から真実をつかむという明確な意志が感じられる。
われわれは、先入観、早合点、思い込み、決めつけによって真実を見誤ることが多い。
森田理論は、事実を正確につかむことから始まる。
事実が曖昧であったり、抽象的であったりしては出発点からして間違っているのである。
事実は自分の目で確かめ、具体的である必要がある。
森田道を歩もうとする人は、多少手間暇がかかっても、事実を正確に観察するという態度が不可欠である。

次に「直感」ということだが、この言葉も森田理論学習の中ではとても大きな意味がある。
「純な心」は、素直な心、あるがままの心であるといわれている。
もっとわかりやすく言うと、初一念、直感力のことである。
物事や出来事、他人の言動に接して、最初に湧き上がってくる感情のことである。
しかし、人間は初一念や直感に引き続いて、 「かくあるべし」を多分に含んだ初二念、初三念の考えが湧き上がってくる。それに基づいて、反応したり対策を立てたりすることが多い。
森田理論では、そういう対応のやりかたは間違いが多く、かつ葛藤や苦悩を抱え込むことになることが多いという。神経症に陥る大きな原因となっている。
そんな時、森田理論学習と修養によって、常に初一念や直感に立ち帰るという能力を身につければ、神経症に陥ることが少なくなる。またとても楽な生き方に変化してくる。

したがって、「直観」と「直感」という言葉は、森田理論の世界の中では、それぞれにもとても大きな意味を持っていると言わざるを得ない。どちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではないのだ。
森田療法理論には、言葉にとらわれてしまうと、森田先生の伝えようとするところからそれてしまうという面がある。そうなると何のための森田理論学習なのかということになってしまう。
大まかに森田先生の真意がつかめればよいのである。






Last updated  2019.02.15 06:30:09
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2019.01.13
森田先生が形外会である患者に次のように質問された。
先生から「神経症が少しは良くなったか」と聞かれたとき、君ならどう返答するか。
ある患者は次のように答えた。
実際には、まだ良くなっていなくても、それをそのまま口にすることは憚られる。
だから、 「おかげさまでだいぶ良くなりました」と答える。
これに応えて森田先生曰く。
それで上等だ。先生に対しても、 「治りません」とは言いにくいから、つい会釈笑いをしながら「だいぶ良くなりました」という。
それでよい。その人情の自然から出発すれば、万事がスラスラと流れるようになる。
先生に対して、 「ちっとも良くならない」と言い放つ患者は、自分もいつまでもその不快の症状にとらわれて、その執着から離れることができず、医者からも愛想つかされるようになる。
これに反して、少しでも良くなったことを喜んで感謝するようになると、次第に自分の良い方面ばかりが気がつくようになり、ますます症状は軽快して全治するようになるのである。
(森田正馬全集第5巻 766ページより要旨引用)

ここで間違いやすいのは、自分が理想としている神経症の完治から現状を見てみると、まだまだ不十分のような気がする。
100%神経症が完治したとは思えない。その事実を事実のままに発言することが正しいように感じる。
ましてや森田理論では事実本位の生活態度を身につけることが重要であると言っている。
このケースでは、 「少しは改善できているかもしれませんが、まだ全然だめです」というのが、事実に正直に対応することになるのではないか。

森田先生は、そういう発言は屁理屈であると言われている。事実唯真、事実本位を盾にして、 「事実に正直であるべきだ」という「かくあるべし」 にとらわれている態度だ。
こういう時は、「純な心」から出発することが大事である。
ここでの「純な心」はどんなものであろうか。
森田先生に好かれたい。自分勝手なことを言って嫌われたら困る。これからも森田先生にすがって神経症を治したい。だから、自分の都合ばかり主張することはできない。
とっさにこのようなことが頭の中を駆けめぐるのではないだろうか。
この気持ちから出発すると、頭をかきながら、バツが悪そうにしながら、本心とは違う発言をするようになる。自分の最初に浮かんだ感情、気持ちから出発すると、万事うまく収まるのである。
反対に初二念や、初三念を基にして発言することは人間関係にヒビ割れを生じさせることになるのだ。
それは、人情から出発していないから問題が大きくなっているのである。






Last updated  2019.01.13 06:30:07
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森田生涯@ Re[1]:「純な心」を身につけるために(06/13) ststさんへ おつらい気持ちが伝わってき…
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